「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」 公演情報 「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    久しぶりの名取事務所。
    個と社会を描く絶妙なバランス。素晴らしかった

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    名取事務所のチラシは毎度定番のデザインとなり、自分はと言えば公演に足を運ぶ頻度も増えた。今回の二本立ても期待大で両作品拝見した。
    「慈善家」は新作、「ブッチャー」は再々演(今回初の生田みゆき演出、これも期待大であった)だがどちらも初と思っていたら「ブッチャー」は再演を観ていた(初演を「見逃した!」思いが強く観た事を忘れていた。開演して気づいた)。
    いずれも秀作。空間は一つで複数場面の兼用はなく、時間は時系列で進む。局所を描写したドラマから世界で起きている出来事(負の連鎖)を想起させる。「ブッチャー」は架空の国が設定されており、少なくとも大戦後の時代タームである事は分るが、残党狩りという事ではナチスを想像させるし、国内で起きた民族間対立という事ではルワンダ紛争、捕虜・囚人への非人道的処遇という点ではアブグレイブ刑務所を始め世界中にあった(ある)だろう専制下での政治犯の処遇を連想させる。伏せられた事実が一つ一つ明らかになるミステリー要素、深夜の警察署(?)内という密室サスペンス要素など戯曲が持つ面白さと同時に、それを高々と越えて来る圧倒的なメッセージ性(とそれを証明するための様々な身体的いたぶり)に息が詰まりそうになる。(終演後高山氏に寄って来た知人らしい女子学生(位の年齢)が「(すごい)面白かった」と漏らしていた。)
    「慈善家」は大資本を牛耳る者、そのステークホルダーと、当事者を登場させて生き馬の目を抜く現場のリアルを描きながら、「金による支配」のテーマを伝える。理念の希求と財政基盤の葛藤、支配欲求からの上昇志向、それらを巡る本音と建前とプライドと正義へのこだわりが錯綜する。まずこちらを観て圧倒され、もう一方を観て(二度目の観劇だったが)更に打ちのめされた。

    ネタバレBOX

    「屠殺人ブッチャー」とはその者に付けられたニックネーム。巨大な肉を吊るすフックを囚人に対して用いるためそう呼ばれた。アキレス腱を切るのが、この道具の目的だ。激痛と、移動のためには這うしかない身体状況を与える。
    彼は捕まらなかった最後の犯罪人で、かつての階位を示す印章と軍服に身を包んだ彼(高山春夫)が運び込まれた警察署に、若い弁護士(西尾友樹)が呼ばれる。彼は警官から事情を聞き、その老いた軍人の首には屠殺用フックが掛けられていて、フックの先に名刺が付いていた。その名刺の名前の当人が呼ばれた訳だった。異国語を話す軍人のため、やがて女性の通訳が現れるが、彼女はこの軍人を巡る弁護士との問答の中で、軍人と彼の関係を明らかにし、次に彼女の正体が明かされ、そこは密室となる。ここからが息の詰まる修羅場である。
    この劇のテーマを当たり障りない言葉で言うなら、「法では裁けない罪を個人が法を犯して裁くことの是非」となるだろうか。だが劇が炙り出すのは「法で裁けない、裁かれない罪」とは何かだ。世界は慈悲に満ちた空間でも合理的なシステムでもなく、何らかの復讐が為される事の方が必然と感じられる事がある。この作品では、個人が受けた被害に対する個人的な復讐が要求されるが、その背後に他の多くの被害者(非対称な関係を背景とした)の存在が見えている。
    ガザ地区、ヨルダン川西岸地区の人々が日々被って来た緩慢な非人道的扱いや攻撃を、その蓄積を、それ故に閉ざされた未来を、僅かながらの情報の中からも想像していた身(私)には、ハマスの攻撃は、後の事など考えておれぬ止むに止まれぬ挙であると同時に、誰か分かってくれこっちを見てくれと叫ぶSOSにも見える。自然の発露とさえ。そうとしか見えないのだ。
    誰も公正に(この場合はイスラエルを)裁かないのなら一体法とは何か、という問題は日本も対岸の火事ではない。止むに止まれぬ挙が、ある法に違反しているとして、その前段に不公正な事実はなかったのかを遡及する想像力を持てるのか否かは、司法を含めて常に問われる。過去の何処か別の国の話でなく、今を突く話としてビシビシと見えない掌が叩いて来る。
    作者は、肉親の「処刑」に立ち会わされた男にこう言わせる。「私は(復讐を)しない」「(貴方が想定している人間たちと違って)私は、しない」。
    生田みゆき演出はこの台詞を殆ど囁くような小さな声で言わせていた。
    このドラマの強調さるべきは「放置された加害/被害」の存在、と私は受け止めた故、復讐の連鎖を誰が止めるかのテーマは関連するとは言えまた別の立論となる。
    彼は今為された復讐の起こる根源を理解したからこそ、「自分は復讐をしない」と言えた。テーマはそこに戻って来る。イスラエルが自分らが如何に酷い態度をパレスチナに対して取っていたかを理解するには、一人一人監禁して思い知らせるしかないのかも知れないが現実には不可能だ。それが出来るのが演劇であり、そして観客が受け止めるもの。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    屠殺人ブッチャーを拝見。 かつて ラビニア (架空の国、もとソ連の一国か)で残虐な拷問を行った男(高山春夫)に対して、 若い女(万里紗)が 復讐を始める。 その冷酷さが怖い。 最初は何も関係なく見えた若い男(西尾友樹)が、実は意外な関係があって事態に巻き込まれる。その過程がスリリング。最後に どんでん返しもあり、息をつかせない。
    100分とコンパクトだが、最後まで緊張感に満ちた 芝居だった。

    ネタバレBOX

    高山春夫は最後までラビニア語しかしゃべらない。スラブ系の響きがあるが架空の国の言葉なので、いわば出鱈目ことば。結構な分量のセリフだが、こういう出鱈目を覚えるのは極めて大変だ。台本通りに覚えていたのか、適当にアドリブなのか。余計な世話だが少々気になる。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「屠殺人ブッチャー」2017年度の読売演劇賞を受けた作品の、これは三演で、演出が生田みゆきに代わった。前舞台を見ていないので、つい比べたくなる悪い癖を免れている。新鋭の才女はご贔屓だか、一、二演は見ていないから偏見なく見られた。よくできている。見事な演出である。1時間半息をのむ間もないサスペンス劇である。それでいて3時間の芝居を観たような重さだ。
    中東あたりの旧ソ連邦国家群の辺地にある警察署の、雨の降るクリスマスイブの話である。分裂している民族国家の一方の旗頭とみられている将軍(高山春夫)が拷問のあともあらわに担ぎ込まれる。言葉が通じない。急遽女性看護師(万里紗)が通訳として呼び出される。警察署の刑事(清水明彦)、その地域の弁護士(西尾友樹)が、将軍の身元を明らかにしようとするが、その裏には、恐るべき葛藤が秘められていた。
    その仔細はスジを語るより、やはり芝居は目前で人間が演じるのを見るのが一番である。次々と明らかになっていくこの辺地の民族紛争に現代社会の災厄の根幹が隠されている。それが、現実になって吹き出すクリスマスの夜の事件だ。
    この事件には、ウクライナの紛争にも、イスラエルの戦争にも共通する現代の災厄の原型がある。現代の世界に生きる人間にとっては、その存在を保証する生存の原則はない、いつかお互いに憎み合う、そして憎しみを忘れない。こうして紛争は多分無限に続く。
    その現実を辺境の地の一夜の物語に圧縮してみせる。その仕掛けはなかなか周到で、カナダの地方演劇にこういう本が上演されていると言う事実に驚いた。「世界演劇」だな、と思う。俳優は皆訳をよくつかんで隙がない。
    長年カナダの商社で普通の仕事をしてきたサラリーマンの芝居ずきの人(訳者・吉原豊司)がカナダ演劇を我が国の舞台に紹介してきたということにもある種の感慨がある。逆に、学生上がりの若いカナダ人が文楽に入れ込み70年代に文楽の舞台を映画撮影した作品が当時の良い時代の文楽の唯一のカラー映像だと言うこともある。現代に生きる市民にも文化に歴史を刻むことはある。言葉は安いが、一見を勧める舞台である。



  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「慈善家-フィランスロピスト」

    死ぬ程面白い。全く関係ないのだが『ハスラー2』を思い出した。格式高いハリウッドの名画のようで、ポール・ニューマンやマーティン・スコセッシがよく似合う。渋目の佳作。
    カナダの劇作家ニコラス・ビヨンが名取事務所に書き下ろした新作。

    この作品はアメリカの誰もが知る大手製薬会社パーデュー・ファーマ社の起こした「オピオイド危機」が元になっており、上演前からスクリーンにその旨を記した文章が流されている。

    オピオイド(麻薬性鎮痛薬)系の医療用鎮痛剤「オキシコンチン」。モルヒネと同じく阿片を原料とする。元々は癌における鎮痛剤として使用され鎮痛作用と共に陶酔作用がある。中毒性依存性が高く、現在では各種麻薬中毒の入口と呼ばれる。

    1995年、パーデュー・ファーマ社が「オキシコンチン」を中毒性のない奇跡の鎮痛剤と医療業界に猛烈に売り込んだ。どこのクリニックでも痛み止めとして簡単に処方されるまでに。1999年から2020年までに米国では約50万人が処方薬と違法オピオイドによって死亡。今も依存症に苦しむ人々が200〜300万人。千件以上の訴訟。被害者団体はオーナーであるサックラー・ファミリーこそ「死の罠」の仕掛け人だと告発する。処方鎮痛剤が引き金となって依存症が広まったのだと。
    2017年10月、トランプ大統領はオピオイドの乱用に関する「全国的な公衆衛生の非常事態」を宣言。「国家の恥」であり、「人間の悲劇」とまで。

    その総資産が140億ドル(約2兆円)といわれる米国の大富豪、サックラー・ファミリー。今作のモデルであろうモーティマー・デイビッド・サックラーは慈善活動により英国帝国勲章、ナイト&デイム・コマンダーを授与されている。美術館や大学への巨額の寄付によってサックラー・ファミリーは現代のメディチ家とまで称された。

    現在、パーデュー・ファーマ社は8700億円の和解金を支払うことで破産申請中だが、創業家一族を不当に保護するものだと最高裁は無効を検討中。

    大富豪の慈善家に藤田宗久(そうきゅう)氏。『ペリクリーズ』も凄かったが唯一無二。まるで映画を観てる気分。
    古き付き合いの美術館館長に荒木真有美さん。
    若きアシスタントに谷芙柚(ふゆ)さん。
    敏腕弁護士に鬼頭典子さん。
    美術館の傲慢で軽薄な理事に加藤頼氏。加藤剛の息子!

    この5人にそれぞれ見せ場があり、A面B面裏返すようにあっと驚く別の一面がめくられる。後半になるにしたがって作者の仕掛けの周到さに感嘆。人間の世界はそんな甘っちょろいもんじゃないんだよ、と若き谷芙柚さんに突き付けるように。作家の純粋なるメッセージにも驚いた。もう今の日本人ではこんな作品を書けないだろう。余りに真実を舐め弄び過ぎた。
    役者陣は全員次の作品も観たくなる凄腕ばかり。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    寄付者と非営利団体の間に交わされる見えない交換条件。大金の代わりに一体何を受け取ることが出来るのか?非営利団体側の懸念は自分達のイメージ。汚い金を受け取ったことへの付いて回るマイナス評価。寄付者のメリットは団体に無言の影響力を持つことや自分達に対しての肯定的な承認。ある種の口止め料。慈善事業の持つ社会的意味とはれっきとした商いであった。

    加藤頼氏は若き柄本明の高嶋政伸風味。高畑裕太っぽい邪悪なオーラも感じた。クズのお手本。
    鬼頭典子さんの寝返りっ振りは見事にハリウッド映画。こうでなくっちゃいけない。
    荒木真有美さんの設定が面白い。ボンベイのスラム街出身の成り上がり。途端に興味を示した藤田宗久氏。「貧困に対する罪悪感への免罪符を私に求めたのよ!」凄い発想。
    ある意味主人公である谷芙柚さん。パーティーに行こうとしていた私服が最高。厚底ローファー。

    荒木真有美さんが藤田宗久氏の真意を暴くシーンに興奮したが内容がイマイチ期待外れ。
    ラストの谷芙柚さんの「金よりも大切なものがある!」的展開には驚いた。凄く青臭い70年代のドラマみたい。悪い大人達の言いなりにはならない純粋な子供達の叫びみたいな。逆に作家が本気でそう思っているならば感心する。もうそんな気持ちも失くしてしまった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「慈善家-フィランスロピスト」
    いわゆる社会派ドラマということになろうが、社会の矛盾や正義よりも個々人の行動の矛盾や内面の打算、現実との折り合いが印象づけられ、一筋縄にはいかない作品と感じられる。今回はちょっとわかりにくいがやはり意外な(というより一枚上手な)結末が用意されている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「屠殺人 ブッチャー」

    クリスマス・イヴも更け、もう午前三時、カナダのオタワにある警察署。外は酷い雨。将校の軍服にサンタ帽の老人(髙山春夫氏)が椅子に座らされている。取り調べをしている警部(清水明彦氏)は早く帰りたくて仕方がない。全く英語が通じない老人、どうやら東欧のラヴィニア人らしい。そこに呼ばれてやって来る知的財産権がメインの弁護士(西尾友樹氏)。二人組の男がこの老人を警察署に置き去りにしたのだが、首から屠畜用フックが掛けられていてそこに弁護士の名刺が刺さっていたらしい。通訳(万里紗さん)が来るまでの間、二人はこの謎の老人について思い巡らす。

    3回目の公演となるが髙山春夫氏だけは不動。
    他の出演者も名取事務所公演に選ばれた本物ばかり。

    タランティーノ系のパルプ・フィクション(安っぽい読み物)をイメージしていたら全く違った。途轍もなく鬱な人間論。西尾友樹氏が汗ダラダラ涙を流し声を枯らし必死に捲し立てる。整理の付かない感情と何一つ説得力を持たない理性にグチャグチャにされながら。最後に自分の拠り所となる思考の核は一体何なのか?
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    万里紗さんが美人すぎるかも。もっと普通のルックスの女性の方がしっくり来たのでは。逆に女性的な部分を全く感じさせない人の方が、後半の過去の体験談が生々しくなった。
    架空のラヴィニア語が凄い出来。本当に一字一句完成された言葉を役者は発している。
    ロマン・ポランスキーがシガニー・ウィーバーで映画化した戯曲『死と乙女』をモデルにしているのは間違いないだろう。復讐の方法として、ターゲットを愛する者に殺させる手法を選んだ組織。愛する身内にも生涯消せないトラウマを植え付ける為に。

    自分は正しいものはこの世には存在しないと考えており、明らかに間違ったものだけは確実にある、と。正義を口にして、行動の拠り所にする者全ては因果律の迷宮に迷い込むことになる。正義の御旗で楽をした分、その後正義とは程遠い地点にまで彷徨い歩く羽目に。

    こういう作品は死ぬ程観てきたので、内心「『24』みてえだな、流れが嘘臭えな」と感じていた。だが最後まで観るといろんな疑問点に一応合点が行くように出来ている。ラストカットは突き刺さる。ただ雑で乱暴な流れが勿体無くもある。もっと普遍的なテーマを扱っているのに劇画調の読み切りの感覚。

    究極の戦争映画、『炎628』のラストのように作家にはとことんまで追求して貰いたかった気持もある。ナチス・ドイツに故郷を虐殺焦土にされた主人公の少年は道に落ちていたヒトラーの肖像写真を銃で撃ち抜く。撃つ度に逆回しで若返っていくヒトラーの写真。撃って撃って到頭赤ん坊の愛らしいヒトラーの写真に。少年は罪のない無垢な赤子に銃を構えたまま固まってしまうラスト。

    「民族浄化」して、決して復讐されないように“敵”を丸ごと消滅させてきた人類の歴史。殺しても殺しても決して“敵”は無くならない。身内から仲間から家族から“敵”が次々に現れていく。無限の修羅地獄。

    警察署を偽装するのは無理がある。
    ハリウッド調の展開が嘘臭くてイマイチ乗り切れなかった点はあるが、語っているテーマはまさに今世界が目前に対峙している現実そのもの。彼女達の目的は復讐なのではない。自身の存在証明である。この世界に痛みを抱えた自分が確かに存在していることの証明。世界は無関心で何も聞かず興味を示さず、沈黙の圧力で何事もなかったかのように抑え込んでしまう。ガザのパレスチナ人の叫びがまさにそれ。まるでもう過ぎた事として勝手に全て終わらされてしまう。存在を叫ばなければ駄目だ。全てが無かったことにされてしまう。自分がいなかったことにされてしまう。言葉では誰も聞いてはくれないだろう。暴力しかないのか?
    人は復讐をしなくてはならないが、もっとアウフヘーベンしたレヴェルの高い復讐を、本当の意味での復讐を。

    焼肉のタレで有名なモランボン(社名は現北朝鮮の小高い丘、牡丹峰から)、朝鮮出身の創業者はこう語った。「自分の日本人への復讐、それは日本人の味覚に朝鮮料理の味を浸透させる事だった。」

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