「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」 公演情報 名取事務所「「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「屠殺人 ブッチャー」

    クリスマス・イヴも更け、もう午前三時、カナダのオタワにある警察署。外は酷い雨。将校の軍服にサンタ帽の老人(髙山春夫氏)が椅子に座らされている。取り調べをしている警部(清水明彦氏)は早く帰りたくて仕方がない。全く英語が通じない老人、どうやら東欧のラヴィニア人らしい。そこに呼ばれてやって来る知的財産権がメインの弁護士(西尾友樹氏)。二人組の男がこの老人を警察署に置き去りにしたのだが、首から屠畜用フックが掛けられていてそこに弁護士の名刺が刺さっていたらしい。通訳(万里紗さん)が来るまでの間、二人はこの謎の老人について思い巡らす。

    3回目の公演となるが髙山春夫氏だけは不動。
    他の出演者も名取事務所公演に選ばれた本物ばかり。

    タランティーノ系のパルプ・フィクション(安っぽい読み物)をイメージしていたら全く違った。途轍もなく鬱な人間論。西尾友樹氏が汗ダラダラ涙を流し声を枯らし必死に捲し立てる。整理の付かない感情と何一つ説得力を持たない理性にグチャグチャにされながら。最後に自分の拠り所となる思考の核は一体何なのか?
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    万里紗さんが美人すぎるかも。もっと普通のルックスの女性の方がしっくり来たのでは。逆に女性的な部分を全く感じさせない人の方が、後半の過去の体験談が生々しくなった。
    架空のラヴィニア語が凄い出来。本当に一字一句完成された言葉を役者は発している。
    ロマン・ポランスキーがシガニー・ウィーバーで映画化した戯曲『死と乙女』をモデルにしているのは間違いないだろう。復讐の方法として、ターゲットを愛する者に殺させる手法を選んだ組織。愛する身内にも生涯消せないトラウマを植え付ける為に。

    自分は正しいものはこの世には存在しないと考えており、明らかに間違ったものだけは確実にある、と。正義を口にして、行動の拠り所にする者全ては因果律の迷宮に迷い込むことになる。正義の御旗で楽をした分、その後正義とは程遠い地点にまで彷徨い歩く羽目に。

    こういう作品は死ぬ程観てきたので、内心「『24』みてえだな、流れが嘘臭えな」と感じていた。だが最後まで観るといろんな疑問点に一応合点が行くように出来ている。ラストカットは突き刺さる。ただ雑で乱暴な流れが勿体無くもある。もっと普遍的なテーマを扱っているのに劇画調の読み切りの感覚。

    究極の戦争映画、『炎628』のラストのように作家にはとことんまで追求して貰いたかった気持もある。ナチス・ドイツに故郷を虐殺焦土にされた主人公の少年は道に落ちていたヒトラーの肖像写真を銃で撃ち抜く。撃つ度に逆回しで若返っていくヒトラーの写真。撃って撃って到頭赤ん坊の愛らしいヒトラーの写真に。少年は罪のない無垢な赤子に銃を構えたまま固まってしまうラスト。

    「民族浄化」して、決して復讐されないように“敵”を丸ごと消滅させてきた人類の歴史。殺しても殺しても決して“敵”は無くならない。身内から仲間から家族から“敵”が次々に現れていく。無限の修羅地獄。

    警察署を偽装するのは無理がある。
    ハリウッド調の展開が嘘臭くてイマイチ乗り切れなかった点はあるが、語っているテーマはまさに今世界が目前に対峙している現実そのもの。彼女達の目的は復讐なのではない。自身の存在証明である。この世界に痛みを抱えた自分が確かに存在していることの証明。世界は無関心で何も聞かず興味を示さず、沈黙の圧力で何事もなかったかのように抑え込んでしまう。ガザのパレスチナ人の叫びがまさにそれ。まるでもう過ぎた事として勝手に全て終わらされてしまう。存在を叫ばなければ駄目だ。全てが無かったことにされてしまう。自分がいなかったことにされてしまう。言葉では誰も聞いてはくれないだろう。暴力しかないのか?
    人は復讐をしなくてはならないが、もっとアウフヘーベンしたレヴェルの高い復讐を、本当の意味での復讐を。

    焼肉のタレで有名なモランボン(社名は現北朝鮮の小高い丘、牡丹峰から)、朝鮮出身の創業者はこう語った。「自分の日本人への復讐、それは日本人の味覚に朝鮮料理の味を浸透させる事だった。」

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    2023/11/19 10:44

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