五月大歌舞伎 公演情報 五月大歌舞伎」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    千秋楽・素晴らしき挑戦・・・幸四郎!&吉右衛門
    今月昼夜ともにそれぞれ2度目の公演へ・・・幸四郎が、170年ぶりの悪の二役をやるのって、もう見られないかも・・・と思うだけで、いてもたっても行かずにはいられなかった!(もちろん夜公演の吉右衛門の、懐の深い芝居の演技は言うことがない!私は本来・播磨屋・吉右衛門!)
    隣席に座られた高麗屋(幸四郎の屋号)に特段に詳しい方がいて、幸四郎が三枚目を演じるのは、歌舞伎の世界では本来は許せないことなのだとか・・・!?(〇〇さ〇りがAVにでるようなものだと・・・?)そのことからも、70歳になる幸四郎が、伝統へ挑戦する意欲は素晴らしいということなのだ!!
    (その方も吉右衛門を褒めていた・・・。短い登場で兄・幸四郎の舞台へのエールを贈る姿勢は素晴らしいと・・・。夜公演だけでも出ずっぱりで大変なのにって・・・同感!播磨屋サポーターとして嬉しい!)
    最終章のかたき討ちシーンから拍子木が入って・・・「本日千秋楽に付き・・・・・」で舞台上からのご口上・・・・・。その後に幕が下りたが、スタンディングオベーションしたのは自分だけだったみたい!?
    日本の演劇にはスタンディングオベーションは根付かないのかな・・・?
    何処へ行っても、みなさんとてもおとなしいよね!良くも悪くも感情は素直に伝えたいね・・・・!

    ネタバレBOX

    昼公演・敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがじゃやむら)主演・松本幸四郎の二役
    夜公演・籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)主演・中村吉右衛門と中村福助

    この舞台の「芝居の非日常性と、善にも悪にも華が咲く!」素晴らしさと、芝居のストーリなど、今月の「観てきた!コメント」と「ネタバレBOX」に記載しました。ご覧戴きたく存じます。
  • 満足度★★★★★

    「必見」といって良い昼公演。
    これは絶品の舞台!

    「通」の方々には、幸四郎丈の天保年間以来となる一人二役あたりが魅力なのかもしれないが・・・それを抜きにしても、この芝居の面白さは強烈だ!

    大まかな内容は、仇討ち。

    善役が、不正をした悪役を切腹に見せかけ殺害。
    その悪役の家臣が、善役を殺害。
    で、善役の息子達が、悪役家臣を仇討ちにすべく追いかけるが・・・いろいろある(かなりのカンナン辛苦あり)。。。ってのが粗過ぎる粗筋(笑)

    幸四郎丈は、「悪役家臣」と「善役息子の家臣」の2役。

    この演じ分けは見事。

    「悪役家臣」の悪の貫禄は、見ていて惚れ惚れとしちゃう程。

    「善役息子の家臣」は、仇側に寝返るという極悪軽薄人なのだが・・・なんとも間抜けな一面もあり・・・不思議なキャラ。憎めない一面がある。
    最後に、仇討ちされるんだけど、万事休した場面でも軽口をたたく(←強がりなんかじゃなくて、そういうキャラなのだ!)あたりが、ものすごくおもしろい。

    江戸時代の初演当初は、仇討ち物だけあって「善役息子達」が主人公だったのが、この小悪党を主人公にする演出家が登場、これが大当たり!それくらい魅力あふれる「小悪党」なのだ!!!

    ラスト。

    最終的に「悪役家臣」が万事休するのだが・・・

    ここで「とざいとうざい~(観客の皆々様~みたいな意味)」の掛け声で、出演者全員で客席にお辞儀。そして幕。

    こういう「陰惨な場面(ま、仇討ちだから、ある意味スッキリはする「殺人」ではあるのだが)は、想像にお任せ」という歌舞伎独特の演出は、この芝居ではバッチリはまってた。それだけ、敵役にも魅力があふれていたということなのかなあ。

    と、長々と書いていたが、この芝居の魅力の3百分の一も表現できていません・・・その辺りは『敵討天下茶屋聚』で検索したら、ちゃんとした識者や通の方々の文章をお読みになれると思いますので、勘弁願うとして。。。

    今月は、明治座の花形歌舞伎に流れる方も多いようで、良席のチケットが取りやすいと思います(大金持ちでないボクが、とちり席のド真ん中で見られるってのは、年に一度あるかないか)。

    この芝居は、初心者の方にもおすすめ!

    でも・・・イヤホンガイドは利用したほうがよろしいかと。
    この600円は、かなり価値のある600円になりますので!笑

    ネタバレBOX

    それにしても、芝のぶはきれいやった!

    出番も多くて大満足!茶屋娘をコミカルに魅せてくれたなあ。。。

    隣席のご夫婦が、幕間に「あの人きれいだったー。名前なんていうんだろう?」と話していらしたので・・・芝のぶのこと教えたった!笑

    その後、意気投合して新橋駅までご一緒することに。
    東海地方からお見えだったので、ボクのなかでの「東京土産第3位」の「たちばなのかりんとう」を紹介。

    数日後、「もっと買えばよかったです。ありがとうございました。」のメールが。

    こういうのってウレシイネ。
  • 満足度★★★★★

    幸四郎・170年ぶりの挑戦・・・昼公演
    松本幸四郎が初役に挑む「敵討天下茶屋聚」(かたきうちてんがぢゃやむら)の演目は、慶長14年西暦1600年に備前の国(岡山)宇喜多秀家(芝居では浮田家)のお家騒動で、闇討ちにあった父の無念を、遺子が9年後の1609年大阪の天下茶屋で実際に敵討ちを遂げた事件を題材に、奈河亀輔が本を書下ろして江戸中期の天明元年1781年に初演された狂言である。
    上演当初の評判はイマイチのようだったが、天保6年西暦1835年に四代目大谷友右衛門が工夫を凝らして、江戸中村座で敵役を主人公にした設定で舞台を演じて喝采を博した。その後繰り返し上演されて敵討ち狂言の傑作と言われている!
    しかし、今回演じる松本幸四郎は初役であり、しかもその四代目友右衛門が天保14年西暦1843年に、二人の悪人安達元右衛門と東間三郎右衛門の一人二役を通し狂言で演じ分けて以来、170年ぶりの挑戦である。幸四郎は来年70歳。初役でしかも170年ぶりの一人二役。伝統を守りながらも現代感覚の人物描写で自ら挑戦して芸と向きあう姿勢はとても素晴らしい!
    幸四郎は時代背景と登場人物の性格描写の他味わいある台詞などを綿密に練り上げ、悪役ながら二役の一方・東間は陰で画を描き人を操る大悪な首領役で、一方の元右衛門は盗人猛々しく小悪を重ねながら三枚目役と対照させるように上手く演じ分けており、四代目友右衛門が人気を博した江戸時代の舞台を、現代感覚の解釈で再現している。
    初役ながら、序幕から大詰めまでの全五幕190分を、通しで二役を演じた幸四郎の挑戦する心意気は素晴らしく、改めて人生は生涯学習と感じる!
    伝統と向き合う幸四郎の舞台を、実弟の中村吉右衛門が敵討ちを支える人形屋幸右衛門役、敵討ち立ち会い助っ人補佐人役坂田正三郎を八代目大谷友右衛門に演じさせて、粋な「敵討天下茶屋聚」だけに、妙で不思議な因縁を感じながら、言葉で表せない深い感動で観ていた!詳細は、ネタバレBOXにて・・・

    ネタバレBOX

    時代は江戸幕府開幕前の1600年頃、浮田家は石田三成と気脈を通じているのでは・・・と執権から疑われている。疑いを晴らし忠誠の証のためにも、北条氏より戴いた百歌仙「紀貫之が書いた色紙」を見せる必要がある。筆頭家老・早瀬玄蕃頭(段四郎:史実では林である)は、次席家老・岡舟岸之頭(桂三:史実では長船である)と重臣・東間三郎右衛門(幸四郎の二役:史実では当間である)が、お家乗っ取りの謀反を計略していることを察知していた。一派に一時奪われていたお家の大事な色紙を取戻した上、次席家老の岡舟は切腹させることが出来た。しかしその後、東間には逆に闇討ちにされた挙句に、玄蕃頭が保管する浮田家の重宝である百歌仙「紀貫之が書いた色紙」も奪われて無念の最後を遂げる。東間はそのまま出奔してしまう。早瀬家は、色紙を奪われた咎で取り潰しとなる。早瀬玄蕃頭の子息である伊織(梅玉)と弟の源次郎(錦之介)は、父の無念を晴らし早瀬家再興のために、許婚の染の井(魁春)と祝言を挙げ、家来の安達元右衛門(もとえもん:幸四郎の二役)と弥助(彌十郎)兄弟を伴い、四人で東間追うように上方へ向かう。色紙を奪われたことでお家が取り潰しとなり、二人は侍としての身分を失い浪人となったため、敵討ち免許状は持っていない。まずは色紙を取戻し、敵討ち免許状を得て東間を討つ(二つの使命を順に満たすことで早瀬家再興が認められる)旅へ出たのである。あとを追うように、妻・染の井と源次郎の許嫁・葉末姉妹も大阪天王寺門前へ探しに出て来たが東間側に見られてしまう。兄弟も近辺にいるのでは?と逆に察知され、標的となる。(東間のお家乗っ取りの悪企みを計る証拠の手紙などいろいろとあるが・・・省略)色紙も東間も見つけられぬまま、伊織たちは流浪を重ねて東寺近く(大阪市端の西成~阿倍野辺り?)に貸座敷を借り生活をしている。長屋にも住めぬ不安定な経済的困窮度が伺える。早瀬兄弟の供で来た元右衛門は、生来の酒好きで暴れ者であったために、東間の策略から悪の道へ進んでしまい東間側へと寝返っている。伊織と再会してから貸座敷に一緒に住み始めた染の井だが、それも束の間。伊織が色紙と東間を探し歩く不在の日、家宝の色紙が骨董屋で見つかったとの報が入り、買い戻すために200両必要と聞く。そのため妻・染の井が切ない決意をして、歌を一首詠み弥助に託す。「山川の 流れに沈む栃(とち)からも 身を捨ててこそ 浮かむ瀬もあれ」(栃の実の殻は、一度沈んでも水に浮くことが出来る。覚悟を決めて身を捨ててこそ、初めて浅瀬に浮かぶことができる。つまり「自分は身を捨てる決心(自分は遊郭に身を売る)私が犠牲になることで、貴方が浮かび上がることが出来るなら、それは私の想いである。そして、いつの日にか自分を救い出してくれるなら嬉しいけれど・・・本懐を遂げてくれれば救い出してくれなくても諦める」・・・。小判と引き換えに姿を消していく。同じ日に、東間の指図で盲目の按摩に化けた元右衛門が訪ねて来る。「過去の因果で目が見えなくなった」と弱々しく語り、心根が優しい実弟の弥助へ情実で訴え取り入ったところで、染の井のいきさつ一部始終全てを聞いてしまった。そのため情けをかけてくれた実弟の弥助を殺し、染の井の身売りの金を奪い盗り去ってしまう。(弟の源次郎は病で臥せており、夜眼が不自由で気付かないまま・・・多分、栄養失調?)元右衛門は源次郎も殺そうとするが、丁度伊織が帰って来たのに気付き慌てて逃げ出す。その際、帰ってきた伊織は夜の暗闇で元右衛門に不意を突かれて足を切られて不自由の身になってしまう。(伊織は相手が元右衛門と気付いていない)元右衛門が慌てて逃げ帰る様は、いかにも小悪人で三枚目に見えてしまう。更に時が経ち、伊織兄弟は福島天神の森(非人の部落)まで落ちぶれ果て、物乞いをしながらムシロ小屋で貧窮の日々を過ごしている。東間はそんな兄弟を偵察しながら、少しばかり元気を回復した源次郎が東間を探し出すための留守を狙い、元右衛門に指示をして奴(錦吾)を供に、兄の伊織をいたぶり殺してしまう。伊織の虫の息を確認しながら、過去の悪事を伝える元右衛門・・・「いや、まだあるまだある、うぬが女房染の井の身代金も、この元右衛門様が着服したのだ。」「びっくりするな、まだあるまだある、うぬがその躄(いざり)になったのも、俺がしたのだ」の「まだあるまだある」は、本当に憎々しいが・・・悪が増長していく見せ場でもある。さらには、帰ってきて伊織の死を知った源次郎も、気落ちから絶望したところを襲われ川へ投げ込まれる。(ここまで元右衛門を悪の権化のように書いてきたが、結局は東間の指図通り、彼の掌の中で動いていただけなのだ。)その後中村吉右衛門が演じる人形屋幸右衛門、八代目大谷友右衛門などの登場で粋で味のある演出があり、最終章へ向かう。(以下略)敵討ちのために艱難辛苦の生活を続ける早瀬兄弟達だが、場面場面で身分に拘りなく多くの人々と出逢ってはホッとする癒しの工夫があり、善意に助けられながら成就して行く190分は、観ていて疲労感がない!
  • 満足度★★★★★

    演劇の非日常性・・・夜公演
    籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)。中村吉右衛門が、元禄九年吉原百人切りの実話を題材とした明治時代の上演から絶えていた場面を百有余年ぶりに復活し、発端より大詰まで上演するという話題の舞台。ここの籠釣瓶は、籠で作った釣瓶は汲んでも水が溜まらないことと同じように、人を切っても血糊も付かぬ切れ味落ちずに血を吸い足らない名刀の意である。その名刀を吉右衛門演じる次郎左衛門が持ち、吉原一の花魁八ツ橋を演じる中村福助の艶やかさとの調和が見事だ!吉右衛門の演技やせりふは言うまでもなく懐深く大きな演技・数々の引き出しがみられるが、福助にも、縁切りの場の名セリフ「つくづく嫌になりんした」は八ツ橋自身の境涯ともとれ、名女形への進化成長など・・見どころ満載とても楽しめ嬉しい舞台だった。
    それにしても感じたのは、演劇の持つ、善にも悪にも花が咲き喝采を浴びる非日常性である。
    天候に晴れもあれば雨もあり、台風もあれば大吹雪もあるように、人の心も日々不順である。人は一人では人間と言わない。芝居も同じで人が演じるのであるから、たとえ同じ演目同じ役者でも、同じものが出来る筈がない。昨日の芝居と今日の芝居、明日の芝居は同じではない。芝居に関わる人が増え、人と人との間ではじめて間合いが生まれ、舞台の作品が成熟していくのである。そして、同じ作品でも役者が変われば違う作品になリ、味を工夫し得意が生まれていく。演劇に情熱を持ち挑戦し続けることから伝統が生まれ、昇華して後世に残ることになるのである!演劇を志した以上、どのジャンル演劇集団も未来へ継承するよう努力をして欲しい!

    ネタバレBOX

    江戸時代の享保年間元禄九年に起きた事件「吉原百人斬り」を題材に、黙阿弥の門下生・三世河竹新七が書いて明治21年(1881年)5月1日に現在の明治座で初演された。
    佐野次郎左衛門を初代中村吉右衛門・花魁の八ツ橋 は六代目中村歌右衛門が演じ、縁切の場の「花魁、そりゃあ、ちと袖なかろうぜ」というセリフは巷でも流行語になったらしい。

    江戸時代の吉原では、最高級の遊女の花魁は、客との初対面の挨拶が終わると、かむろ以下すべて関係者を連れて、遊郭の中を練り歩いて帰る。その際、御贔屓客が来ている他の茶屋に向かって見染めとして挨拶する意味で微笑む。この時に、挨拶された茶屋は祝儀を花魁に贈るのが習わしとされ、花魁が挨拶する数が多いほど人気があり格が上とされた。「見染め」で八ツ橋が微笑むのはそのためで、次郎左衛門は自分にしたものと誤解するところから悲劇が始まるのである。
    下野国(栃木県)の豪農佐野次郎兵衛(段四郎)が遊女お清を妻に迎えるが、妻が病気(梅毒)になったため捨て、良家へ婿入りする。捨てられたお清はすがり付くが惨殺してしまう。それが祟りで、次郎兵衛は悶絶死、次男の次郎左衛門(中村吉右衛門)は疱瘡(天然痘)に罹り、一命は取り留めるも酷く醜いあばた顔になる。
    その後成人し、絹商人として成功した次郎左衛門は、江戸よりの帰途に金を奪われそうになったところ、浪人都筑武助(中村歌六)に助けられる。その恩義から武助を家に招いて剣術を習いながら世話をするが、根が病弱な武助は間もなく病死する。死の際に、武助から今までの礼・形見として「籠釣瓶」という刀を授かる。この刀は一度抜くと血を見ないではおかないという村正作・名刀の籠釣瓶(かごのつるべ)であった。籠で作った釣瓶は汲んでも汲んでも水が溜まらないことと同じように、切っても切っても切れ味落ちず血を吸い足らないとの意で、その妖しい名刀を今は吉右衛門演じる次郎左衛門が持っている。
    江戸へ絹を売りに来た佐野次郎左衛門は、下男冶六(中村歌昇)とともに華やかな吉原を見物する。いかにも田舎者のなりの二人は、客引きにあやうく騙されそうになり、茶屋の女主人・立花屋お駒(中村芝翫)に「今日は帰りなさい」と諭される。いったん帰途を決意した次郎左衛門だが、花魁道中の八ツ橋(中村福助)を見かけ、見染めの笑顔に一目惚れをしてしまう。 花道の付け際で、福助演じる八ツ橋が見せる艶ある微笑みと、舞台中央で茫然自失、腰が抜けたようにへたり込み、いかにも田舎者の次郎左衛門を演じる吉右衛門との対比が絶妙で見せ場である。
    佐野次郎左衛門はいったんは帰郷するが、その後八ツ橋のもとに通いつめ、実直な次郎左衛門とのあいだで、近々に身請けをすることで話がまとまる。一方、八ツ橋の養父であるやくざ者の釣鐘権八(中村彌十郎)が立花屋を訪ね、金の無心を頼むが、あまり度々のことなので断わられてしまう。これを恨んだ権八は、八ツ橋の間夫(まぶ:情夫)である浪人・繁山栄之丞(中村梅玉)の家へ行き、次郎左衛門の身請けの話を伝える。八ツ橋のもとへ来た権八と栄之丞は、次郎左衛門に愛想尽かしをするよう無理強いする。
    次郎左衛門は、商売仲間二人を連れて茶屋に遊びに来ている。芸者や幇間も交えて大勢でにぎやかに酒宴をしているうち、遅れて八ツ橋が顔を出す。
    八ツ橋は、「身請けをされるのはもともと嫌でありんすから、お断り申します。この後はわたしのところに遊びに来て下さんすな!」と次郎左衛門に愛想尽かしで、満座の中で恥をかかせる。八ツ橋は部屋を出ていき、商売仲間らも次郎左衛門を馬鹿にして行ってしまう。
    残された次郎左衛門は、立花屋の主人に、八ツ橋のことはあきらめ「振られて帰る果報者とはわしらのことでございましょう。」とのせりふを残し寂しげに故郷へ帰ってゆく。
    その後暫く八つ橋は元気なく、心許す同じ花魁の九重(中村芝雀)に、次郎左衛門に詫びを入れたいと打ち明け、九重が仲介をしましょうと二人で打ち合わせている最中に、次郎左衛門が四ヶ月ぶりに立花屋に顔を見せる。八ツ橋は嬉しそうに笑顔を見せているが不安げな表情もみせる。(福助の着こなししぐさなど玉三郎に続く名女形と感じながらみていた。)次郎左衛門は、また初会となって遊びたいと、立花屋へ申し出ると大歓迎を受ける。しかし、八ツ橋と二人だけになると表情が一変する。次郎左衛門は「コレ八ツ橋、よくも先頃次郎左衛門に、おのれは恥をかかせたな。」と「籠釣瓶」を抜き、逃げる八ツ橋を切り殺す。
    狂気した次郎左衛門は刀を燭台に透かし見て「ハテ籠釣瓶はよく切れるなあ。」と笑いながら、八つ橋の間夫栄之丞や釣鐘権八などと江戸吉原中での大殺陣周りをみせる。(この場からは、先程までの人の好い善人次郎左衛門の演技とは異なり、吉右衛門の懐深い芸風で悪の権化を見事に演じてみせる。)
    そして最後の場では、瓦屋根にまで昇り、火消連中相手に大量の水で攻められるなどの仕掛けもあり、次郎左衛門の瓦屋根上での見栄で幕となる。
  • 満足度★★★★

    昼の部観劇
    敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)、まさに敵討ちの話。

    ネタバレBOX

    ちょっと台詞を噛んだようなシーンがあったり、染の井役の魁春さんが台詞を忘れて早瀬源次郎役の錦之助さんが「観念せい」的な台詞を教えてあげていたりするという珍しい経験をしました。

    今回、幸四郎さんは安達元右衛門と東間三郎右衛門という悪党二役を演じました。

    安達元右衛門は早瀬源次郎たちに討たれましたが、最後の早瀬源次郎たちと東間三郎右衛門の立ち回りの場面では、いきなり「とざい、とーざい(東西)」の掛け声とともに挨拶となり、それぞれにファンがいるので名優同士の決闘には決着はつけないというこれまた珍しいシーンを見ることができました。

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