五月大歌舞伎 公演情報 松竹「五月大歌舞伎」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    幸四郎・170年ぶりの挑戦・・・昼公演
    松本幸四郎が初役に挑む「敵討天下茶屋聚」(かたきうちてんがぢゃやむら)の演目は、慶長14年西暦1600年に備前の国(岡山)宇喜多秀家(芝居では浮田家)のお家騒動で、闇討ちにあった父の無念を、遺子が9年後の1609年大阪の天下茶屋で実際に敵討ちを遂げた事件を題材に、奈河亀輔が本を書下ろして江戸中期の天明元年1781年に初演された狂言である。
    上演当初の評判はイマイチのようだったが、天保6年西暦1835年に四代目大谷友右衛門が工夫を凝らして、江戸中村座で敵役を主人公にした設定で舞台を演じて喝采を博した。その後繰り返し上演されて敵討ち狂言の傑作と言われている!
    しかし、今回演じる松本幸四郎は初役であり、しかもその四代目友右衛門が天保14年西暦1843年に、二人の悪人安達元右衛門と東間三郎右衛門の一人二役を通し狂言で演じ分けて以来、170年ぶりの挑戦である。幸四郎は来年70歳。初役でしかも170年ぶりの一人二役。伝統を守りながらも現代感覚の人物描写で自ら挑戦して芸と向きあう姿勢はとても素晴らしい!
    幸四郎は時代背景と登場人物の性格描写の他味わいある台詞などを綿密に練り上げ、悪役ながら二役の一方・東間は陰で画を描き人を操る大悪な首領役で、一方の元右衛門は盗人猛々しく小悪を重ねながら三枚目役と対照させるように上手く演じ分けており、四代目友右衛門が人気を博した江戸時代の舞台を、現代感覚の解釈で再現している。
    初役ながら、序幕から大詰めまでの全五幕190分を、通しで二役を演じた幸四郎の挑戦する心意気は素晴らしく、改めて人生は生涯学習と感じる!
    伝統と向き合う幸四郎の舞台を、実弟の中村吉右衛門が敵討ちを支える人形屋幸右衛門役、敵討ち立ち会い助っ人補佐人役坂田正三郎を八代目大谷友右衛門に演じさせて、粋な「敵討天下茶屋聚」だけに、妙で不思議な因縁を感じながら、言葉で表せない深い感動で観ていた!詳細は、ネタバレBOXにて・・・

    ネタバレBOX

    時代は江戸幕府開幕前の1600年頃、浮田家は石田三成と気脈を通じているのでは・・・と執権から疑われている。疑いを晴らし忠誠の証のためにも、北条氏より戴いた百歌仙「紀貫之が書いた色紙」を見せる必要がある。筆頭家老・早瀬玄蕃頭(段四郎:史実では林である)は、次席家老・岡舟岸之頭(桂三:史実では長船である)と重臣・東間三郎右衛門(幸四郎の二役:史実では当間である)が、お家乗っ取りの謀反を計略していることを察知していた。一派に一時奪われていたお家の大事な色紙を取戻した上、次席家老の岡舟は切腹させることが出来た。しかしその後、東間には逆に闇討ちにされた挙句に、玄蕃頭が保管する浮田家の重宝である百歌仙「紀貫之が書いた色紙」も奪われて無念の最後を遂げる。東間はそのまま出奔してしまう。早瀬家は、色紙を奪われた咎で取り潰しとなる。早瀬玄蕃頭の子息である伊織(梅玉)と弟の源次郎(錦之介)は、父の無念を晴らし早瀬家再興のために、許婚の染の井(魁春)と祝言を挙げ、家来の安達元右衛門(もとえもん:幸四郎の二役)と弥助(彌十郎)兄弟を伴い、四人で東間追うように上方へ向かう。色紙を奪われたことでお家が取り潰しとなり、二人は侍としての身分を失い浪人となったため、敵討ち免許状は持っていない。まずは色紙を取戻し、敵討ち免許状を得て東間を討つ(二つの使命を順に満たすことで早瀬家再興が認められる)旅へ出たのである。あとを追うように、妻・染の井と源次郎の許嫁・葉末姉妹も大阪天王寺門前へ探しに出て来たが東間側に見られてしまう。兄弟も近辺にいるのでは?と逆に察知され、標的となる。(東間のお家乗っ取りの悪企みを計る証拠の手紙などいろいろとあるが・・・省略)色紙も東間も見つけられぬまま、伊織たちは流浪を重ねて東寺近く(大阪市端の西成~阿倍野辺り?)に貸座敷を借り生活をしている。長屋にも住めぬ不安定な経済的困窮度が伺える。早瀬兄弟の供で来た元右衛門は、生来の酒好きで暴れ者であったために、東間の策略から悪の道へ進んでしまい東間側へと寝返っている。伊織と再会してから貸座敷に一緒に住み始めた染の井だが、それも束の間。伊織が色紙と東間を探し歩く不在の日、家宝の色紙が骨董屋で見つかったとの報が入り、買い戻すために200両必要と聞く。そのため妻・染の井が切ない決意をして、歌を一首詠み弥助に託す。「山川の 流れに沈む栃(とち)からも 身を捨ててこそ 浮かむ瀬もあれ」(栃の実の殻は、一度沈んでも水に浮くことが出来る。覚悟を決めて身を捨ててこそ、初めて浅瀬に浮かぶことができる。つまり「自分は身を捨てる決心(自分は遊郭に身を売る)私が犠牲になることで、貴方が浮かび上がることが出来るなら、それは私の想いである。そして、いつの日にか自分を救い出してくれるなら嬉しいけれど・・・本懐を遂げてくれれば救い出してくれなくても諦める」・・・。小判と引き換えに姿を消していく。同じ日に、東間の指図で盲目の按摩に化けた元右衛門が訪ねて来る。「過去の因果で目が見えなくなった」と弱々しく語り、心根が優しい実弟の弥助へ情実で訴え取り入ったところで、染の井のいきさつ一部始終全てを聞いてしまった。そのため情けをかけてくれた実弟の弥助を殺し、染の井の身売りの金を奪い盗り去ってしまう。(弟の源次郎は病で臥せており、夜眼が不自由で気付かないまま・・・多分、栄養失調?)元右衛門は源次郎も殺そうとするが、丁度伊織が帰って来たのに気付き慌てて逃げ出す。その際、帰ってきた伊織は夜の暗闇で元右衛門に不意を突かれて足を切られて不自由の身になってしまう。(伊織は相手が元右衛門と気付いていない)元右衛門が慌てて逃げ帰る様は、いかにも小悪人で三枚目に見えてしまう。更に時が経ち、伊織兄弟は福島天神の森(非人の部落)まで落ちぶれ果て、物乞いをしながらムシロ小屋で貧窮の日々を過ごしている。東間はそんな兄弟を偵察しながら、少しばかり元気を回復した源次郎が東間を探し出すための留守を狙い、元右衛門に指示をして奴(錦吾)を供に、兄の伊織をいたぶり殺してしまう。伊織の虫の息を確認しながら、過去の悪事を伝える元右衛門・・・「いや、まだあるまだある、うぬが女房染の井の身代金も、この元右衛門様が着服したのだ。」「びっくりするな、まだあるまだある、うぬがその躄(いざり)になったのも、俺がしたのだ」の「まだあるまだある」は、本当に憎々しいが・・・悪が増長していく見せ場でもある。さらには、帰ってきて伊織の死を知った源次郎も、気落ちから絶望したところを襲われ川へ投げ込まれる。(ここまで元右衛門を悪の権化のように書いてきたが、結局は東間の指図通り、彼の掌の中で動いていただけなのだ。)その後中村吉右衛門が演じる人形屋幸右衛門、八代目大谷友右衛門などの登場で粋で味のある演出があり、最終章へ向かう。(以下略)敵討ちのために艱難辛苦の生活を続ける早瀬兄弟達だが、場面場面で身分に拘りなく多くの人々と出逢ってはホッとする癒しの工夫があり、善意に助けられながら成就して行く190分は、観ていて疲労感がない!

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    2011/05/17 20:38

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