DOLL 全公演終了しました、ご来場ありがとうございました! 公演情報 DOLL 全公演終了しました、ご来場ありがとうございました!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    teamR
    すごく良かった。
    時代背景も言葉も創作当時のままだと思うが、5人の熱演が古さとか違和感を感じさせない。もちろん不朽の名作ということもあるだろうが。
    京子役、みどり役が特に印象的。涙が滲む100分だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    如月小春が急逝して20年以上過ぎますが、当時、如月が綴ったコトバが、今の若い世代にも、しっかりと引き継がれていることを、うれしく思います。一方で、自ら生死を選択したくなる衝動のようなものが、今もなお変わらずに、誰にでも存在する現実に、目を背けてはいけないと改めて思いました。これからも、この時代に、如月のコトバを復活させてくれることを、楽しみにしています。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    長く上演されているのが良いわかった

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2023/10/20 (金) 19:00

    「teamL」を観た。初見のユニット。如月小春1983年の戯曲を2度目の上演だと言う。よくできている。102分。
     いろいろなところで何回も上演されている如月の代表作の一つらしいが、観たのは初めて。女子中学生の集団自殺という実話ベースの物語らしいが、それを寄宿制の高校生の物語として構成する。同ユニットで2度目の上演だと言うが、手慣れた感じもあって丁寧な作りになっているし、女子高校生を演じた5人が本当に巧く「ジョシコーセー」を演じていた。ちょっと残念なのは、5人の女子高校生たちが抱える「もどかしさ」が浮き上がってこない感じがするのだが、そういうことではないのだろうか。
     ダブルキャストながら両方に出る役者もいるのだが、それが同じ役ではないことが分かり、もう1チームも観てみたいのだが、残念なことにコマが足りない。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    〈team L〉
    流石に打ちのめされた。
    1982年12月24日夜7時10分、横浜市の女子中学三年生3人が磯子駅近くのビルから次々と飛び降り自殺をした。ごく普通の明るい子達、全く理由も分からず。
    遡って1977年6月25日夕方、愛知県の五条川で同じく中学三年生3人が手を繋いで川へ飛び込んだ。二人溺死。
    今作は1983年初演。これらの事件の真相を如月小春さんなりに解き明かしてみせたもの。
    尾崎豊のデビューは1983年12月、時代はまだ見ぬ新しい価値観を欲していた。

    聖子ちゃんカットの平均的少女は松井愛民 (あみん)さん。ニコニコ誰とも何となく付き合える。
    ガリ勉優等生は藤山ももこさん。医師になる使命感が強い。
    マイルドヤンキーは柊みさ都さん。独りで在ることをを凝視する人生観。
    幼児性の強い甘えん坊は石田梨乃さん。リアル。
    委員長的責任感の元山日菜子さん。水トちゃんっぽい。

    この5人が私立高校の寄宿舎で同部屋で暮らした一年間を、事件後の大人達が調査する。彼女達に一体何があったのかを。

    この作品は今の女子中高生にこそ観せるべき。
    一体自分達をずっと苦しめ続けているものの正体は何なのだろう?言語化出来ずずっと感じてきたもの。どうも何かが決定的におかしい。
    「あ、海が白くなってきた!」

    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    戦前の『死のう団事件』を思わせる少女達の呼び掛け。
    自殺を完全に正当化する反転した主張は当時衝撃的だったろう。鶴見済の『完全自殺マニュアル』なんかもそうだった。そこに嘘がない。『囚われ』や『計らい』がない。『ライ麦畑でつかまえて』で一番印象に残るエピソード。寮で飛び降り自殺をした友達が着ていた、自分が貸したセーター。まるで自分の身代わりのように。

    [team R]には身体ゲンゴロウの柳町明里さんが出演。気になる。
    欲を言えば、傑作『ピクニック at ハンギング・ロック』のように消えていく少女達の永遠性を視覚的に表現して欲しかった。言葉では言い表せないものを顕現させる魔法。その余りの美しさに善も悪も溶けていく。

    エレファントカシマシ『太陽ギラギラ』

    どうした、その顔?皆楽しそうだよ
    ああ、俺には分からない
    ああ、本当に楽しいの?

    空を飛ぶ鳥、愉しげで・・・
    ああ、おそらく俺は幸せさ
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    少女たちそれぞれの心情が丁寧に描かれていたと思います。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「Team L」を観劇しました。
    5人の高校生の不安や葛藤、何とも表現し難い思いを描いたストーリーで、観応えがありました。
    役者さん達は、それぞれの登場人物を、表情豊かに演じていて、とても良かったです(しかも皆が可愛い)
    良い作品でしたが、死ぬ事が美化されているような気がして、モヤモヤが残りました。
    自分が高校生だった頃の気持ちを思い出すような舞台で、面白かったです。

                  

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     タイゼツベシミル! この所、優れた作品を拝見してきたが、今作名作と言われるだけあって流石に凄い。兎に角図抜けた脚本の良さを丁寧にまた懸命に舞台化する姿勢が、描かれている内容と相俟って多感な高校1年女子の姿を見事に届けてくれた。華5つ☆。自分的には今年拝見した作品のトップ。尺は100分。(第1回追記2023.10.21 追記2回目同日夕追記はこれで終わり)

    ネタバレBOX

     LチームとRチームがあるが、Lチームを拝見。今作、今回は再演である。一昨年vol.7として1度公演しているということだが、前回は女子高生を演じた同じメンバーで語り部役もこなしたが、今回は別建て。今回はより深くより忠実に原作を解釈した、という。出来は上記で記した通りだ。また諸般の事情により当初演出を予定していた浅川拓也氏及びシングルキャスト2名が降板するということもあり、急遽主宰の黒柳安弘氏が企画・政作・照明の他に演出も担当した。主宰とはいえ過重な負担をキチンとこなしている。その労に報いた役者陣のきめ細やかで役の意味する処を生きている演技が死という誰も己の死ぬ瞬間を知ることが出来ない未知に向かって突進してゆく方向に舵を切ってゆく道程が余りに悲しい。出帆してゆく5名の少女は、寮制の高校に入学した1年生。人生のうちで最も多感な時期を同部屋で過ごしたルームメイトである。因みに5人それぞれのキャラを挙げておくと両親の離婚後母に引き取られ放任主義で育てられ自分独りで生きてきたという感覚が強く酒・煙草もやり髪も染めロングスカートを履いて、規則等の方が自由な判断で動く自分の基準より害があると主張する突っ張りであるが、男女間の乱れは余りなさそうな京子。中学時代は生徒会長をやっており、面倒見が良いとみられ、またそのように観られるような行動を取ってしまうが、内奥ではそのような自分を決して好きではないづみ。父の医院を継ごうと医師を目指し、その為勉強に励む秀才、中学時代の成績も学年で1番、今回の入試でもトップの成績で入学した麻里。神経質で内心では自由に振舞っているように見える不良っぽい京子に憧れているが、現実には最も激しく京子と張り合ってしまう。ルームメイトの恵子は中学時代からの友人である。この高校に入学するまで1人では電車に乗ったことも買い物をした経験もなく、入学式当日も大きな枕を抱き何かあれば母に電話を入れ迎えに来て貰って対処する。学業成績も振るわないみどり。一見極めて普通に見えるが、親しくなったようでも必ず何処かに距離を保ち自らは決して矢面に立とうとせぬよう殆ど無意識に振る舞ってしまう惠子。5人のうち唯一、熱烈なラブレターを貰い、デートを重ねた経験を持つこととなった。その相手は、この女子高でもファンの多い他校の生徒会長、上村であった。が、上村を真剣に恋して居たのはいづみであり、真剣な恋であったればこそ、上村が本気で好きになった惠子に譲っていたのである。上村が如何にもてたかは、ルームメイトの中にもバレンタインデーにチョコを上げようと憧れていたみどりが居たことでも明らかだ。ところで丁度そのバレンタインデーにデートの約束をしていた上村とのデートを惠子はキャンセルしてしまう。理由は頭痛であったが、この頭痛の真の原因は、上村が惠子にそっくりな人格を持ち、そのことが重く圧し掛かって彼女を苦しめくたびれさせてしまうからであった。ハッキリ恋の是非を問う上村に理由は応えることがでいず彼女はただ非と答えた。上村は自殺してしまう。
     各々のキャラ説明に物語の展開を若干交えて説明した。凡そのイメージは掴めただろうか? 初見の作品だし原作も読んだことさえ無いのでハッキリしたことは言えないが、今作の脚本で見る限り脚本家が生きた魂を鋭利な刃物で腑分けするような生々しく痛々しい台詞が随所に書き込まれていて衝撃を受ける。恰もランボーの詩節でも読むような衝撃感である。だが、それだけだろうか? 自分はそうは思わない。それだけであればタイトルに表現する者である劇作家が“doll”とは付けまい。様々な意味がある単語・dollではあるが、最も一般的な日本語訳である“人形”と解釈してみる。人形ならば持ち主が居るであろう。少女たちの持ち主と言っては何だが法的責任者は親であるから、一応親が少女たちの護り手、庇護者ということになろうか。少女たちも無論物ではない! それでは「親」を敢えて単語化すれば「家」と言えるのではないか? もっとハッキリ言えば、この国の見えない制度即ち明文化されず唯影のようにその当事者が存在する限りまた僅かな光源が在る限り必ず付いて廻る雰囲気や暗黙のタブーといった規制そのもののように自分には思われるのである。ラストシーンでは死後の少女たちの会話が描かれるが、このシーンもありきたりの、観客を演劇空間から日常へ戻す為の装置として描かれているのではない。むしろ敢えて明文化されず実際に人間の自由や個別の尊厳に対してお門違いの規制を掛け、縛り付け、差別する現実世界への抗議、否もっとハッキリ言おう。アイロニーとして描かれているのであろう。そして観客は衝撃と共にこのアイロニーをも共有するが故に名作と呼ばれ続けているのであると考える。観客として観たことの内実を決して忘れぬ為に!
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    観たいと思っていた未見の演目「DOLL」、今後 本公演が基準になるがレベルは高い。高校1年生の5人の少女の不安・孤独・善悪・嫉妬等といった捉えどころのない心の揺れを瑞々しく、そして繊細に描いた珠玉作。上演前から波の音が響き、海辺の街にある高校が舞台であることを連想させる。勿論、説明にもある「何故、少女たちは水になったのか」に繋がるわけだが、それに至る少女たちの心の変化と友情が公演の観どころ。

    それぞれ性格や情況が違う女子高生を表(体)現した女優陣の好演が、物語を味わい深いものにしている。1年間の高校 それも寄宿舎での共同生活はいつも仲良しというわけではなく、時に 性格や考え方の違いで ぶつかり合うこともある。むしろ その衝突が彼女たちの友情を深めていく<力>になっている。四季折々に、彼女たち一人ひとりの心に寄り添った出来事(事件)を描くことによって、友情という側面を通して 性格や情況を鮮明にさせる。5人という仲間が居ても、心の中は掴みどころのない不安と孤独が支配している。その何となくが…。

    5人の女子高生以外に右眼・右耳・左眼といった語り部が登場するが、少女たちを俯瞰するような立ち位置で時代状況や世相風潮を表す激声、そして鼓舞するような。その容姿・衣裳は女子高生たちとは違う、その意味では社会なり常識といった確固たる<大人>を表している。それは 同時に少女たちの不安な足場という恐怖の対置として登場させているかのよう。
    また女子高生の兄や思いを寄せる男子高校生が登場するが、彼女たちの純真さに たじろぐ様子、そこにも言葉では言い表せない<女子高生ならではの心>が垣間見えてくる。語彙力がない悲しさ、ぜひ劇場で…。
    (上演時間1時間40分 途中休憩なし) 【team Ⅼ】10.21追記

    ネタバレBOX

    舞台美術は、中央に壁 その左側は出ハケ口、右側に箱馬。上手 下手は非対称に階段が設えてある。二階部(地下劇場であるから地上部)があり、所々に薄布が巻き付いている。その浮遊感は彼女たちの心中であり海といった漠然とした光景を表しているよう。

    物語は、5人の性格や家庭環境を学校行事や季節を背景に丁寧に紡いでいく。まず、佐藤いづみ(元山日菜子サン)は、生徒会の役員になるなど面倒見がよいが、何でも引き受けてしまう八方美人的タイプ。周りから独善的と非難され落ち込む。岡本麻里(藤山ももこサン)は成績優秀で、家族の期待を担っている。夏休みも仲間の誘いを断り夏期講習へ。そして兄と<生きること>について問答をする真面目タイプ。吉川京子(柊みさ都サン)は 両親が離婚し孤独を背負っており、虚勢を張るように煙草を吸い、無断外泊もする不良タイプ。停学処分になる際、教師との校則議論は圧巻。高田みどり(石田梨乃サン)は、入学式に枕を抱え ママに度々電話をかけて助けを求める幼児性タイプ。自分からあまり主張できない。最後に星野恵子(松井愛民サン)は、ラブレターをもらいデートをするが、正直 自分の気持が分かっていない。無意識に、本心ではなく 偽りの自己 あるいは役割としての自己を演じてしまう虚飾タイプ。女優陣はその性格等を情緒豊かに表現している。

    初演は約40年前だが、今でも色褪せず観応えがあるのは、観客の多くが経験したであろう高校時代の思い、そして5人(性格)の誰かに共感してしまうからではないか。色々な出来事を一人ひとりの性格に準えて描き、それを他の4人(仲間)の観点で客観化させることで、一層 <普通の女子高生>の姿が浮き彫りになる。その年代の あやふやで、時に鋭く突き刺さる感性が見事に描かれている。

    公演の観どころは、少女達の(純粋)感性と友情の育み、同時に大人 いや社会との対峙が根底、その繊細かつ骨太なところ。例えば、京子が停学になる際 教師と校則について激論を交わす。今では無意味な校則は削除するなど、やっと時代が追い付いてきたといった感じだ。語り部は大人であり社会を象徴しているのだろう。黒ずくめの洋服でスキのない格好だ。社会という枠と常識に囚われ、俯瞰した立ち位置で見下ろすといった演出は巧み。それに抗い 純粋でありたいとの思いがラストシーン(写真で思い出を語り 上を見上げる姿1983.3.26未明 入水)であろう。
    つかみどころのない少女たちの気持を描きつつ、それを社会(大人たち)と絡め、力強い普遍性を表した見事な作品。
    次回公演も楽しみにしております。

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