コドモもももも、森んなか 公演情報 コドモもももも、森んなか」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    開幕した途端、キた。
    俳優が自分自身から離れて少年少女役に徹する(しかない)ことで、日常の出来事が異化されて普遍に。幼児の叫びは全人類を代弁しているようだった。

    ネタバレBOX

    子供しか出てこないけど、全体が母の世界としてパッケージされたように思いました。
  • 満足度★★★★★

    拡張リフレイン
    拡大する世界と自意識との間の調整に精一杯であった頃の、その隙に起こったもの。
    自分自身への一生懸命さは、その場にいて、一緒に過ごしていたはずの存在さえ容易に見え辛くさせる。
    嗅ぎ取り間違いでなければ、作中で、日曜に起こる事のいくつかの小さな予感と、一回の重要な予兆は匂わされていたように思うのだが、それぞれの切実な視点のリフレインが、小さなそれらの断片をするりと見過ごさせてしまう。
    気付くのはいつだって起こってから。しかし後から思い起こす光景もまた、何気ない。そのことがせつなさに拍車をかける。

    題材を見ていてふと、藤田氏が眼を向けているのは90年代の子供なのかなと思ったり。

    子供の身体の再現率には毎度ほれぼれする。本心の包み隠せてなさ、下の子に対する容赦のなさ、語彙の追いついてなさ、細かい動作で積み上げられる生命感。召田実子の見事な幼児感。

  • 満足度★★

    何だか…
    特別なセットを組んでいない温かみのある舞台上で、ある種抽象的で幻想的に展開される芝居は、実は主人公の記憶なんだろうな、と後で思う。前半の途中で、幼児役の演技がリアルでないなぁ、と思った瞬間から、ただただ鬱陶しい芝居になってしまった。後半の抒情性の感触は悪くなく、それを描くために前半にややトリッキーな状況が展開されるのだろうとは分かるが、ちょっと私のテイストではないなぁ、と思った。受付の対応はちょっと納得できなかった。

  • 満足度★★★★

    みた
    予約日直前の案内メールとか、荷物預かりとか、制作の方の小回りがきいていたと思う。
    作品も良かった。安くて良質な芝居。神奈川まで行って良かった。

    舞台を初めて見るという人に勧めるべきかは分からないけれども、色々見ている人には勧めてみたい。次回公演も足を運びたい。

    ネタバレBOX


    前回の『ハロースクール、バイバイ』では、終盤、級友の家業(銭湯)が廃業するというくだりがあった。そちらの方は、個人の選択肢の喪失と、銭湯という昔ながらの社交場の喪失という郷愁を、うまい具合につなげていた気がして、胸に迫ってきた。
    今回は、やはり終盤で、登場人物の一人の家が燃えるという事件が起こるけれども、前回に比べたらとってつけたエピソードに感じた。
    悪意(放火)という意味だろうか。
  • 満足度★★★★★

    一緒に生きるような
    何度も繰り返される緩急のついた言葉の全部がすごい勢いでしみ込んでくる。
    そのうち「観ている」感覚から「一緒にその世界を生きている」感じになる。
    だから、生身の自分が経験した事のように、胸が締め付けられる。
    柔らかくて、温かくて、せつなくて、雑多で、苦しい。
    全部良い意味で。
    はるばる横浜まで観に行ったかいがあったなぁ。
    そういえば、観終わった後に、妙に頭がクリアになってた。何でだろう。

  • 満足度★★★★★

    面白かったー
    いろいろ感じましたー

    あぁいう作品作りてーなー

  • 満足度★★★★★

    懐かしくも切ない
    前々作『しゃぼんのころ』でも使った角度だけでなく視点も変えて繰り返し見せる「重ね塗り手法」により各人物の心境が染み込んでくるよう。
    それによって心の底に眠っていた幼少期のキモチが揺さぶり起こされて、懐かしくも切ない。

  • 満足度★★★★★

    行き場のない感覚に心捉われて
    初日を拝見。

    濃密とか深いといった言葉では表現し得ない、
    生々しさと
    どこかが滅失したような空気感に引き込まれて、
    瞬きをする暇も惜しんで舞台を見つめてしまいました。

    ネタバレBOX

    場内に入ると
    三人の女の子がごろごろとしている。
    柱時計、おもちゃのかご、キルトっぽい床・・・。

    舞台が始まると
    彼女たちのシーンの時間が切り取られ
    幾重にも演じられていきます。

    ランダムに浮かび上がる場面には
    曜日や時間のタグがつけられて
    その、一週間のフレームに納められていく。

    3人姉妹、母親の帰ってこない夜、
    遊びにやってくる友人、
    学校の風景やクラスメイトのこと
    近所の人のこと、
    転校生のこと。

    曜日が語られ順序が組みあがっても、
    時間が流れるわけではない。
    シーンに縫いこまれた感覚が
    舞台に重なっていく感じ。
    何度も繰り返される刹那に、
    繋がるいくつかのシーンがにび色のメリハリを持ち始める。
    角度を変えて繰り返される場面が
    執拗に置かれて記憶のコアを作り、
    すっと一度きりとおりすぎるシーンが
    その世界に広がりを与える。

    そして、それらを忘却の混沌だけに閉じ込めない
    感覚の外枠のようなものがあって。
    うまく言えないのですが
    抗うことなく、なされるままに受け入れざるをえないものが
    その時間たちに差し込まれて
    空気感をつなぎとめる。

    川を流れていく子猫たち、
    家が燃えているのをただ観ているしかないこと、
    初潮の訪れも同じような感覚なのかもしれないし
    病院で過ごす転校生の時間も、
    そして、なによりも
    その日曜日を最後に見ることがなかった妹のことも・・・。
    あるいは、母親のことも。

    舞台上にその一週間の記憶が満ちたとき
    柱時計がずらされて、時が進みます。
    時を刻む音が聞こえ始めて、
    この舞台の今が生まれ、
    見る側の視座が定まる。

    姉の喪失感が描かれ
    そこには消えることのない
    感覚がしっかりと残る。

    さらには、モノトーンの制服や
    私服の赤の使い方が機能して、
    時はさらに刻まれる。
    川が流れる先の海のこと、
    町から外につながる橋のこと・・・。
    そして、
    タイトルのとおりその時代や妹のことが
    ひとつのこととして
    あたかも、記憶の、森の中へと残されていく。

    留められた時間、
    そして刻まれていく時間のなかで
    キャラクターからそのままに溢れだす
    心風景の肌触りに息を呑み、
    さらにはコドモの視線で
    その空間の先に見える
    母親や大人たちの姿にまで心を捉えらて。

    上演時間は2時間ほど、
    観ていて、良い意味での消耗感があって。
    その尺だからこそ、
    その時間に観る側をとりこむからこそ、
    描けるものがあるように感じました。

    忘れるということではなく、
    色褪せるということともどこか違う。
    滅失したような、
    でもきっと消えることがないその時間が
    終演後もずっと留まっておりました

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