コドモもももも、森んなか 公演情報 マームとジプシー「コドモもももも、森んなか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    行き場のない感覚に心捉われて
    初日を拝見。

    濃密とか深いといった言葉では表現し得ない、
    生々しさと
    どこかが滅失したような空気感に引き込まれて、
    瞬きをする暇も惜しんで舞台を見つめてしまいました。

    ネタバレBOX

    場内に入ると
    三人の女の子がごろごろとしている。
    柱時計、おもちゃのかご、キルトっぽい床・・・。

    舞台が始まると
    彼女たちのシーンの時間が切り取られ
    幾重にも演じられていきます。

    ランダムに浮かび上がる場面には
    曜日や時間のタグがつけられて
    その、一週間のフレームに納められていく。

    3人姉妹、母親の帰ってこない夜、
    遊びにやってくる友人、
    学校の風景やクラスメイトのこと
    近所の人のこと、
    転校生のこと。

    曜日が語られ順序が組みあがっても、
    時間が流れるわけではない。
    シーンに縫いこまれた感覚が
    舞台に重なっていく感じ。
    何度も繰り返される刹那に、
    繋がるいくつかのシーンがにび色のメリハリを持ち始める。
    角度を変えて繰り返される場面が
    執拗に置かれて記憶のコアを作り、
    すっと一度きりとおりすぎるシーンが
    その世界に広がりを与える。

    そして、それらを忘却の混沌だけに閉じ込めない
    感覚の外枠のようなものがあって。
    うまく言えないのですが
    抗うことなく、なされるままに受け入れざるをえないものが
    その時間たちに差し込まれて
    空気感をつなぎとめる。

    川を流れていく子猫たち、
    家が燃えているのをただ観ているしかないこと、
    初潮の訪れも同じような感覚なのかもしれないし
    病院で過ごす転校生の時間も、
    そして、なによりも
    その日曜日を最後に見ることがなかった妹のことも・・・。
    あるいは、母親のことも。

    舞台上にその一週間の記憶が満ちたとき
    柱時計がずらされて、時が進みます。
    時を刻む音が聞こえ始めて、
    この舞台の今が生まれ、
    見る側の視座が定まる。

    姉の喪失感が描かれ
    そこには消えることのない
    感覚がしっかりと残る。

    さらには、モノトーンの制服や
    私服の赤の使い方が機能して、
    時はさらに刻まれる。
    川が流れる先の海のこと、
    町から外につながる橋のこと・・・。
    そして、
    タイトルのとおりその時代や妹のことが
    ひとつのこととして
    あたかも、記憶の、森の中へと残されていく。

    留められた時間、
    そして刻まれていく時間のなかで
    キャラクターからそのままに溢れだす
    心風景の肌触りに息を呑み、
    さらにはコドモの視線で
    その空間の先に見える
    母親や大人たちの姿にまで心を捉えらて。

    上演時間は2時間ほど、
    観ていて、良い意味での消耗感があって。
    その尺だからこそ、
    その時間に観る側をとりこむからこそ、
    描けるものがあるように感じました。

    忘れるということではなく、
    色褪せるということともどこか違う。
    滅失したような、
    でもきっと消えることがないその時間が
    終演後もずっと留まっておりました

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    2011/02/05 12:15

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