クリストフ・マルターラー『巨大なるブッツバッハ村ーある永遠のコロニー 公演情報 クリストフ・マルターラー『巨大なるブッツバッハ村ーある永遠のコロニー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-8件 / 8件中
  • おぼろげな感想
    よく覚えていないが、
    あまりよく分からなかった印象。

    でも、舞台を体積の大きな箱に感じさせて
    なんか変わっていて格好良かったような気がした。

    歌が上手かった。

  • 満足度★★★★★

    「それでも生きろ」―途切れないメッセージ
    グローバリゼーションの荒波に揉まれ、長年守ってきた大事な何かを失った住民。寂寞とした舞台にただ立ち尽くし、あるいは唄う俳優の姿が、ただ美しかったです。舞台を彩る、静寂と、空虚と、ユーモアと、そして美しい歌声。全ては、「とりあえず生きろ」という、力強くはないが繊細で決して途切れないメッセージだと感じました。

  • 201011211500
    201011211500@東京芸術劇場 中ホール

  • 満足度★★★★★

    感情豊かな前衛作品
    巨匠演出家クリストフ・マルターラーさんの巧みな演出が光る、面白い作品でした。全編ゆったりした時間進行で静かな場面が多く、ストーリーもほとんどないのですが、全然眠くならずに観ることが出来ました。噂の通り、合唱も本格的なレベルで素晴らしかったです。

    室内に見えるけど、ガレージや街灯がある不思議な空間の中で十数人の役者たちがちぐはぐな対話やモノローグを話すのを通じて、資本主義社会において取り残された人々の希望と諦観が滲み出るように表現されていました。ダンスやマイムとも違う身体表現も乾いたユーモアが感じられました。壁や家具をこすって出すノイズで構成された音楽、というか音響もジャーマンプログレを思わせる音で印象に残りました。

    合唱はこのメンバーで普通に演奏会をしても良いくらい上手で、とくに微かに聞こえるピアニッシモの神秘的な表現は息をするのもためらわれるくらいの美しさでした。
    クラシック音楽の知識がなくても音楽としても美しく楽しめますが、知っているとその曲を使っている意図でも楽しめます(シューマンやシューベルトの希望を歌う曲が歌に入る前にイントロだけで中断されるシーンなどがあります)。
    1曲だけポップスが使われていて(ビージーズの「ステイン・アライブ」で皆が踊ります)、その曲だけが伴奏が生演奏でなかったのがアイロニカルでした。しかも、この賑やかな曲の直後に歌われるのが耽美的な寂寥感の溢れるベルクの歌曲で、その対比が非常に鮮やかでした。

    終盤の展開は緩慢ながらも、とても刺激的でした。バッハの有名なカンタータをBGMにファッションショーが繰り広げられ、それぞれランウェイのフロントでのポージングのときに小ネタを入れて笑わせるのですが、次第に着ている服がみすぼらしくなり、爽やかなバッハの旋律に「キリエ・エレイソン」とミサの文句が乗せられ、サティの「貧者のミサ」(この曲の歌詞も「キリエ・エレイソン」で始まります)に接続される流れは、笑いと虚無感が一緒になった複雑な情感を醸し出していて素晴らしかったです。
    そして最後のシーンは希望が見えたと歌う、ベートヴェンのオペラ『フィデリオ』の曲が繰り返し歌われるのですが、繰り返すたびに低い調に転調して重苦しい響きになってくのに合わせて照明も暗くなって行くという、寂しいものでしたが、優しさを感じさせるものでした。

    昨年パリのオペラ・バスティーユで観たマルターラーさんの演出したベルクのオペラ『ヴォツェック』が初マルターラー体験で、その時はあまり印象に残らなかったのですが、今回は音楽を使って何とも言えない感情を引き出す手腕に引き込まれました。オリジナル作品の方が自由に音楽を扱えるので、やりやすいのでしょうか。

  • 満足度★★★★

    2回も観てしまった
    初日に観て、衝撃を受けた。ここしばらく読んできた本やら、聞いてきた話やら、感じてきたことなんかが、そのまま凝縮されて舞台の上に再現されていたような気がした。・・・で、もう1回観た。・・・最後のシーンは、もはや当分の間、忘れられないシーンとなるだろう。 本来は★満点なんだけど、そうでない理由は、「ネタばれ」にて・・・

    ネタバレBOX

    素晴らしい作品なんだけど、次の2つの理由であえて満点にしていません。(その1) ドイツ語/ドイツ文化が分からないと、これは完全には楽しみ切れないという気がした。自分は、ドイツ語はほとんどできないので、細かいニュアンスが分からないところが多々あった。字幕も、かなり大胆に省略されている部分がある感じなので、そこに埋められないギャップを感じた。 (その2) 音楽レクチャーは必須と感じた。 事前の音楽解説レクチャーは、チラシにごく小さい字で案内があったんだけど、これはもうオフィシャルに全員向けに行ってもよかった。無粋と言われても、あれを聞いているのと、聞いていないのでは、作品の面白さが相当に違った気がする。ここは、制作サイドの悩みどころだと思いますが・・・2回みて、そう感じました。
  • 満足度★★★★

    staying alive!
    現代を生き続けるということは、カオスの中にあるということ。
    一見無秩序にあるカオスは、渦を巻いており、その渦は「町(という「場」)」の中だけで起こっている。

    ネタバレBOX

    ブッツバッハという町は、ドイツの古い町らしい。
    それはそうとして、舞台の上には、発酵組織研究所がデンとしてあった。しかし、その内部は、町がすべて押し込められているようである。
    一般住民が生活するガレージ、銀行、街頭、経営者のいる事務所等々。

    それにしてもドイツ人はカオス好きではないか。カオスと言っても計算されたカオスとでもいうか(計算されたのならば、カオスというよりはフラクタルなのかもしれないが)。

    観ながら感じたのは、ドイツのロック。
    例えば、60~70年代のAMONDULLとかFAUSTとかGuru Guru、80年代のEinsturzende Neubauten、(極初期の)DAFなど。
    これらはドイツ(西ドイツ)特有の現象で、他国でも似たようなアプローチがあるのだが、やはり独特であり、独自ではないだろうか。
    そこにあるのはカオスだ。

    それをこの舞台から感じた。
    FAUSTやEinsturzende Neubautenのような破壊衝動はなく、AMONDULLのような政治的メッセージがないカオスだ。

    現代を切り取る舞台だからこそ、逆にカオスであるのは「現実」ではなかろうか、というよりは、そうあって当然である。

    現代を生き続けるということは、カオスの中にあるということ。
    一見無秩序にあるカオスは、渦を巻いており、その渦は「町(という「場」)の中だけで起こっている。町は社会であり、今の体制であると言ってもいいかもしれない。
    経済の破綻も渦の中だけのことであり、社会からあふれ出ることはないのかもしれない、という予感があるのだろう。
    旧弊な社会のシステムの中にすべては留まっているということ。
    それはドイツの現状なのだろう。もちろん、日本でも同じだ。

    経済の進行による歪みの予測は不可能であり、資本主義も頭がつかえてしまっている閉塞感。
    その中にいる「私」は「何者」なのかという問い。消費しているラベルやブランドが私ではないのかという不安。
    それらは、混沌としていて、ぐるぐる回るだけ。

    一般市民(庶民)の声(歌)は、ささやかで慎ましく、貧相なガレージの中だけで歌われる。しかし、その歌は、事務所にいる経営者(支配階級)が「うるさい」と思うときにはドアを閉められて、聞こえにくくなってしまう。
    ドアを閉められるだけでなく、開けることもさえも彼の自由である。

    それは、ずっと続いていることなのだという暗示が、ラストに経営者が、チロルの上着に半ズボン、羽根の付いたチロルハットという民族衣装で現れ、庶民が歌うガレージの扉を開け閉めすることで行われる。

    2時間を超え、字幕を追いながらの観劇であるが、コロスの導入や、やや(声を出して笑うというより顔をゆがめる感じの笑い)歪んだユーモアが計算されており、とても楽しめた。
    そして、弛緩とも言えるような「間」や「繰り返し」が心地好くさえある。

    歌がとてもよかった。合唱もだが、経営者の独唱が素晴らしいものだった。
    また、合唱がオフの状態で聞こえたり(壁の向こうから聞こえる)、その場での演奏や、壁にツメを立てたり、喉を鳴らしたりするなど、音の聞こえ方(聞かせ方)にも工夫があり実に楽しい。

    字幕だが、誤植が目に付いた。これはいかがなものか。訳自体も、例えば、ことわざのパロディのあたりは意訳だろうということで、なんだかなぁだったし。
    それと、関係者笑い(1人だけ)も気になった(ホントに笑うところなのか、も含めて)。ラストの拍手が、飛び抜けて1人(たぶんその人だろう)だけ早くて、ちょっと白ける。
    毎回思うのだが、こういうのって、舞台の面白みを半減させてしまうことに気がついていないのかなあ。
  • 満足度★★★★

    柄にもなく
    高尚な舞台に手を出した。
    が、意外にベタな動きで笑いをとったり、ナンセンスな描写も多々あったりと肌に合った。
    終盤に「このシーンいつまで続くの?」とうんざりする所があったが、
    豪華なパンフを後から読むと必要な長さだったのかなと腑に落ちた。
    しかしまぁ、疲れましたわ。

  • 満足度★★★★

    永遠のハーモニー
    ガレージ、事務所、居間が合体融合した、いびつなはずなのに恐ろしい程に
    調和の取れた舞台空間に、反対に空虚で弛緩し切った動きや言葉。
    そして、そこを突き破るようにハッキリと聞こえる人々のハーモニー。

    でたらめに投げ込まれているように見えて、実は観客の集中力を
    途切れさせないよう、ちゃんと構成された進行もあって、二時間以上の
    決して分かり易いとは言いにくいこの劇を最後まで楽しむことが出来ました。

    最後のシーンは静かで、それでいて本当に感動的です。
    これだけで、観に来た意味があるといえます。

    ネタバレBOX

    序盤から、新聞記事、人々の手記、人文書、哲学書、文学書からの
    カットアップされた引用、援用の台詞の応酬が続く。 大半は意味が
    分からないけど、時折「資本主義」に対する言及があったりして刺激的。

    ほとんどの引用元は分からなかったけど、ナオミ・クラインの議論を
    踏まえてあったり、ジェレミー・ベンサム『立法と道徳の原理序説』のからの
    一節が銀行の出納係の台詞として引用されてたりしました。
    元ネタが分かる人はもっと楽しめると思います。

    人間カンナ(笑)でほどほどに笑いを取ったり中盤までは役者の緩慢で
    どこかユーモラスな動きに焦点を当てていく。 正直、ゆっくり過ぎて
    キツいのだけど、ちょうどいいタイミングで合唱を入れてきたりと、
    とにかく構成が上手い。

    中盤。序盤から頭を見せていた「資本主義」、というより、その裏側に
    隠されているモノ、資本主義を屈折させていく人々の「虚栄」「欲望」
    「学習しなささ」が徹底的にあげつらわれ、コケにされる。

    序盤では、かの金融崩壊で家具を差し押さえられ、泣き出す人々の
    様子が描かれたりと、米国震源地であるリーマンショックが海の向こうの
    ヨーロッパに与えた影響、またそのことに対する怒りと強烈な批判が
    この作品の背景にあります。 

    かのリーマンショックで財産を失った為、ガレージを美容院に改装
    せざるを得なくなった女が、いずれは失ったはずの金は戻ってくるはず、と
    まるで根拠の無い願望を吐露しながら、銀行員に無利子での貸付を依頼。

    その少し前の場面では、ブランド物やPC等人々の欲望を喚起するような
    商品群が舞台の端で次々にゴミ箱に投げ込まれ、捨てられていく。

    中盤は、上記のエピソードに加え、相当過激な口調で「人々の欲望が
    経済成長につながる」「経済成長あってこその、幸せな暮し」といった感じの
    言説がぼっこぼこにされます。 相当痛快で面白いけど、それまでの
    緩さからの急展開ぷりにギャップを感じざるを得ない(苦笑

    いや、でも、某国政府の首脳陣や○前○一みたいな経済評論家陣にも
    観せてあげたいですよ、本当に。

    最後、人々が全員でガレージに閉じこもり、「生命の息吹」の歌を合唱する。
    警官に扮した体制側がガレージの扉を閉ざしても、歌は決して消える
    事が無く、静かに、しかし、力強く歌い続けられる。 ガレージのシャッターを
    超えて舞台の上、客席の人々の頭上に、そう、暗転するまで。 ずっと。

    それまでの生気の無い雰囲気から一変、地の底のような閉塞した舞台
    空間からまるで芽がゆっくりと確かに芽吹くように。

    人々が、資本側の人間で無い、一般の人々が生命賛歌を口ずさむ。

    その時、この歌は人々の「再生」を意味すると共に、現状にはびこる
    人間を操り人形としてしか捉えないねじ曲げられた資本体制への
    カウンターパンチ、再び立ち上がった彼等の「革命歌」の役割をも
    同時に果たしたのです。 

    地味だけど、最高に美しい瞬間で、力づけられる、人間的な歌の響き、
    時間でした。 全てが素晴らしかったです。

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