かもめ ~断章~(コーラス・ガールも上演決定!) 公演情報 かもめ ~断章~(コーラス・ガールも上演決定!)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 満足度★★★★★

    心の造形美
    いつもの言葉のぶつけ合いで展開していく形式とは違い、まさかここまでコンテンポラリーダンスを意識した作品を作ってくるとは思いもしなかった。

    物語の展開にうまくストリートダンスやロボットダンスを取り入れるのはお手の物な団体だ。
    が今回は語り手を二人に絞り、物語を単純化する一方で、人物の心理や葛藤を表現する踊り手を使い、観る人を飽きさせない独特の動きを取り入れた。

    かもめは大変長い話で、今回は最後の四幕に絞る大胆な構成。

    恋愛物や、青春ものに見えてしまう感じは仕方ないが、ニーナとトレープレフのすれ違いをはっきりと目にすることができたので、そこはさすがである。

    心を映し出した肉体たちが、最後にトレープレフの体とともに吹き飛ぶところは、なんとも言えず寂しく、せつない。


    コーラスガールは、前回も観たが少し上から見下ろすとまた違った雰囲気であった。

    ストリップショーのようなつなぎは、ビックリしたが笑えた。

    一日で、まったく違ったチェーホフに出会ういい時間であった。

  • 満足度★★★★★

    見れました
    今回は三団体合同で公演をしていて、
    前の団体の舞台がすご過ぎて、良い意味でINGがすんなり見れました。
    コーラスガールなんかは笑えてよかったです。
    二作品連続でしたがどちらも面白かったです、お疲れ様でした。

  • 満足度★★★★★

    勢いを感じる作品でした。
    今回も思う存分堪能したと思います!かもめは前回よりも近い位置で見ることが出来、細かい部分まで判りました。メイン二人とコロスの調和が絶妙でしたね。タワーも健在でしたし(笑)
    コーラスガールも今までにない斬新な作品でしたね!!ここの役者さんの身体表現を追求する姿勢は著しいものがあります。これからも良い作品を生み出してください。

  • 満足度★★★★

    異なった空間で拝見
    同じ作品であるがやはり高さと奥行きは大切かなと思いました。
    相変わらず面白い舞台ではあるが、二作品ともに塔の演出など、ところどころが似ていて勿体無い。
    同じチェーホフ作品でもかなり雰囲気の違う舞台ではあるが、もっと全く異なったモノも観たかった。
    今後の作品も期待してしまう、
    それにしても『コーラスガール』は非常に面白い。

  • 満足度★★★★

    新しい「かもめ」「コーラスガール」☆
    なんとも言えない、独特な雰囲気が好きなんです。
    男性数名に女性一人という構成。
    女性が紡ぎだしていくセリフと、男性陣の力強い表現が合わさり、物語が展開していく。INGでしか出来ない「かもめ」と「コーラスガール」ですよね!
    時々入るおちゃめな演出?も好きなんです。

    今度はオリジナル作品を観てみたいと思いました♪

  • 満足度★★★

    青春ノイローゼなチェーホフ。
    チェーホフへの固定観念を打ち砕かれた先月引き続き今回は今年の6月に上演された『かもめ』と8月に上演したばかりの『コーラス・ガール』の2作品同時上演。
    『かもめ』は第四章のトレープレフと二ーナが再会する場面に焦点を絞り、大胆に構成。取り巻きの人々の雑念を排して『君と僕しかいない』セカイ系的世界観に徹したことが原曲よりもかえってふたりのダークサイドがフルスロットルに。繊細に積み重なって。気持ちをぶつける度に現実が絶望の吹きだまりと化す様にカタルシスを感じ。夢のなかで生きていたいと願う厨二病的葛藤もあり。適度なセンチメンタルもあり。極めて青春ノイローゼな味わいでありつつも、ここにいるのにここにいないようなニヒリズムが根底に流れていたこと、そうしたなかで生きることが『かもめ』へのアンサーであるように思えた。
    続いて『コーラス・ガール』。先月観た時より台詞の掛け合いがよく伝わってきた。反面、空間は丁寧に描き過ぎたようにおもえ、コロスの躍動感がペースダウンした印象。私が全体を俯瞰できる位置から観ていたからなのかもしれないけれど、空間に隙間が目立っていたようにも感じた。

    ネタバレBOX

    「わたしはかもめ・・・」
    という二ーナ(中山茉莉)のモノローグからはじまる『かもめ』。
    好きだった男に見捨てられ女優としても鳴かず飛ばずではあるものの、本物の女優として人生を演じ切ろうとする二ーナと、作家としてそれなりに知名度を高めてはいるものの、虚無感は拭えずに。心にぽっかり空いた穴を公二ーナに触れてほしいと願うトレープレフの相容れない想いが交差しないまま、投げだされる。
    ふたりは互いの言葉に耳を傾けることも、相槌を打つことも、向き合うこともできずにただ、ひたすら自問自答を繰り返しているよう。その内容はひどく内省的である。

    彼らの埋まらない距離感や内なる闇を、コロスらが代弁するように積極的に空間を動き回るのだけれど、実はこれに何となくもの足りなさを感じてしまった。
    トレープレフと二ーナが今、どこにいて、時間はどれくらいで、その日はどんな風が吹いているだとか、そういう抒情的な一面や、彼らの哀しみや心のざわめきなどの心情をコロスたちがイマイチ補佐しきれていないような、あるいはフォームの整合性だったりふたりの仲を乱すことだたったりに固執しているように見えてしまった。
    そんな事由から、二ーナとトレープレフの濃密な会話に対してドライでフラットなコロスが、各々独立しているような感覚に陥った。
    個人的には会話劇とコロスのシンクロする瞬間や、『詩』をもっと感じていたかった。

    終盤の、キレキレのダンスとチープな歌入りラップ音のミスマッチ加減はどうも頂けなかった。もっと硬質で暴力的なインストのテクノとかの方が合うようにおもった。
    最後の銃声も、羽の音とかにすると、二ーナが飛び立ったとか消えたとか、もう死んじゃっていなかったとか、色々含みを持たせられたような気がした。

    作品において二ーナ、トレープレフともに差異はあれど、夢想家であることにおいては大体同じでそれがふたりを繋ぎとめていて。
    そんなダウナーな完結した世界にいるふたり、というのは個人的にはとても好きな世界観なのだけど、意外な方向へ話が展開することがなかったのは少し気になった。たとえば『大人代表』みたいな立ち位置で登場したトリゴーリンが、トレープレフに『常識』を植え付けようとしたりちょっとした諍いがあったりするだけで空気感は変わったかもしれないなぁ、とナンセンスコメディの血は騒ぐのでした。まぁ、わざわざ変える必要もなかったとも思うのですが。一応意見として。

    『コーラス・ガール』
    ペトロヴィッチの可憐なる妻(中山茉莉)その取り立て補佐役としてのコロスたちの妙な連帯感、そしてコーラス・ガールのオカマ・・・。この3者の驚異的なアンサンブルはちょっとくらい勢いで走っては壊れない!笑
    こちらも反発と調和を幾度も繰り返した後に巡るカオスが絶妙だと実感すると共に、ing進行形の最大の魅力は、ゴシックでクラシカルな雰囲気を持つ紅一点の中山茉莉の美貌と圧倒的な演技力、彼女の魅力を引き立てるビジュアル系男子たちの統一感のある無個性なのではないかと訝しむ。

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