糸地獄 公演情報 糸地獄」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    迫力、臨場感、申し分ない。
    役者の台詞が明確で強い上にシニアの役者の人生観さえも想像させる。
    最近の小劇場では稀有な価値ある舞台!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    薄暗い、重々しい雰囲気が、時代をよく表していたと、思います。

    ネタバレBOX

    昭和14年にあったであろう、社会状況…戸籍、男女間の関係性など、色々考えながら観劇し、観劇後も色々考えさせられる、シニア劇団せんの熱演でした。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    物語は、昭和14(1939)年という設定で 表層的には女性の地位や労働環境の過酷さを表しているが、現在と比べると、などと思って観ると味気ないかもしれない。確かにジェンダーといった 今に通じるところがあるかもしれないが、もっと深いところで感じる<何か>がある。その抽象的で曖昧模糊とした感覚こそ、この公演の醍醐味であろう。初演は昭和59(1984)年、ラストに表現される「風」、そこに「生きる」という生命力を吹き込んでいる。翻って今 本作品を上演する意味を考えてみると、コロナ禍という閉塞感ある状況を如何に乗り越えて 明日に希望を持つか、を力強く伝えるかのようだ。

    舞台美術が秀逸で、周りを囲むような板敷、中央は窪み糸車が置かれている。四方の天井から赤い太縄が垂れ下がり妖艶さを際立たせる。下手奥に円形の…。周りは外界であり中央は さしずめ奈落を連想させる。その生き地獄は、いつの世でも同じ生き苦しさが付き纏う を暗示しているよう。同時にこの世はままならず、それは自分の生き方にも言える。その目に見えない定め(運命)のようなものに操られる様、それを赤い縄での操演で象徴している。

    本公演に興味を持ったのは、没後20年の岸田理生の代表作だが、未見であったこと。篠本賢一氏の演出という2点であった。舞台美術も然ることながら、役者の動作(例えば、摺り足のような)に独特の様式美を感じる。派手に観(魅)せるのではなく、静かな中に鋼のような強靭さが滲み出ている。昭和という設定・初演から40年を経た今、作品に込められた<思い>は色褪せることなく心に響いてきた。
    (上演時間1時間50分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    全体的に薄暗く、冒頭は外界にいる藁・紐・テグス・水引の4人が四方からペンライトで照らすだけ。そこへ ずぶ濡れになった繭、何を問うても分からない と。記憶喪失で自分の名前しか覚えていない。そして暖を得るため家=糸屋へ向かうが…。糸屋…昼は紡績工場、夜は娼家となり、女たちの衣裳も 昼は白地、夜は赤地の着物へ替わる。見た目の華やかさの裏に隠された身の上話、その悲哀を切々と語りだす。繭はだんだんと記憶を取り戻し、母<記憶or回想>と邂逅するような。

    母と娘、親子という関係の前に それぞれ1人の女でもある。そして昭和から令和へ時代を経ようが子を産むのは女、どんなに医学が発達しようが、その現実は否定出来ない。糸屋は、当時の労働環境や女性蔑視を表しているが、同時に女の性(サガ)をも表している。面<顔なし>男は、娼家の女と情交する客であり世間一般の男である。女と男、そこで交わされるであろう<愛>を排除し、飽くまで オ・ン・ナを描くことで、子を産む=生の承継を描いている。が 女という<性>は子を捨ててまで一途なのかも知れない。

    糸屋の主人、序盤は外界の板敷から奈落を睥睨するように見ている。その姿は厳然たる立場の違いを表すと同時に、男尊女卑といった当時の社会状況を垣間見せる。しかし、その主人が終盤になると窪みに降り立つ。単に舞台上の位置としてではなく、一貫した世界観の違い、性差<LGBTQは承知>の違いを表現してほしいところ。男女の恋愛を描いた作品は多いが、敢えて<愛>を描かないことで人間ドラマになっている。
    シニア世代が演じることで、一人ひとりの人生経験が滲み出ているような。勿論 芝居としては熱演であることは言うまでもない。

    糸車、赤い糸でも巻かれていれば運命といった<命>の絆が連想できただろうが、この公演では何も無い。現代的に見れば<空回り>状態なのだろうか。何となくコロナ禍における状況を皮肉っているようにも思えた。そしてチラシには「土俗的なイメージにあふれ」とあったが、どちらかと言えば洗練された、スタイリッシュという感じなのだ。その意味では令和版「糸地獄」といったところ。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    滅茶苦茶面白い。押井守『イノセンス』とか、りんたろう『迷宮物語』の感覚。合法ドラッグを決めて集合的無意識、そして自らの深層心理にダイヴ。そこは日本人が共有する戦前田舎の紡績工場のイメージ。親に売られた娘達は昼は糸を紡ぎ、夜は自身の色を紡ぐ。
    亀戸にある工場、月のない夜、海から上がって来たずぶ濡れの繭(青木恵さん)は東京湾から上陸して来たようだ。記憶を失くした繭は本能だけで『家』を探す。

    天井から垂れ下がった何本もの赤い太縄。糸屋主人の縄(柘植英樹氏)はSMの緊縛師を思わせる佇まい。その太縄と淫靡に絡み合う女達のエロスが噎せ返るように立ち込める。女達が寝話に語るそれぞれの身の上話。梅の花の入墨を入れる梅(yokoさん)が印象に残った。

    「さやりひゅう」。淫らな秋風が体を駆け抜けてゆくとき、老いさらばえた皺くちゃの女は自らの肉体に涙ぐむ。「さやりひゅう」。
    女性のカルマをリアルに女優達が顕現。この布陣でないと表現出来なかったであろう世界観。

    見事な演出、見事な美術、篠本賢一氏にリスペクト。

    ネタバレBOX

    「吹いてよ、風!」
    風とは『希望』であり、生命を突き動かす奔流のこと。その風を細胞中に感じて、人間は自身を闇から解放する。時にはそれは悪い方向にも行くだろう。歳を取るとそんな風をふっと逃がす方法も身に付けるそうだ。必ず希望はある。きっと良いことがある。全ては上手くいく。

    岸田理生(りお)と言えば『1999年の夏休み』、深津絵里デビュー作の傑作の脚本。未だに衝撃を憶えている。

    後半、からくり人形めいた身の上話辺りから自分的には失速。家とか父とか母とかのテーマになっていくと何かしっくり来ない。『身毒丸』を初めて観た時もそんな感じになった。皮膚感覚として自分には欠けているのかも知れない。血の糸で紡がれた家系図に宙吊りにされた自分。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    記憶喪失になり女郎屋に迷い込んだ少女繭がやがて因縁のある母と対峙する休憩無し約1時間45分、最初は繭も女学生もかなり薹が立っていてえっ?と思ったんですが、シニアな劇団なんですね。ただ繭に関しては最後でそれが効果をあげていました。またセリフ重視で動き少なめの演出のせいか、聞くことに集中することになり少々疲れました。

    ネタバレBOX

    12名いる女郎が最後の2つの場面では何故か10-11人しか登場しておらず、どういった意味があるのか不思議でした。
  • 実演鑑賞

    良い舞台だったと思います。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    色彩の美しさに感動。
    全体に漂う妖艶な雰囲気に圧倒される。
    赤い糸が垂れ下がり、掴み、身悶えしているさまがなんともインパクトありで、目がクギズケになる。
    能か歌舞伎を観ているような、不思議な雰囲気。
    女のひとたちの告白が恐ろしく、夢中になる。
    本物のお芝居というのはこういうものを言うのでは...
    私はまだ、たくさん芝居を観ているわけではないのだが...

    非常に厳しい稽古を積んできた、とパンフレットに書いてあった。
    ひとりひとりの演技力も見事です。
    完成度が高く、とても素晴らしい舞台で、とても満足でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     初日を拝見。旗揚げにしてこの完成度。観るべし! さて、今公演も14日マチネで楽であるから、物語のキーワードを1つだけ挙げておく。以下追記
     三月桜亡きあと、新入りが1人入った。新入りは他の11人とは異なり、無戸籍ではない。
     あと1つとても大切な点があるが、それが何であるかは観てのお楽しみ。観て何であるかをご自分で考えてみて欲しい。自分は14日、研究会があるので研究会終了後の14日夜遅くかその翌日頃種明かしをするつもりである。

    ネタバレBOX

     岸田 理生作1984年初演の今作、時代設定は1939年、所は、表(昼)は「女工哀史」に代表される製糸工場の世界、裏(夜)は吉原などに代表される娼婦の世界に変貌する糸屋。この2つの世界を綯交ぜた世界が失った記憶を徐々に取り戻すヒロイン・繭を通して描かれる。岸田理生の描く世界は今流に言えばジェンダーギャップということになるかも知れぬ。今作はその中でも殊に男社会で生きる女の被差別状況を、最も彼女らしい言葉の魔術と土俗的で猥雑で暴力的とすら言える言の葉と演劇という表現形態で象徴的に示した作品ということができよう。劇団の旗揚げに相応しい極めて内容の濃い、文学として最も本質的な問題提起という使命を果たし続けている作品と言える。台詞は原作に忠実である。演出・舞台美術を篠本 賢一氏、演出助手に渡会 りえさん。登場する役者は18名。舞台美術のセンスが抜群である。観た瞬間、自分は江戸時代の歌舞伎小屋がベースになっているのではないか? と感じた。というのも篠本氏は能を長くやってきた人物であり、歌舞伎にも詳しいことを知っているからでもある。全体の構造が、能の橋掛かりや歌舞伎の花道のような印象を与える大きな掘り炬燵の四囲を囲むかのように設えられた構造に囲まれているばかりではなく、その手前観客席側には明らかに桟敷席を思わせる構造が拵えてあったからである。大きな掘り炬燵のような一段低いエリアは、女工や娼婦たちの抱える地獄を象徴し一段高い地獄を囲む周囲は、地獄を世間と永久に隔てる壁を象徴しているのは無論であろう。而も世間とこの地獄を繋ぐのは、四囲を囲む構造の随所に天井から下げられた紅い糸と風、個的レベルでは繭の持つ瘤だらけの結縄。「現実」とやらを重んじている振りをする世間の価値観からすれば取るに足りぬ象徴に過ぎない。然し、これら総てが男社会の中で生きる女性たちの苦悩を、差別の何たるかを伝え、男社会を前提とし延々と続くこの国の社会体制の中の母と娘の系譜をも炙り出してゆくとしたら? この象徴の意味する所は極めて大きく本質的だと言わねばなるまい。何となれば、生物学的に性差を持つ生き物の生物としてのプロトタイプは♀だからであり、つい最近発見された京大等も関わった国際的研究でジェンダーギャップの大きい社会程大脳皮質の厚みが女性で薄くなるという結果が出ている。興味深いのは、ジェンダーギャップの無い社会では女性の方が大脳皮質の厚みが大きくなるという報告も出ていることだ。自分個人の想像では、脳の個体差では女性の脳の方が男の脳より優秀であることに気付いた男達が、力では女性に勝る男の特性を用いて女性を支配する社会体制を築き、維持してきたのではないか? ということである。Covid-19に対する矛盾だらけの施策もこの国の政治が科学的・合理的な判断に従うことのできない愚か者が社会を仕切っていることの証左だということができよう。
     ところで板上の小道具でとりわけ大きな意味を為すのが糸車であることは容易に納得できよう。ホリゾントやや上手の壁には満月型や四角に場面によって変わる赤い布が見え、四囲の壁を構成する一段高い構造は、繭の通る様々な意味を持つ(記憶を辿る、糸屋へ通じる、或いは系譜を辿るなど)道にもなる。また照明の加減で赤と闇が殆ど見分けのつかない状態になるシーンもある。これなどは所謂忍び(忍者)が新月の晩に用いた忍び装束が赤であったこととも符合する。(白・黒・グレイは明暗の度合いであるから新月の晩のように暗い夜は、明度の差で見分けがつき、隠れることが困難になる。それを避ける為、闇に溶け込む赤装束が用いられたのである)
     役者陣の演技も旗揚げとしては上出来。スタニスラフスキー演劇が目指す最高レベルの演技、役者の身体から滲み出すようなレベル(そんなレベルの役者は、日本全体で手の指の数程も居ないのではないか)には、まだまだ時間と鍛錬も掛かるにせよ、褒めて良いレベルに達しているのは、日本の劇団の稽古日数としては極めて長い5か月に渡って稽古してきた結果であるのは明らかだ。今後も楽しみな劇団である。

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