糸地獄 公演情報 劇団うつり座「糸地獄」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    物語は、昭和14(1939)年という設定で 表層的には女性の地位や労働環境の過酷さを表しているが、現在と比べると、などと思って観ると味気ないかもしれない。確かにジェンダーといった 今に通じるところがあるかもしれないが、もっと深いところで感じる<何か>がある。その抽象的で曖昧模糊とした感覚こそ、この公演の醍醐味であろう。初演は昭和59(1984)年、ラストに表現される「風」、そこに「生きる」という生命力を吹き込んでいる。翻って今 本作品を上演する意味を考えてみると、コロナ禍という閉塞感ある状況を如何に乗り越えて 明日に希望を持つか、を力強く伝えるかのようだ。

    舞台美術が秀逸で、周りを囲むような板敷、中央は窪み糸車が置かれている。四方の天井から赤い太縄が垂れ下がり妖艶さを際立たせる。下手奥に円形の…。周りは外界であり中央は さしずめ奈落を連想させる。その生き地獄は、いつの世でも同じ生き苦しさが付き纏う を暗示しているよう。同時にこの世はままならず、それは自分の生き方にも言える。その目に見えない定め(運命)のようなものに操られる様、それを赤い縄での操演で象徴している。

    本公演に興味を持ったのは、没後20年の岸田理生の代表作だが、未見であったこと。篠本賢一氏の演出という2点であった。舞台美術も然ることながら、役者の動作(例えば、摺り足のような)に独特の様式美を感じる。派手に観(魅)せるのではなく、静かな中に鋼のような強靭さが滲み出ている。昭和という設定・初演から40年を経た今、作品に込められた<思い>は色褪せることなく心に響いてきた。
    (上演時間1時間50分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    全体的に薄暗く、冒頭は外界にいる藁・紐・テグス・水引の4人が四方からペンライトで照らすだけ。そこへ ずぶ濡れになった繭、何を問うても分からない と。記憶喪失で自分の名前しか覚えていない。そして暖を得るため家=糸屋へ向かうが…。糸屋…昼は紡績工場、夜は娼家となり、女たちの衣裳も 昼は白地、夜は赤地の着物へ替わる。見た目の華やかさの裏に隠された身の上話、その悲哀を切々と語りだす。繭はだんだんと記憶を取り戻し、母<記憶or回想>と邂逅するような。

    母と娘、親子という関係の前に それぞれ1人の女でもある。そして昭和から令和へ時代を経ようが子を産むのは女、どんなに医学が発達しようが、その現実は否定出来ない。糸屋は、当時の労働環境や女性蔑視を表しているが、同時に女の性(サガ)をも表している。面<顔なし>男は、娼家の女と情交する客であり世間一般の男である。女と男、そこで交わされるであろう<愛>を排除し、飽くまで オ・ン・ナを描くことで、子を産む=生の承継を描いている。が 女という<性>は子を捨ててまで一途なのかも知れない。

    糸屋の主人、序盤は外界の板敷から奈落を睥睨するように見ている。その姿は厳然たる立場の違いを表すと同時に、男尊女卑といった当時の社会状況を垣間見せる。しかし、その主人が終盤になると窪みに降り立つ。単に舞台上の位置としてではなく、一貫した世界観の違い、性差<LGBTQは承知>の違いを表現してほしいところ。男女の恋愛を描いた作品は多いが、敢えて<愛>を描かないことで人間ドラマになっている。
    シニア世代が演じることで、一人ひとりの人生経験が滲み出ているような。勿論 芝居としては熱演であることは言うまでもない。

    糸車、赤い糸でも巻かれていれば運命といった<命>の絆が連想できただろうが、この公演では何も無い。現代的に見れば<空回り>状態なのだろうか。何となくコロナ禍における状況を皮肉っているようにも思えた。そしてチラシには「土俗的なイメージにあふれ」とあったが、どちらかと言えば洗練された、スタイリッシュという感じなのだ。その意味では令和版「糸地獄」といったところ。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2023/05/14 11:20

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