「ファイナルファンタジー」「やがて僕は拒絶する」 公演情報 「ファイナルファンタジー」「やがて僕は拒絶する」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★

    ファイナルファンタジー
    ストーリー性は薄いのに85(+α)分間、観る側の気持ちを引っ張り続けるのが何ともフシギ。
    それは手法と演技、そしてちりばめられた謎によるものか?
    本作とは真逆でストーリーものでこちらの謎解きもあるという『やがて僕は…』も観たくなったがもはや手遅れ。
    なお、ストーリー性の薄さゆえ、舞台を初めて観る方には向かないかと。

  • 満足度★★★★


    ストーリーはないのにどうしてここまで引っ張れるのか…。空気感で何かを伝えようとしている感覚だった。へんな感覚ではあったが、荒い感じもした。まわりが衣裳になっても僕Tシャツの主人公に展開が読めたが、そうでもして僕はここにいると誇示したかったのかとも解釈できる。飯島愛?のアダルトビデオは蛇足。

  • 満足度★★★★★

    おんらいん
    劇場で実際にオンラインゲームしてたのかな。なんであれすごい不思議なかんじ

  • 満足度★★★

    『ファイナルファンタジー』の回を観ました。
    社会性の無い追いつめられたような青年の、さらに追いつめられていく鬱々たる話。

    ネタバレBOX

    始まる前からひたすらゲームをしている「僕」がいて、人との接触を拒否したような霞のかかった舞台にいきなりカーペンターズの歌声が流れ出して、それがあまりにも合わなくて、それにしてもカレンは澄んだ声をしていたなあと聴き入ってしまいました。

    日本の上空をミサイルが飛ぼうが、大学を卒業もせずにゲームをしている「僕」。しかし、単なる引きこもりではなくレベルアップのアルバイトということで少し安心しました。

    ただ良く聞いてみると、レベルを上げるだけが目的で、本人じゃないから話し掛けられても話してはダメ、ボスキャラと戦ってもダメ、そもそもボスキャラに遭遇してもダメと、他人との関係を持たないことが条件という全く社会性の無い仕事でした。自給750円ということだけが社会との接点というやっぱりほとんど引きこもりでした。

    レベルアップの音に違和感を覚えこのアルバイトすら止めようとする「僕」、この社会性の無い人間が社会との唯一の接点すら無くそうとして彼女に振られ、私はホッとしました。ニートに彼女は要らない!!

    父親が死に仕送りも無くなろうとする現状、どうするんだろう。実家に帰って本格的にニートかな。しかし、経済的背景を持っていないとニートすらできないのが今の社会です。鬱々たる気持ちのときにまたカレンの歌声…、本当に合わないけど素敵でした!

    もしそうだったらですが、手塚のペニス役が初舞台ってどんな気持ちかなと思いました。性に関連した言葉を連発していましたが、テレビと違って舞台は何でもできるんだとばかりに放送禁止用語を多用するのって初演出にありがちなパターンですね。
  • 満足度★★★

    初 劇団エリザベス
    精一杯、変な芝居を提供しようと務めますと
    熱くおっしゃる主宰のk.r.Arry氏にお誘いいただいて
    『ファイナルファンタジー』を鑑賞。

    青年の苦悩、苦悩、苦悩の連続。
    どんな美しい言葉も苦悩の中では悲しく薄っぺらく…。

    確かにかなり変。いい意味でかなり変だ!
    この芝居の全てではないけれど、
    この変なかんじ部分的にはかなりおもしろい。

    次、どんな作品になるのか注目したい。

  • 満足度★★

    拒絶反応
    『やがて僕は拒絶する』を観ました。ストーりーは悪くない。衣装も舞台もいい。ただ今の時代「障害者」連呼はいただけない。他のせりふに代えることはできたのではないか。

  • ファイナルファンタジーみました
    何かを伝えようとする姿勢は評価できるが、
    私の感性には合わなかった。
    期待感・移動時間などが溝に棄てられたような気分を味わった。

    ネタバレBOX

    よかった点:
    すし詰め状態の座席で、養鶏場の雌鳥の気分が味わえた事。
    「僕」役の方の声や動きが、643ノゲッツーの伊藤さんに似ていて楽しめた。
    悪かった点:
    スタッフの後ろの方が見易いとの甘言に乗ったら、
    後ろの音響さんの作業ノイズが時々頭上に響いた。
    AVの画像を流していたが、隣の高校にも上がってなさそうな男の子は、
    母と来ていて、ものすごく間が悪そうだった。
    主人公の「僕」が画面正面に構えて、
    観客に見せないような配慮はするべきでは?
    「変人向け」とすれば、何やっても良いわけではないと思う。
  • 満足度★★★★

    もう少し。
    「やがて僕は拒絶する」を観てきました。
    「ファイナルファンタジー」も観たかったのですが、予定が合わず断念。

    とても抽象的な舞台でした。
    が、こちらに何かを伝えようとしている姿勢があったのでそこら辺はあまり気にならず。

    演出と照明がとても印象的で、照明の綺麗さには感激しました。

    ネタバレBOX

    とても若さが溢れているような舞台で、そんなものが観たいと思って行った私にはピッタリでした。

    セリフのテンポ、言葉の選び方もとてもよく引き込まれました。

    ただ、個人的に主人公の障害者設定がいらなかった気がしました。私の偏見のせいかもしれませんが、障害者という設定をつけることによってそこに何か別の感情が付加されるのでは。それを意図してやっているのであればいいのですが。
    ただの冴えない、社会不適合者の若者じゃダメなんですかね。

    上手く言えないのですが、役者さんの仰々しく誰でもないような演技が、舞台のネジが外れたような世界観をよく表していたと思います。



    ファイナルファンタジーも観たかったな、と後悔してます。
  • 満足度★★★★

    やがて僕は拒絶する
    台詞のリズムと面白さでどんどん芝居に引き込まれる。
    演出面では照明と衣裳が素敵だった。

    役者は主人公役の尾山タカシが達者だった。
    ちょっと追いかけてみたくなる劇団だ。

  • 満足度★★★★

    脚本が秀逸
    両作品とも観劇。ファイナルファンタジーのほうが好み。前の人も書いているが、本当に同一の作者なのかと思うほどに脚本が綿密に、そして対比的に描かれている。両作品観てもらいたい。久々に脚本で魅せる劇団だと感じた。

  • 満足度★★★★

    青年の苦悩が詰まってる。
    2作品観劇。両方とも僕のあがきやもがき、苛立ちを濃縮還元にして制限時間内いっぱいにフルスピードで押し切ったような、俗に言って青年の苦悩をテーマにしていたが、見せ方も演技の質も全く違っていて、ほんとうに同じひとが描いた作品なのかと疑うほどだった。
    なんでも当パンの主宰のあいさつ文によると片方の作品が好きだともう片方の作品はキライになるように心掛けたそうでご多聞に漏れず、私もそのようになった。
    『やがて僕は拒絶する』の方は登場人物たちが自分の気持ちを素直に吐き出すことが多かったので、それぞれの苦悩がよく伝わってきたが、そのすべてが僕が僕を肯定するためにでっちあげるたくさんの嘘だとすると、言葉の持つ意味合いが反転するように思える演出が秀逸。
    一方、『ファイナルファンタジー』は、つまらない日常から全力で逃走しようとしている僕の話。
    現実なんてクダラナイぜ。っていう精神状態を中指を突き立てて大人に歯向かったり、世の中に対する不平不満をそーゆー仲間を集めてロックな音楽に乗せて歌ったりするようなわかりやすすぎるエネルギー行動に流れずに、何かのせいにしてヘラヘラ笑ってフラフラネトゲーに勤しんでいる『僕』の不健全さ、そのアナーキズムが最高。
    そして、大事な言葉をあえてサラリと受け流すスノッブさが、現代口語演劇をアイロニカルに表現しているようでかなりツボだった。
    どちらを観ようか迷ってる方は両方見たほうがいいとおもうけど、安全な場所からダメ人間を眺めていたいひとは『やがて僕は拒絶する』を、現実逃避が趣味なひとは『ファイナルファンタジー』を個人的にはお勧めします。

    ネタバレBOX

    両作品とも登場するのは僕の母、僕の彼女、僕の友人で、僕をとりまく身近な人々との対話が『僕は拒絶する』では僕の脳内において、『ファイナルファンタジー』では細々とした会話が僕の部屋で交される。

    ただこの作品のなかで特徴的なのは、僕以外の登場人物たちの実体が見えにくいというか、消失している、妄想の産物ですらあるように見せている点であろう。

    事実、彼/彼女たちは、それぞれ僕の『彼女』『友人』『母』を演じているに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。だから、余計な感傷も感情移入も受け付けないし、無印良品の商品みたいにクリーンでドライなイメージだ。

    そして、彼/彼女たちの言動はとっても軽いから、自意識過剰の僕には重すぎる。重すぎるから、他者とのコミュニケーションをファンタジーである。と受け止める。なぜなら、そうしなければ現実をまともに生きていられないからだ。

    しかしそんな風にはぐらかして自分を騙し続けられるほど『僕』は強くないし、強くないと信じていたい。だからいつか心はぐしゃっと潰れてしまう。
    するともう、目の前には絶望しかなくて。死にたい、だなんて安易な欲望にすり替える。

    生きるか、死ぬかの瀬戸際で関わりあった彼/彼女たちとのオモイデを頭んなかに描きながら自己対峙するのが『僕はやがて拒絶する』であったのではないか、とおもう。

    この作品のなかで『僕』は28歳で派遣切りにあった障害者として描かれる。
    おそらく、生きることへの苦難や苦悩を障害者という形にして表現していたのだろうが、これらの情報は不要におもえた。
    そんな風な設定を整えなくたって充分伝わる内容なのではないか、と感じたのだ。
    それに、障害者だから健常者より生きるのがつらいよね・・・的な差別心がとても頂けない。
    僕が好きなら僕の糞を食べるべきだ、というくだりにも絶句した。
    (←しかも人糞はネタ的にも新しくない。ソドムの市とかピンクフラミンゴとか見てるひとたちに対して不親切!笑)
    更に、客入れの時に筋肉少女帯の『踊るダメ人間』がヘビロテされてて苦行の30分だった。
    ほんとにダメなひとは筋少なんか聞かないだろうし、踊るダメ人間のサビでジャンプしたりしないでしょ。笑

    あと気になったのは、物語が全体的に、ダメなひととはこーゆーひとのことを言うんじゃないだろうか。的な一般論の偏見で満たされているような感じがしてしまったこと。

    脚本のなかで唯一、すっごいオリジナルとおもったのは、パソコンけーたい破壊自殺のくだりと、僕の彼女に好き好き大好きとか超言いまくるところ。あれはすごくよかった。

    ネタバレ外にも書いたけど、この作品はとにかく空間演出が優れているとおもった。僕と対話するひとをひとりづつロシアンルーレットのように回転させて、『僕』の混乱をも表現する。キミもボクも地球だって、ぐるぐる回る。

    ただ、役者の演技についてはちょっと過剰だったような気はした。自分がどちらかといえば、辛い時にほんとにひとは辛いと言えるのかな、とか泣きたい時に泣けないことだってあるんじゃないか。とかおもったりする側だから、なのかもしれないけれど。
    あと、妖精ちっくな衣装も、正直言ってあんまり・・・だった。
    30まで童貞だったら妖精になれるとかいう都市伝説をベースにしてるっぽくて、そういうのもなんだかなぁ・・・苦笑

    というわけで、この作品に対して抱いた感想ははっきり言うと『嫌悪感』だった故、まんまと公演の意図に乗せられたのだけれど、
    この作品の次の日に『ファイナルファンタジー』を観る予定を入れていたので、一抹の不安がよぎったことも確か。しかし、それは杞憂に終わった。
    それどころか『ファイファン』最高!でございます。
    もっと言ってしまうと、ファイファンしか観ていなければ、満足度は星5つあっても足りないくらいだった。それほどまでにグッときたのだった。

    話のなかで言わんとしていることは『やがて僕は拒絶する』と同じではあるものの、『僕』と僕をとりまく人々のそれぞれの生活感が身体に染みついる感じがして、説得力が凄まじかった。

    『僕』は観客のいる客席という現実から背を向けて、ひたすらネトゲーというめくるめくファンタジアと向き合っているわけだけど。そんな態度であるくせに、ティーシャーツの背中には『僕』という意思表示をしっかり行っていて。
    僕は確かに今ここに存在しているということを叫び、訴えているようだった。

    『僕』と世界を繋げるものは、ネトゲーと携帯電話だけで。それ以外の物、たとえばお風呂とか冷蔵庫とか、スイカとかそーゆーものは普通にあるけど、適当に抽象化されている。ドアなんて、普通に透明。日常会話も普通にあるし、友だち・彼女・親とだって普通に話す。それなりに。
    まったく楽しくもない、生産性のない会話。一方通行の関係性。
    そしてだらだらと果てしなく続いていく日常。その倦怠感。わかるな、この感覚。そして「オレの人生、レベルアップするだけだから。」とか、「目が死んでるところが最高なんだよねー」という台詞とか、自分が戦うのは怖いから、誰か代わりに戦ってくれよ。みたいな他力本願さとか。共感するばかりだった。

    だけど、いつか現実を直視しないといけない時は必然的にやってくるわけで。
    そん時は自分自身で戦わなくちゃいけない。終盤でコントローラーに操られてゲームの世界を走り回る『僕』は、現実と向き合うための訓練をしていたのかな。最後、『僕』はうつむきながら正面を向く。
    『クダラナイ日常』と向き合うことは絶望的ではあるけれど、それが希望だと信じるフリして生きるほかない。それが、『ファイナルファンタジー』だとおもった。

    この作品は、色んな事象がメタファーで彩られていたから、観るひとがそれぞれ想像できる自由度があって。押しつけがましくない感じが観ていてとても心地よかった。多くの台詞は鋭利なナイフのようにささくれ立っていたけれど、それ以上に空気感で何かを伝えようとしているように思えて、それもよかった。
    あと、全編に散りばめられたギャグセンスもすばらしかった。特に、性行為が『はばたき』のイメージっていうのはかなり面白かった。妖精役のひとの動き・表情も変態気質でかなり萌えた。Wあと、手塚の○○○。あれはズルイ。けど相当面白い。大人しく退場せずに、カーテンからチラチラと客席を伺う時のあの顔には奥ゆかしささえあった。笑
    あと、尾崎豊を『自殺』『恋人』『若者』のメタファーとして登場させる手腕がアイロニカルでいいとおもった。

    終盤のコントローラーに操られた僕が走り回るシーンでwowakaの『ロンリーガール』が流れた時はかなりビビった。あの曲、死ぬほど好きだから。だけど、なんでオリジナルの方じゃなかったのかはかなり謎。原曲のキーはもっと高いハズなんだけど。あと、歌詞の内容を重視するなら、ロンリーガール&ロンリーボーイの両面で作品をつくって、繋がりたいのに繋がれない、繋がらない僕たちとか、出会いたいのに出会わない、出会えない、出会うことを拒絶する僕たち、とかっていう形にしてもよかったんじゃないかとおもった。

    それから気になったのは、弾道ミサイルのくだり。『壊れゆく世界』を気に留めない僕、だったり終末感的なデカダンを表現していたのかもしれないけれど、ちょっと中途半端だったとおもう。今、日本は戦地でどこもかしこもすごいことになってる、みたいな混乱をもっと話のなかに噛ませてもいいとおもった。

    ともあれ、自叙伝的な2作品だと勝手に想像したので、次回作がどうなるのかかなり期待。
  • 満足度★★★★

    なんかよくわからないが
    斬新だったかもしれない

  • 満足度★★★

    ニンゲン
    「人間」よりは「ニンゲン」て書きたくなるような感覚を受けた。
    当パンに注意書きのように書かれていた質問に答えるならば、「好き」

    ネタバレBOX

    水の音を使った演出がお気に入り。前半の役者の力の抜けた感じも好きでした。

    中盤以降でAVを使ったり、欽ちゃんのあの音が流れたり、同じ台詞を繰り返す辺りは、ちょっとダレた。

    「繰り返してしまう何か」を表現したいのかなとも思ったけど。正直早く終わんないかなと思ってしまった。緻密にやらないならパワーが欲しいと思った。

    それにしても最近小劇場でのAKB遭遇率が…高い(笑)。

    お疲れ様でした。

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