風変わりなロマンス / 悲しみ 公演情報 風変わりなロマンス / 悲しみ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    声の力
    声の力を感じるとともに、そこから生み出される空間と情景に感動した。

  • 満足度★★★★★

    贅沢な2本立て
    初見の劇団です。テネシー・ウィリアムズとチェーホフの短篇2本立てなんて珍しい企画と思いましたが、大人向けのとても素敵な趣向でした。休憩10分挟んでの2時間。贅沢な内容でとっても得した気分です。

    ネタバレBOX

    テネシー・ ウィリアムズの「風変わりなロマンス」。
    幕開きにアパートの女主人(山下夕佳)がカーテンを開けるしぐさ、それだけで、テネシー・ ウィリアムズらしいけだるい空気が漂うのを感じた。
    鉄工の街にやってきた男(久野壱弘)は安アパートの1室を格安家賃で借りることになる。ラテン系の血を引くという女主人は、バラライカをかき鳴らしながら、男と少しだけ話をしていく。寝たきりの夫(劇には登場しない)と年老いた目の不自由な舅(嶋隆静)との暮らしに飽きている風情だ。男は人前ではカツラをかぶって別人格を装っていたが、女主人は男の正体を見破り、一人寝のさみしさを訴え、男を誘惑する。
    旅を続けてきた男は孤独で人間不信なのか、前の借主になついていた野良猫ニチボを可愛がり、一生懸命、ニチボーに話しかけていた。部屋をいったん解約した男がふたたび戻ってくると、新しい住人のボクサー(中山真)がいた。女主人はボクサーと関係を結んでいるらしく、2人は男を冷たく愚弄する。
    猫のニチボーの姿を探し求める男。外へ出て行くと舅が一緒に探している様子。窓から2人の様子をながめている女主人とボクサー。「目の見えない舅に探してもらっても、見つかりっこない」と冷笑していたが、男たちは猫をみつけたらしく、女主人の顔に笑みが浮かぶ。
    旅を続けた男と女のゆきずりの関係ははっきりとは描かれないが、閉塞感のある街での内に傷を秘めた人間同士の交わらない関係性が浮き彫りになる息苦しさがいかにもテネシー・ウィリアムズの世界。
    偶然にも最近カツラの出てくる芝居を3本立て続けに観たので、とても不思議な気分だった(笑)。髪の毛があるとないとでは、男性は本当に印象が変わるんだなぁと改めて感心(そういう芝居ではないでしょうが)。

    チェーホフの「悲しみ」。ベッド状のそりのような舞台装置。そりに病気で瀕死の女房マトリョーナ(横尾香代子)をくくりつけて医者のところに向かう初老の夫グリーシカ(石坂重二)。40年間、女房には苦労のかけどおしの悪い夫だった。
    もし、40年前に戻ってもう一度女房との人生をやり直せたら・・・。「幸せにしてやろう」と誓って結婚したはずの若き日の二人。それは回想であり、もう一度やり直したとしたらのシミュレーンドラマにも見える。
    結局、夫は妻を幸せにはしてやれず、妻は病死する。後悔しても遅い。妻は生き返ったりしない(旦那族必見!奥さんは大事にしましょう)。
    コロス(関根好香、志賀聖子、清水理沙、小笠原游大、田邊佳祐)が吹雪の効果音や、台詞、アカペラで歌唱などを担当し、すばらしい演出効果だった(脚本・演出・作曲は前嶋のの)。
    清水理沙の美しい歌声。電動夏子安置システムへの客演でよく観ていた志賀の別の一面も発見できた。


  • 満足度★★★★

    2作に共通点がありましたね。
    見た人はわかります。「悲しみ」の演出&出演者がすばらしかった。語り&合唱のコロス5人を配したことで、演出家のいう「原作のスピード感」が表現できたと思う。

  • 満足度★★★★

    観劇をした!って思いになりました。
    古めかしい感じはあるが、二つの作品がまったく別の役者で演じられると言う新しいタイプ。「悲しみ」の5人のコロスの存在は風景であり時の流れであり、
    感情の揺れのようだ。先の見えない暗闇の遠くから聞こえてくる様な「ほーほ-ほーほ-」の美しい声は過ぎてきた人生の足跡や様々な思い出を否定するようでもあり、また思い起こさせるものでもあるのだろうか。あの声を又どこかで聞いてみたいものだ。帰り道「ほーほ-ほーほー」と歌いながら帰路についた。

  • 満足度★★★★★

    芸術的なセンス
    あっぱれ!という言葉以外に賛辞の表現を思いつかないほどの秀逸な舞台だった。特に「悲しみ」の演出は叙情的でもありギリシャ神話をも思わせるような美しく甘美でもありながら、現実に襲い掛かる悲しみと後悔の負の感情表現を見事に表現していた。なにより、演じたキャストらが素晴らしい。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    「風変わりなロマンス」
    孤独な独身男・ウェアーは何をやっても上手くいかない。他人と関わること自体が苦手で、自らも殻に閉じ込めてしまう。そんな男がある日、下町の古びた宿屋に泊まるも、そこの女主人・べラと情を交わしてしまう。女主人も家族がありながら孤独だったのだが、自由奔放な女でもあった。

    ベラはそんなウェアーに対して「男に必要なのは女なのよ。家族を持たない男は家族に捧げる愛情を他で埋めようとするから、気がつかないうちに変人になってしまうの。」などと会話をしながら楽器を奏で心を開かせようとするも、既に妄想のなかで生きてるウェアーは猫のニチボーにしか心を開くことが出来なかった。そんなウェアーに苛立ち、ベラはニチボーを捨ててしまう。

    ショックで精神的に病んだウェアーは精神科の病棟に入院するも退院して宿屋を訪れると、ベラは既に宿泊客とデキておりニチボーは相変わらず、行方不明だった。ベラに追い出されたウェアーは必死になってニチボーを探し、再会する。

    宿屋の部屋でベラが奏でる楽器が一番美しいシーンだった。癒しを求めていたウェアーはベラの強引なアプローチによって関係してしまうも、この後のニチボーを巡っての言葉による傷つけあいの展開は、「だから俺は人間が苦手なんだ。」といわんばかりのウェアーの心の叫びが聞こえるようで、脱力感、失望感や挫折感を伴った舞台だった。最後の希望としてニチボーと再会できたのが救い。



    「悲しみ」
    実に美しい場面だった、コロス達の天使の歌声に神的な震撼を覚えたほど。老人グリーシカは女房のマトリョーナを酒の勢いを借りて、殴ってしまう。倒れるストリョーナ。驚いたグリーシカは老いぼれの牝馬でドクターの元に走るもマトリョーナは息を引き取ってしまう。この時になってようやく己のマトリョーナの対する仕打ちを後悔するも、どうすることも出来なかった。

    若かりし頃の夫婦の生活情景から、やがて、グリーシカが働かなくなり酒に溺れ、女房のマトリョーナを母親と勘違いして甘え、挙句、殴って殺してしまった愚か者の老人の描写の仕方を過去と現在を交差させながら、コロス達の歌声とともに詩的に演出する。この演出の仕方が実に美しくこの世とは思えない場面だった。ドクターの顔の演出も素晴らしい。ファンタジー的でもある。

    グリーシカはマトリョーナを失ってはじめて、「人生はなんとあっというまに過ぎて行くのだろう。もういっぺんやり直せたらな~。。酒と喧嘩と貧乏に紛れてあっというまに過ぎてしまった。そういやマトリョーナな奴、物乞いしたこともあったな~、俺をこんな奴だと思ったまま逝っちまった。もう10年生きてたら、俺だって・・・、ああ、もういっぺんやり直せたらな~。。」と呟く。

    愛情、友情、依存、共栄の対象が失って初めて、「悲しみ」を感じ、対象と自身とのつながりが強い程、深い悲しみが訪れたグリーシカだったが、彼の最大の悲しみは過ぎ去ったものへの後悔と大事にしてやれなかった対象が失われた深さに大きく起因し、そして自身の孤独だ。

    だから・・、自身の脳でその現実を受け止めるとともにこみ上げてくる感情は事実を否定したいほど悲しむのだが、現実は今を拒絶する。

    清水理沙の天使の声が破壊的なほど美しい。役に見合った年齢のキャストらはこの舞台を崇高なほど完璧に仕上げていた。芸術的な舞台だった。。
  • 満足度★★★★

    個人的には
    物語自体が、自分の趣味では、ありません。ごめんなさい。
    なのに、俳優さんたちの引力に、見事に引き込まれていきました。その目の輝きの変わる瞬間や、景色や情景を連れてくる様は、ベテランならではの凄さで、舞台の醍醐味だと痛感致しました♪・・・と言うのは、ネタバレにて

    ネタバレBOX

    <風変わりなロマンス>各々の虚しさと喜びの心の叫びが伝わりました。久野さんの泣き顔も笑顔も、魅力的でした。

    <哀しみ>風の精達のレクイエム?、みんなで、声を揃えたりなんて、私の趣味じゃないんだけど・・主人公の苦しみと、照明さんの影や光の使い方に、支えられて、効果が出たと思いました。医師の表現も、意外なんだけど、印象的でダリ?ピカソ?に、負けず劣らず、引き付けられました。・・でも・・悲しすぎて・・!!!舞台挨拶の石坂さんの笑顔に救われた!と言うか、やっと、現実に戻れました。でも、10月公演も、是非、観たいと思いました。

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