Do!太宰 公演情報 Do!太宰」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
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  • 二人の人生
    役者の動きで広い劇空間を埋めていることに好感。テンポ良く話が進んでいき、太宰と作家の重なりは確かに見えてくるのだけども、どうしても端役の印象が薄かったような覚えがある。見方が悪かったのかもしれないが、いまいち人間関係の全てを把握できなかった。

    そしてやはり上演時間の長さは気になる。話が「続いている」感じがしてしまい、先の展開にめちゃくちゃ興味が湧いてくるわけではなかった。でもこれはこれで一つの作風で、僕なんかがケチをつける権利は全くないので、あくまでも個人的な感想です。

  • 満足度★★★★

    おもしろかった。
    関係性を把握するのに時間がかかった。太宰読んだ事無いけど楽しめました。

  • 満足度★★★★

    オーソドックスな演出で劇世界を深く豊かに、そして遠くへ
     太宰治作品やその登場人物、太宰自身と彼の周囲の人々のエピソードと平行して、ブルドッキング・ヘッドロックという劇団の成り立ちや内部事情、たとえば脚本家(喜安浩平さん)の脚本執筆が遅いことや劇団員の生活が厳しいことなどを、暴露するように見せていきます。
     私小説を書いた太宰と劇団史(部分的に私戯曲)を書く喜安さんが重なり、太宰作品および太宰の人生と現代の若者の群像劇が相似していく脚本がとんでもなく面白いです。

     台を山車のように、壁を障子のようにスライドさせ、動画や文字映像を壁に映すなどして多くの場所、時代へとすいすい場面転換していきます。装置による演劇的演出がとても巧みです。今では見慣れた、もしかすると少し古さも感じる演出方法かもしれません。でも太宰を見る私、私を見る太宰、その双方を見つめる私(観客)という多層空間が力強く立ち上がっており、オーソドックスな手法から生まれるマジックを再確認できました。

     しかし、いかんせん全体的に役者さんの演技は上手いわけではなく・・・作品として拝見する体勢を整えるまでに長い時間がかかってしまいました。
     男子高校生役を演じた時の津留崎夏子さんの、思い切った振り切れっぷりには見入りました。津留崎さんのことは他劇団の公演でもよく拝見していましたが、違った面を見せていただけました。

     制作面についてはロビーでの物販が充実しており、10周年記念のTシャツの色が豊富で、思わず物色してしまいました(笑)。DVDだけでなくサウンドトラックも作ってらっしゃるんですね。
     総勢17人という劇団体制は、今の小劇場の状況から考えると大所帯だ言っていいと思います。大人数のマンパワーを今後も大いに見せつけていっていただけたらと思います。

    ネタバレBOX

     終盤の展開に心奪われました。突然日本の主要都市がテロに襲われ、戦争状態になってしまいます。劇団の過去と現状を太宰および太宰作品と重ねるだけに終わらず、架空の未来の姿を示したことで、日本の内にとどまらない普遍性を感じ取れました。
     (終演後に主宰の西山宏幸さんに伺ったところ、戦火を逃げ惑った太宰と重ねた場面だったそうです)
  • 満足度★★★

    映像トラブルが残念
    過剰とか無駄とか言われかねないほどの、様々な要素を詰め込み、それを終盤に向かいぎゅっとまとめていくところなど、ケラさんの影響を感じますが、とてもそれを上手く消化しているように思いました。ただし、観劇した回が映像機器のトラブルがあり、オープニング映像からきちんと出ていなかったようです。途中で、これ以上は難しいと判断した演出家が出てきて中断し、映像機器を調整して再開しましたが、やはり本調子には戻らなかったようでした。
    映像がある種重要な役割を果たしていたと、他の回を観劇した方から聞いただけに、その点はちょっと残念でした。
    以降の公演への振替招待もアナウンスされましたが、三鷹という距離の問題と、スケジュールの問題でそれも出来ず。ブルドッキングヘッドロック本来のポテンシャルを測り切れず、ちょっと残念。

  • 満足度★★★

    みた
    舞台装置の使い方が、ああなんかすごいって思った。
    いつのまにか、変わってる。

    話はいい意味で馬鹿で、でもけっこうくどいところもあって、残り10分のところでうとうとしてしまった。

    雨の日は体力を奪われるわね。

  • 満足度★★★★

    観客を楽しませるすべを知っている
    ブルドッキングヘッドロック、初見です。上演時間が2時間以上と聞いて「でも星のホールは座席がよいから・・・」と思って行ったら、中の様子はいつもとは違い、小劇場っぽくパイプ椅子が並べられていた。配慮で薄いクッションが3枚ほど重ねられていたが、時間が経つと、滑ってふわふわ浮き上がってくる。うーん(笑)。しかし、お芝居のほうはすこぶる面白かった。
    太宰のイメージを壊すことなく、独自カラーを打ち出している、なんて月並みな表現が自分でも腹立たしくなるほど、このお芝居の素晴らしさをうまく表現できないのがもどかしい。
    喜安さんは観客を楽しませるすべを知っている人だと思いました。「何と当たり前のことを」と思われるかもしれませんが、そのすべを知らないような作品に当たる機会も多いので。
    「古典」に挑戦している多くの小劇場系劇団の作・演出家に観てもらいたいなぁと思った作品でした。
    余談だが、つい最近、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」に喜安さんが出演するというので注目して見たら、とても面白かった。貸本漫画専門の出版社に売り込みにきてケンもホロロに社長のうじきつよしに追い帰される漫画家の役だが、ほんのわずかしか映らないチョイ役にもかかわらず、その演技で漫画業界の厳しい現状を地獄絵図のようにしかも滑稽に体現し、印象付けた。家族と見ていて大笑いし、おそらく後々までも忘れられない場面になると思った。これほどの演技勘のある人だから、きっと面白い芝居を作れるだろうと直感した。だから「Do!太宰」にはとても期待していたのである。
    上演時間は2時間20分でもそれほど悪くはなかったが、中盤で少し疲れも感じたので、欲を言えばこれを2時間以内にまとめあげれば、なお、お見事だったと思う。
    ですから、限りなく星5つに近い4つです。

    ネタバレBOX

    どんなふうに始まるんだろう、と思っていたら、「ハァ、ハァ」という息遣いだけが聞こえてきて、いきなり「走れメロス」のメロスの登場である。この冒頭で、まず食いついてしまった。「走れメロス」は教科書に載ることが多く、太宰治の作品としては一番知られているかもしれないが、このメロス(武藤心平)の走り方がとてもよかった。作品のイメージ通りの「メロス」なのだ。
    交錯するひとつひとつの場面にとても説得力があるので、好感を持てた。
    創作活動を行う人物として、東風山オサム(篠原トオル)、辻馬はじめ(寺井義貴)、斎田才蔵(馬場泰範)、土島シュウジ(菅原功人)、太宰に似た男(西山宏幸)など複数の人物を登場させ、現代人にも共感を持てるよう、太宰の側面を多角的に描いていく。
    自主映画作りに取り組む高校生、迫路正人(磯和武明)や中野正雄(津留崎夏子)や、バンド活動をするビトウ(中澤功)もまた、「創作」に意欲を持つ人々だ。
    「文章を書く」ということと映像の世界はまた別もののようだが、太宰の絶筆となった「グッド・バイ」は、実は映画化を前提とする書き下ろし作品であったことなどを思いながら観ていた。だからこそ、東風山の作品が映像化されるにあたってのテレビ局の人間たちとの打ち合わせで齟齬のある場面なども面白かった。
    「風の便り」をモチーフとした辻馬が尊敬する作家に手紙を書く場面は、後年発見された、太宰が川端康成に宛てて必死に自分をアピールして書いた手紙のことをも思い出させた。
    斎田が回想する職場の女性との心中場面も太宰の最初の心中未遂事件(相手の女性は亡くなったが)のとき心情をよく表現していて感心した。
    東風山オサムと太宰風の小説家の「男」とは親しい友人という設定で、「男」を偲ぶ会を催す。席上、高倉健ばりの俳優・岡倉真子太郎(岡山誠)がひとり芝居で太宰の「女学生」を演じてみせるが、これが可笑しいけれど、この可笑しさが妙に原作の読後感とマッチしており、東風山の娘チコ(永井幸子)が紙芝居で読む「美少女」も私が太宰の視点に感じるものをよく表現していた。少女の入浴を眺める絵の隅に印象薄く描かれた「私=男性」が太宰の小説の印象を見事に視覚化している。女性のパーツを描いた赤裸々な絵に参会者たちがドギマギする場面の演技がとても自然でよい。そしてこのドギマギ感は、太宰が描く「女性が主人公の小説」に対して抱いた私の生理的感覚を体現しているようで惹きこまれた。
    メロスが作中人物代表で喪服を着て座っていたり、チコだけに小説家の「男」の存在が見えるのも面白い。
    「男」の風貌が太宰のイメージ通りなのも感心した。「男」とこれまで関わってきた女たちが恨み言を言って責める場面なども象徴的で巧い。
    オサムとアシスタントの女性が不倫をしていて、生まれる子に名前の一字をとりたいという場面。これが太宰と太田静子の関係を暗示しており、「ウンペイならウン子になってしまうぞ」と言われ、「違います!本名じゃなくて、オサムのほう。ハル子がいいわ」というやり取りが笑える。「末娘の太田治子さんのことも描くなんてきめ細かい!」と一緒に観た連れも高く評価していた。
    終盤で、東京に大規模テロをきっかけとする戦争が起こり、壊滅的状況となる中、正人や土島、ビトウらがそれぞれ、新たな創作活動に希望を抱き始める場面は、太宰が敗戦の混乱状況の中で創作に取り組んだことを連想させる。
    映像字幕や大道具の使い方も効果的で上手いと思った。ただ、一箇所だけ気になったのは、オサムと友人の高校教師檀田(佐藤幾優)が話し合う場面。2人の座る椅子と机が舞台の奥に置かれて客席から遠いのだが、小さな劇場でされるような会話の声のトーンなので、だだっ広い舞台で小劇場の芝居を観ているように余白の大きさを感じてしまった。これは演技の質のことではなく、位置的な問題だ。椅子と机の手前にセリ穴があるため、やむえなかったのかもしれないが、ここだけ強い違和感が残った。ただ、このときの2人の会話は芝居としてはとても良かったので、念のため。
    今回は前提に「太宰治」という課題があって、作品創りにも制約があったかもしれないが、今後もブルドッキングヘッドロックの芝居に注目したいと思う。
  • 満足度★★★

    力作かな?
    軽~いおもしろシーン→津留崎夏子のモノローグ→タイトルバック
    の流れは見事なオープニングで引き込まれた。
    が、中だるみもちらほら。2時間20分は長く感じた。
    やたらに大人数の男優陣よりも女優陣に目がいく。
    作品を詰め込み過ぎの印象。
    それでも充分おもしろいのは地肩の強さかなぁ。

    ネタバレBOX

    どうしても「世田谷カフカ」が頭に浮かぶ構成。
    同じことをやるなら、より洗練されたものを観たかった。
    永井幸子、多彩なキャラクターが楽しい。
    津留崎夏子、一見清楚な人妻はお手のものか。
    男子高校生役とのギャップがいい。
    キャストの多さもあるが、男優陣は精彩を欠いていた。
  • 満足度★★★★

    充実した作品
    太宰を知らなくても、楽しめます。
    初めての三鷹でしたが、いい劇場ですね。存分にステージ構造を活用していました。

    ナイロン100℃の『世田谷カフカ』を連想させますね。

    役の関係性がいまいち分かってませんが、おもしろいのは確かです。

  • 満足度★★★★

    やっとこさ・・・!
    初ブルです!ようやく観劇することができました。
    この作品でヨカッタ。舞台、物語の構成力に唸りました。
    空間いっぱいに役者たち。それぞれの人物たちの個々の物語が
    縦横無尽に連なってひとつの大きな絵になり、等身大のドラマを描いてました。太宰知らなくても、十分楽しめます。
    途中、若干、長さを感じる部分もありましたが笑、トータル的にセンスよいですよね★
    その昔、知りえた懐かしい人々の姿も目にし、感慨ひとしおです。
    ともあれ、今後もぜひ頑張ってほしいです!!

  • 満足度★★★

    やはり良作
    なかなか難しい構成の作品ですが、ブルドッキングヘッドロックの良さを堪能できます。

  • 満足度★★★★★

    細かいエピソードがうねり、大きな物語を作り上げた
    様々なエピソードは、物語の縦糸や横糸で、ちょっとだけ視線を離すと、そこには俳優たちや舞台装置などがきらきら輝く、大きなタペストリーが出来上がっていた。
    そんな舞台だった。

    大人数の出演者がいて、さらに彼らが何役も、役名のある登場人物を演じる。
    そして、ダイナミックで奥行きのある舞台装置と、その転換、さらに物語の構成と演出は素晴らしい。

    息の飲んで見入ってしまった。
    激しい台詞のやり取りはない。むしろ、柔軟さのようなものを感じた。
    ユーモアもあるし。

    そして、この舞台は、10周年を迎えた、劇団、というより、そこにうごめく個々人の「表現者」としての宣言でもあったように思えた

    ネタバレBOX

    女の間を行き来し、それを題材として、最後には自らの命を絶つ男。派遣会社の御曹司で、脚本家、小説家として名前が売れてきた男。売れない役者の男。小説を書くと言っては挫折し、映画を撮ると言っては挫折し、舞台の台本を書くと言っては挫折する男。路上ライブをする売れない男。そんな男たちのエピソードが、太宰の作品からの引用と、ブルドッキングヘッドロック自体の過去の作品の引用を散りばめながら進んで行く。

    その根幹にある太い幹は、「表現者」だ。
    「表現すること」とは、食べて排泄することと同じであり、極めて自然なことであり、やめることもできない。
    食べるのは自分の人生であったり、自分とかかわってきた者たちの人生でもある。そして、排泄される表現物は、強い臭いを放ち、ときには自らも傷つける。

    「なぜやるのか」との問いに対しては「やりたいから」というシンプルな答えしかなく、それはストレートな真実である。それ以上のものは存在しない。

    彼ら表現者たちの苦悩は、「表現することの苦悩」と言ってしまえば、それまでである。
    しかし、その「苦悩」は、彼らの「夢」でもある。夢の中に苦悩があり、苦悩と夢は一体でもある。その夢と苦悩の中で、永遠にもがくのだ。

    表現することは、その排泄物が残るにせよ、残らないにせよ、無間地獄でもある。どこにも到達できる安住の地はない。
    だから、結局何も「表現物」として、生み出す(というより排泄する)ことがなかったとしても、排泄することに苦悩する限り「表現者」である。


    表現者としてのレベルはどんな者も同じだ。苦悩の意味が違っていても。
    それは例えば、「それをやっていても食えない」ということでも「ネタがない」ということでも「自分の思い通りにならない」ということでも同じだ。
    単に、現時点での社会の評価が違うだけだ。


    その点、舞台に現れる女たちは違う。
    とても魅力的に見えてくる。どの女性も魅力的だ。
    女性は強い。そして、優しい。根を大地に張っている。
    包み込むような慈愛がある。

    男たちは、その女性に求め、女性はそれに応えてくれる。
    応え方は、いろいろだ。
    従順に従うだけでなく、責めたり、なじったりもする。しかし、それは愛でもある。

    どうも、男女間の関係や、その「役割」のようなものに、作者の気持ちが表れているようにしか思えない。「夢を追うのは男」で、それを「見守るのが女」というような。それは、願望なのか、夢なのか、希望なのか。

    ラストに戦争が起こり、自分以外の表現者たちが死んでしまえばいいのに、と思う醜い心もさらけ出す。これはある意味本音だろう。でも現実ではない。それももちろん理解している。
    テストの前の日に、学校が火事になってしまえばいいのに、と思ったとしても現実にはそんなことが起こらないようにだ。

    自分の夢を諦めず進んで行く姿は美しくはないかもしれない。そして、彼らを励ます舞台ではないかもしれない。
    ただし、「今、そのまっただ中にある」自分たちの10年とこれから先の「表現者」としての未来を見据え、それでも、だからこそ「排泄するように」そして、「やりたいからやる」という自然で、当然な行為を、終わりのない(死んでからも終わりのない)無間地獄の中で、続けていくという宣言が込められているのだろうと受け取った。

    1つだけ注文をつけるとしたら、ブルドッキングヘッドロックの過去の作品に関するエピソードの紹介についてである。
    これは、劇団と一緒に歴史を歩んできたファンにとっては、とても面白いものだっただろうと思う。
    私のように歴史の浅い者にとっては、さほどの感動も感傷もなく、ただ見ただけ。
    10周年ということで、是非ともそんなことも盛り込みたかったという、自己満足、自己愛(劇団LOVE)は理解できるが、引用は太宰だけで十分だったのではないだろうか。そんな気がした。
  • 満足度★★★

    練られた感じがとってもいい!
    太宰が好きでも好きじゃなくてもBHLが好きでも好きじゃなくても、未経験でも経験済みでも十分おもしろい。知らない作品からの引用でも太宰、こんな感じかぁっていうのはとても伝わるし、それがBHLっぽいおもしろさに直結。おバカだけどなんか人生の悲哀も考えられちゃうような。

    ネタバレBOX

    津留崎さんの中学生男子姿がかなりのヒットでした。その辺がブルだよね。

    ちょっと長すぎて追いきれない部分があったからほんとはもう1回くらい確認しに行きたいんだけど。おそらく太宰をいろいろ読んだら捨て切れない部分が多くて長くなったんじゃないかと。すっごくわかる。でもそれを思い切って落として、本当に好きな部分だけど拾って欲しかった感じはあります。
  • 満足度★★★★

    観たよ!面白かったよ!!
    良かった。好きです。もう一度観たいと思いました。
    映像や音楽、空間の使い方どれを取っても素晴らしい。
    この作品を観るにあたり、太宰作品をまとめ買いしましたが、ほとんど読み進められぬまま観劇。観劇後は、太宰作品を読むヒントを与えてもらったような気がしてさっそく読破態勢。
    芸術関係に身を置かず、常に受け身なだけの私にとって、しばしば作品内で訴えられる「芸術を発信する意義」は、時として、押し付けられるばかりの感触の良いものではありませんでした。しかしこの作品は、演劇に対する、芸術に対する彼らの思いを私も応援したいと思わせてくれました。
    まずは次回作、そしてこの次の10年、それから100年先まで微力ながら力いっぱい応援します。

  • 満足度★★★★★

    古くて新しい物語、大きな演劇
    演劇ならではの時空間の仕組みを利用した“手法”で、あたらしさや面白さを提供することが、演劇界のひとつのトレンドになっていたような気がする昨今。

    でも、今回のこの作品はしっかりとした物語の中で、オリジナリティも現代性も、そして、演劇ならではのダイナミズムも実現していたと思います。

    こういった「物語」の中でさまざまな試みに挑戦することの潔さには今ドキなかなか出会えなかったという気もします。2時間20分(休憩なし)の長尺もさほど気になりませんでした。



    ネタバレBOX

    太宰(と思われる男)の葬式に漫画家が友人として参加していたりと、現在の日常を生きる人々と太宰作品の世界を自然につないでいく手つきは、観客を気持ちよく作品の流れにのせてくれます。

    太宰らしき男とその作品の登場人物たち、読者、書き手である喜安さんの作品の登場人物、そして現代を生きる漫画家と周辺の人々……が、入り乱れる構造は、ポップに軽やかに、「太宰治の作家像」を超え、やがて「創作することの意味」にたどりつきます。


    独特のナイーヴさとそれを自ら相対化しウジウジする小心ぶり、そんな自分が大好きなナルシシズム……太宰治という人のさまざまな側面(それは一つでもあるけれど)は、多かれ少なかれ、誰もが持っているもの。だからこそ読者たちは「私のことを書いている」と口々に言うのでしょう。

    作中では作品=排泄物といった表現が登場しますが、その発言にこそ私は作り手の大いなる自信を感じもしました。

    ラスト、どこまでメッセージをハッキリ出すのか――ということに関してはきっと、好みの分かれるところかもしれませんが(あまり言わないのも、かえってあざといとは思いますし)……いずれにせよ、「今、ココで演劇をする/観る」ことの意味をしっかり示した作品だったと思います。
  • 満足度★★★

    思った以上に
    太宰であったよ

  • 満足度★★★★★

    いろんな意味でDoしている
    ここ数年観てきているが、前作までとはまた異なる演出方法、頭を刺激する構成などで、盛りだくさんでも最後まで楽しめる。集中力は必要ですが。

    ネタバレBOX

    実際に太宰作品を引用してみたり、太宰的思考回路の登場人物が出てきたり、太宰と同様、劇団の史実の自虐的な引用があったり、なにかと太宰的。だけど笑える。そこは、この劇団的。

    近年、いろんな「太宰をモチーフにした作品」があったが、どうやら私はこういうのが好き。
  • 満足度★★★

    カフカ
    を題材にしたナイロン100℃の構成に似ていたが

    それはそれ


    あの構成はある種、正解であって(私、個人の考えでは)


    喜安氏はさらに
    ブルらしさを練りこんでいた、、、気がする


    次はどこでやるんだろう



    星のホールを広々と使い終わった後は


    やはり少し小さめの劇場で、
    あるいはもっと大きな劇場で、


    次回が早くも楽しみです


    まだDoも終わってないのに
    あらやだ、Doしましょ

  • 満足度★★★★

    全然長く感じなかった。
    最初に2時間越えると聞かされ、お尻痛くなるな~と
    覚悟していたのですが、美術も面白いし映像も良いし
    ストーリーも、喜安さんの熱い気持ちが伝わりました。
    さすがです。
    もちろん太宰さん知らなくても大丈夫です、十分に楽しめます。

  • 満足度★★★★

    太宰を読んだことがなくても十分楽しい
    対象を直接芝居にするのではなくオリジナルストーリーに原典の味や匂いを練り込むスタイルで確かに太宰を読んだことがなくても十分楽しい。
    ただ、終盤で広げた風呂敷が畳みきれないのはちょっと残念。
    あと、映像関係で不測のトラブルがあるも誠意ある対応に好感。

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