Do!太宰 公演情報 ブルドッキングヘッドロック「Do!太宰」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    観客を楽しませるすべを知っている
    ブルドッキングヘッドロック、初見です。上演時間が2時間以上と聞いて「でも星のホールは座席がよいから・・・」と思って行ったら、中の様子はいつもとは違い、小劇場っぽくパイプ椅子が並べられていた。配慮で薄いクッションが3枚ほど重ねられていたが、時間が経つと、滑ってふわふわ浮き上がってくる。うーん(笑)。しかし、お芝居のほうはすこぶる面白かった。
    太宰のイメージを壊すことなく、独自カラーを打ち出している、なんて月並みな表現が自分でも腹立たしくなるほど、このお芝居の素晴らしさをうまく表現できないのがもどかしい。
    喜安さんは観客を楽しませるすべを知っている人だと思いました。「何と当たり前のことを」と思われるかもしれませんが、そのすべを知らないような作品に当たる機会も多いので。
    「古典」に挑戦している多くの小劇場系劇団の作・演出家に観てもらいたいなぁと思った作品でした。
    余談だが、つい最近、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」に喜安さんが出演するというので注目して見たら、とても面白かった。貸本漫画専門の出版社に売り込みにきてケンもホロロに社長のうじきつよしに追い帰される漫画家の役だが、ほんのわずかしか映らないチョイ役にもかかわらず、その演技で漫画業界の厳しい現状を地獄絵図のようにしかも滑稽に体現し、印象付けた。家族と見ていて大笑いし、おそらく後々までも忘れられない場面になると思った。これほどの演技勘のある人だから、きっと面白い芝居を作れるだろうと直感した。だから「Do!太宰」にはとても期待していたのである。
    上演時間は2時間20分でもそれほど悪くはなかったが、中盤で少し疲れも感じたので、欲を言えばこれを2時間以内にまとめあげれば、なお、お見事だったと思う。
    ですから、限りなく星5つに近い4つです。

    ネタバレBOX

    どんなふうに始まるんだろう、と思っていたら、「ハァ、ハァ」という息遣いだけが聞こえてきて、いきなり「走れメロス」のメロスの登場である。この冒頭で、まず食いついてしまった。「走れメロス」は教科書に載ることが多く、太宰治の作品としては一番知られているかもしれないが、このメロス(武藤心平)の走り方がとてもよかった。作品のイメージ通りの「メロス」なのだ。
    交錯するひとつひとつの場面にとても説得力があるので、好感を持てた。
    創作活動を行う人物として、東風山オサム(篠原トオル)、辻馬はじめ(寺井義貴)、斎田才蔵(馬場泰範)、土島シュウジ(菅原功人)、太宰に似た男(西山宏幸)など複数の人物を登場させ、現代人にも共感を持てるよう、太宰の側面を多角的に描いていく。
    自主映画作りに取り組む高校生、迫路正人(磯和武明)や中野正雄(津留崎夏子)や、バンド活動をするビトウ(中澤功)もまた、「創作」に意欲を持つ人々だ。
    「文章を書く」ということと映像の世界はまた別もののようだが、太宰の絶筆となった「グッド・バイ」は、実は映画化を前提とする書き下ろし作品であったことなどを思いながら観ていた。だからこそ、東風山の作品が映像化されるにあたってのテレビ局の人間たちとの打ち合わせで齟齬のある場面なども面白かった。
    「風の便り」をモチーフとした辻馬が尊敬する作家に手紙を書く場面は、後年発見された、太宰が川端康成に宛てて必死に自分をアピールして書いた手紙のことをも思い出させた。
    斎田が回想する職場の女性との心中場面も太宰の最初の心中未遂事件(相手の女性は亡くなったが)のとき心情をよく表現していて感心した。
    東風山オサムと太宰風の小説家の「男」とは親しい友人という設定で、「男」を偲ぶ会を催す。席上、高倉健ばりの俳優・岡倉真子太郎(岡山誠)がひとり芝居で太宰の「女学生」を演じてみせるが、これが可笑しいけれど、この可笑しさが妙に原作の読後感とマッチしており、東風山の娘チコ(永井幸子)が紙芝居で読む「美少女」も私が太宰の視点に感じるものをよく表現していた。少女の入浴を眺める絵の隅に印象薄く描かれた「私=男性」が太宰の小説の印象を見事に視覚化している。女性のパーツを描いた赤裸々な絵に参会者たちがドギマギする場面の演技がとても自然でよい。そしてこのドギマギ感は、太宰が描く「女性が主人公の小説」に対して抱いた私の生理的感覚を体現しているようで惹きこまれた。
    メロスが作中人物代表で喪服を着て座っていたり、チコだけに小説家の「男」の存在が見えるのも面白い。
    「男」の風貌が太宰のイメージ通りなのも感心した。「男」とこれまで関わってきた女たちが恨み言を言って責める場面なども象徴的で巧い。
    オサムとアシスタントの女性が不倫をしていて、生まれる子に名前の一字をとりたいという場面。これが太宰と太田静子の関係を暗示しており、「ウンペイならウン子になってしまうぞ」と言われ、「違います!本名じゃなくて、オサムのほう。ハル子がいいわ」というやり取りが笑える。「末娘の太田治子さんのことも描くなんてきめ細かい!」と一緒に観た連れも高く評価していた。
    終盤で、東京に大規模テロをきっかけとする戦争が起こり、壊滅的状況となる中、正人や土島、ビトウらがそれぞれ、新たな創作活動に希望を抱き始める場面は、太宰が敗戦の混乱状況の中で創作に取り組んだことを連想させる。
    映像字幕や大道具の使い方も効果的で上手いと思った。ただ、一箇所だけ気になったのは、オサムと友人の高校教師檀田(佐藤幾優)が話し合う場面。2人の座る椅子と机が舞台の奥に置かれて客席から遠いのだが、小さな劇場でされるような会話の声のトーンなので、だだっ広い舞台で小劇場の芝居を観ているように余白の大きさを感じてしまった。これは演技の質のことではなく、位置的な問題だ。椅子と机の手前にセリ穴があるため、やむえなかったのかもしれないが、ここだけ強い違和感が残った。ただ、このときの2人の会話は芝居としてはとても良かったので、念のため。
    今回は前提に「太宰治」という課題があって、作品創りにも制約があったかもしれないが、今後もブルドッキングヘッドロックの芝居に注目したいと思う。

    0

    2010/05/24 19:32

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大