THE BEE 公演情報 THE BEE」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-20件 / 26件中
  • 満足度★★★★★

    演劇の持つ可能性を
    見せてくれた芝居だったと思います。

  • メモ
    ロンドンバージョン。
    野田秀樹を小劇場で。なんたる贅沢。

  • 満足度★★★★★

    圧巻。
    話のテンポにあっという間にのまれてしまいました。
    観終わった時はしばしの放心状態でした笑

    野田秀樹は言葉遊びというイメージがあるけど、舞台上の、演劇としての遊び方も天才的だと思いました。

    個人的にコンドルズの近藤さんの演技が見れて嬉しい♪

  • 満足度★★★★

    野田スタイルが良い意味で集約されている
    シアタートラムで昨日から始まった野田地図の番外公演「THE BEE」を観てきた。

    少ない役者、短い上演時間と、すっかり知力も体力も衰えてしまった僕には非常にありがたい芝居。

    人間、小道具を次から次へとその役割を変えさせていく野田スタイルが良い意味で集約された感じで、安心して観ていられる。

    ネタバレBOX

    #今の野田秀樹のスタイルは、おおまかに言うと次の4つ。
    1.道具を多面的に利用する(観客に想像力を要求)
    2.一人の人間に複数の役割を与える(=オシムスタイル)
    3.スピードを変える(=スローモーションの多用)
    4.人間の良心への期待(落ち続けることが出来る夜長姫との対比)

    今回、舞台で大きな役割を果たすのは一枚の大きな紙。これが最初から最後まで舞台の中央に存在し、そしてクライマックスまでに広げた風呂敷を全て包み込む役割までを果たす。特に影絵を投影するスクリーンとしての役割は秀逸で、またそこで展開される影絵と映像の混在具合が非常に面白い(影なのかと思ったら影ではなく、途中からそれが勝手に動き出すとか)。

    短い芝居の中で受け取るメッセージは人それぞれだと思う。マスコミの、被害者に対する傍若無人ぶりとか、警官の役人的な対応とかに怒りをぶつける人もいるだろうし、絶対的な強者が弱者と表裏一体であることを再確認する人もいるだろうし、被害者が一転して加害者になることを目にしてイラク問題について考える人もいるはず。じゃぁ、僕は何を感じたのかというと、野田さんの芸風って、最近変わったなぁ、ということ。非常にストレートに自分の問題意識を芝居を通じて観客にぶつけるようになったと思う。どこまでも落ちていく夜長姫を殺すことによって「落ちていくことができない人間」を浮き彫りにしたのが以前の野田秀樹だが、今の野田秀樹は前作(今作はその前にロンドンで上映された芝居の日本バージョンだが)の「ロープ」同様、直接落ちていくことを表現している。

    この感覚、最近何かで感じたなぁと思ったのだけれど、思い出した。

    テレビのワイドショーやら、歌番組やらに出演している役者達の反応。物凄い勢いでうなずいたり、思い切り眉間に皺を寄せたり、そうそう、ホンジャマカの恵俊彰やら、東ちづるあたりがテレビで展開しているアレ。「お前ら、ブラウン管(そろそろ死語)の前にいる人間を馬鹿にしているだろっ」と思ってしまうようなわかりやすいリアクション。あれにちょっと似ている。昔はああいうリアクションって小林幸子だけだったけれど、最近はみんなやってるよねぇ。なんか、テレビの製作サイドに馬鹿にされているようなアレ。まぁ、そこまで極端ではないのだけれど(笑)。

    いつから芸風が変わったのかって、やっぱり9.11以降なんだろうなぁ。

    ちなみに役者の部分でも色々と見所があった。特に途中からは影に徹する浅野氏が面白い。
  • 満足度★★★★

    もうちょっとお客が入っても良さそうなものなのに
    日本バージョンを二回観たのだけれど、ロンドンバージョンも観てきた。

    全体的なストーリーはほぼ一緒。使っている小道具が色々異なっていて、メインになるモノが日本バージョンでは紙だったのに対して、こちらはゴムひも。どちらが優れているのか、というのは微妙なところだと思うけれど、恐らく日本にフィットした、そして英国では英国にフィットした設定をしたのだろう。それは非常にわかりやすいレベルで成功していたと思う。

    日本と英国でどこが違うのか。それは、日本がわび・さびの文化の延長というか、「沈黙は金なり」的な文化と言うか、「間」で演出できることに対して、英国では「表情」で演出して客に訴えるのが一般的、ということなのかもしれない。

    ネタバレBOX

    日本バージョンでは、影絵が重要な役割を果たす。モノクロの影だから、当然表情はない。しかし、そこから日本人は様々な情報を読み取ることができる。その情報を元に、想像力を書きたてられ、頭を使わされ、心地よい疲労感と共に演劇を観終わることになる。一方で、ロンドンバージョンは日本バージョンで紙を使っていたところにマジックミラーを使っている。当然のことながら、ミラーの向こうの役者の表情は非常に良く分かる。そこに繰り広げられるのはアナログの世界である。そして、そこからはたっぷりと役者から情報が放たれる。想像力は必要ないが、役者の勢いに圧倒されないように踏ん張っておく必要がある。

    日英の文化の違いを良く考えた上で、同じテーマ、同じストーリーにも関わらず見事に二通りの舞台を作り上げた野田秀樹氏はさすがである。

    残念なのは、こちらの英国バージョンの入りがイマイチだったということ。公演末期はそれなりに人が入っていたようだが、出足は決して良くはなかったようだ。わざわざロンドンまでいかなくても日本で観ることができるなんて、こんなラッキーなことはないのに。日本版と英国版が全然違う、ということをきちんとPRできていなかったこともあると思うが、ここまでセットが違うなら、半年ぐらい時間を置いた方が良かったのかも知れない。何にしても、日本の演劇文化もまだまだこの程度、と言う事かもしれない。

    それはそうと、主役の女性は、ハリポタのHarry Potter and the Order of the Phoenixの裁判シーンで証人(フィッグばあさん?)をやっていた役者さんですよね?あのダミ声は地なんですね。野田秀樹氏自身、円城寺あや氏、そしてKathryn Hunter氏と、野田氏の女性の声の好みがわかります。そういえば竹下明子氏もあんまり声が透き通っているタイプではなかった。
  • 満足度★★★★★

    野田秀樹を小さい劇場の最前列で!
    演者の汗が飛んでくる、息遣いが聞こえる。これぞまさしく小劇場演劇の醍醐味であるわけですが、それをNODA・MAPで経験できることの喜びたるや。シアタートラム最前列。いまにも手が届きそうな目の前で野田秀樹が汗だくになっていました。秋山奈津子があられもない姿で絶叫します。ええ応援します、しますとも。次はキル。なんて幸せな時代なんでしょう。眼福があふれてます。

    ネタバレBOX

    セットは、天井から吊るされた一枚の大きな厚紙のみ。それを垂らしたり、引き上げて、破いたり、切り抜いたり、一部に明かりを当てたりして、シーンを作り出します。演劇的なるものは何かを教えてくれるセットでした。
  • 満足度★★★★★

    日本・ロンドンバージョン共に
    基本的な演出は同じだけど、装置が違いました。
    よくもここまで思いつけるなと感動。
    脚本もよかったけど、野田秀樹の日本版演技が特にすごい。
    そして秋山奈津子のセクシーさにやられた。
    見てよかった。

  • 満足度★★

    う~ん・・・
    別に悪いわけではなかったが、物足りない感じでした。

  • 濃い
    日本版は観られなかったので、内容も全く知らないままに観劇。
    字幕はつらいですね。ちょっと気を取られるとすぐに舞台への集中が切れてしまいました。

    ネタバレBOX

    蜂のイメージシーンはほとんど理解できなくて、あとで脚本を読んでやっとわかった・・・。
    でも、ひとつひとつのせりふや、男女入れ替えのキャストや、ハーフミラーの演出から見えてくるものも多く、短い作品ながらものすごく深くて濃密でした。
  • 俳優野田さんがすごい
    すごくうまくいったときの歌舞伎や
    マイルスデイビスのようだった
    そう、ここまで、できる
    負けてはいけないのであたまのなかであしががくがくする
    ロンドンバージョン。

  • ロンドンバージョン観劇。
    日本バージョンとはまた違ったメタリックな装置。日本版を観ていたので字幕は苦になりませんでした。個人的には日本版の演出の方が好きです。特にラスト。が、やはり溜息。凄。驚。怖。

  • 満足度★★★★★

    ロンドンバージョン
    野田秀樹のお芝居はテンポが早いので、流れを追うだけで精一杯
    になってしまう私です(^^;)
    「BEE-ロンドンバージョン-」、
    前半、野田とイギリスの俳優達とは、畳み込む様に
    絶妙なアップテンポで笑いを取り、コミカルな登場人物を演じ、
    後半は、じっくり、ジワジワと状況が変化し、
    気が付くと、登場人物も観客も狂気の中にいる。
    抜け出せない状況にはまっていく暴力性。
    被害者も加害者も、繰り返されていく内に、麻痺してしまう。
    最近、ニュースで耳にする犯罪や、泥沼化する戦争(世界情勢)など
    も啓示するような作品でした。
    怖い話です。。。だけど、再演があれば観るべし!

  • 満足度★★★★★

    私小説的な、あるいは批評的な
    これはぶっちゃけレイプだ。

    僕が・・・すなわち日本的な文化受容体が、独自の世界を言語的な差異で守ろうと言うのに、英国の役者たちは、その豊かな表現で、むりやりに僕らに意味を、物語を、肉体を、その体臭を伝えてくる。

    それは客観視され、他人にどのように自分が映るかを知り尽くした計算高い表現だということで、それはそのまま演技を、私小説的なものと真逆にある批評的なものへと昇華する。男が女を演じ、女が男を演じると言うのも、批評的である。(それでは歌舞伎や宝塚が批評的なのかということは、ここでは置いておくとして)
    日本版がリアル・・・私小説的・・・女が女を、男が男を演じ・・・肉体的表現が抑制されている・・・抑制されても意味を汲み取れる・・・その分、映像的な処理や理解できる日本語でたすけられてもいるから・・・僕らは日本人だから・・・ということと比較して、英国版は戯画化され、構造化され、客観化され、男女の表現は入れ替わり誇張され無理やり意味を観客の口に押し込める・・・レイプする。それは黒船だ。

    しかし、日本人は・・・というか僕は、その客観化された物語を拒絶する。僕は日本人が好きだ。私小説が好きだ。客観性の無いblogの恥ずかしい日記が好きだ。という、なんとも肉体的なところに観客がもどっていかざるをえないというか、はっきり言って、僕は日本バージョンのほうが好きだし心に刺さる。というのは、単純に、世界的な事件で、英国人が死ぬより、日本人が死んだほうが、悲しいと言う、肉体的な親近感に通じる話だろうが、日本人は日本人だから・・・だから日本人なのだ。

  • 満足度★★★★★

    同じ内容からことなるニュアンス
    日本版に続いてロンドン版をみました。

    まったく同じ戯曲なのに、ニュアンスが若干ちがうのが興味深い。

    まあ、観ていてただではすまない芝居でしたが、日本版とあわせてみていると同じ横顔も右からと左からではかなり違うように、観た感じがかなり違っていておもしろかった。

    どちらにしてもありえないほど演劇的なレベルは高いとはおもいましたが、どちらがすきかといわれると日本語版のほうが若干好きかもしれません

    ネタバレBOX

    野田氏の女装があまりにもナチュラルでびっくり。

    物語にあたりまえに存在できる力を有していたと思います
  • 200707241930
    200707241930@シアタートラム/当日券


  • 蜂はどういう意味なのか?頭がグルグル回った。

  • 満足度★★★

    ロンドンver.
    舞台美術が楽しめたロンドンバージョン。
    もともとが短編の話だからか70分は短く感じました。
    のめりこんだのは無言のシーン。
    同じことが繰返されるかのようにみえて、
    少しずつ何かが崩れていく。

    でも6500円は高い。
    良いのか悪いのか分からないけれど
    見終わっても釈然としない何かがある。

    ネタバレBOX

    マスコミの場面。
    輪ゴムを使った演出で、
    井戸(キャサリン・ハンター)がマスコミ陣から
    伸びたゴムで物理的な攻撃を受ける!
    そう思ってました。
    バシッって。
    アイタッって。

    実際はそんなことはありません。。。
  • 満足度★★★★

    日本版
    前作「ロープ」が個人的に全く受け付けなかったので、クチコミが出始めてからの観劇。落ちて行く最初のきっかけさえ受け入れてしまえば、あとは劇的な遊び・仕掛けも楽しみつつ、内容へ。
    久々のヒット。

  • 満足度★★★★

    【ロンドン版】怖かった・・・!
    日本版とは全く違う味わい。大人の成熟空間でした。野田さんセクシー!感想はトラックバックしました。

    ネタバレBOX

    あの無言シーンで流れるのがオペラ「蝶々夫人」の曲だとわかった時、鳥肌が立ちました。
  • 満足度★★★★★

    ハイビジョンで観るような
    筒井康隆氏の原作を踏襲してはいるのですが、それを踏み越えた世界が舞台に展開してしてました。

    ある意味シンプルな構成なのにそこからたちあがって来る狂気はまるでハイビジョンを観るように細密で…。

    その衝撃はしばらくあとを引くような…。

    ロンドンバージョンも楽しみになりました。

    ネタバレBOX

    後半、舞台は原作を凌駕します。暴力と狂気の中に日常生活のルーティンが生まれて、その時間が粛々と劇場全体を包み込みます。

    食事を準備する音、手を洗い、ひげをそり、人質の指を切り落とす・・・。そしてまぐわう。

    狂気の果て、蜂の羽音に埋没していく姿に、観客はただ愕然と舞台を観つめることになります。
    舞台が原作を跨いで別の世界に踏み込んだ瞬間です。

    その粟立つような感覚…。多分、将来語り草になるような舞台でありました。

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