加担者 公演情報 「加担者」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 3.9
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    演劇観た~!って久しぶりに感じられるお芝居でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    全ての人間が加担者。物語に救いがない!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2022/09/04 (日) 14:00

    近年流行りのデュレンマットの作品。千秋楽に滑り込んだが面白かった。133分。
     6月に『貴婦人の来訪』を興味深く観て、同作家の戯曲を観てみた。オープニング、登場人物全員が1列に並ぶというのは驚いたが、後は1場毎に、主たる登場人物が客席に向かって語りかけ、そこから芝居に入る型式が面白い。物語はリアルなようでいて極めて寓話的で、徐々に嫌な世界観に進む。嫌な世界観、というのがデュレンマットの特徴のようで、それでも嫌な感じにならない作りが怖い。ドクを演じた小須田康人は久々に観たがしっかりと健在、紅一点の月船さららの美しさは眼福。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    デュレンマットの戯曲は政治的寓話劇である。硬派で政治的なドイツ演劇の系譜に位置すると言っていいだろう。本作で面白かったのは、ボス(外山誠二)の「インテリは自分も現実を生きているくせに、理想の国から批判する。罪を感じているのに、自分は無罪だと主張する」という、手厳しいインテリ批判。しかしそれは作者自身の姿でもある。絶世の美女アン(月船さらら)が、なぜ何の魅力も感じられないドク(小須田康人)を好きになるのか、それが説得力がないのが残念。

    寓意や作者の世界観が前面に出て、すべてはそうあるように展開し、驚きや謎がない。ドラマより思想優先の作劇は、やたら独白(観客に直接語る独白。傍白ではない)が多いことにも表れている。そういえば、冒頭からドクの長い独白だった。独白、独白、独白。
    主要登場人物の3人の名がドク、ボス、コップと役割から来たニックネームでしかないところにも、この作品の抽象的性格が表れている。「大統領は殺しても遺体は残す、「国葬」の楽しみを国民から奪わないため」というセリフはあるが、それが安倍元首相の国葬とリンクするから現代的というわけではないだろう。

    ネタバレBOX

    大化学企業を相続した連れ子のビル(三津谷亮)が、ドクの息子だったというのは意外な展開だけれど、それ以上の展開に活かされない。ジャック(大原康裕)が、時間を先回りして、ビルと自分が殺される場面から語り出すように、作者は、物語の意外性をはなからもたせないようにしている。確信犯ではある。

    コップ(山本亨)が、かつて義侠心を発揮した自分の行動―検事、市長、州知事、最高裁判事に次々、悪を取り締まるべきことを訴え、そのたびに煮え湯を飲まされる体験を語る。それぞれのお偉方の腐敗ぶりを声色とセリフ回しで演じ分ける長台詞は、一番の見どころであった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    2回目。凄く短く感じた。6場位の話なのだが、本当に2時間15分あったのか?そう考えるとよく出来ている。外山誠二氏も山本亨氏もノリノリで舞台を破壊。クズ野郎の伊藤公一氏と内田健介氏の会話から、それぞれに立派な息子や娘がいることが判るのもまた巧い。

    ネタバレBOX

    愛した女も息子もみんな殺されて、しかも正当な報酬である金も毟られる、散々なラスト。ボロボロの身体をゆっくりと動かして死体処理の仕事に戻るドク。ラストは『悪魔を憐れむ歌』の方が良かった。

    ライダーマンのカセットアーム(アタッチメント・ロープアーム)を思わせる山本亨氏の義手がカッコイイ。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    昨年の「物理学者たち」で知った20世紀の劇作家ディレンマットの名を目にする機会が、今年6月新国立「貴婦人の来訪」、そして今作と(なぜか?)続く。
    挑発的な、濃い戯曲で、科学者の倫理を問う今作と「物理学者たち」は共に寓意性が高いが、今作がよりグロテスクである。というのは、既に死んだ者が平然と’(時系列を無視して?)登場したりする事以外は「リアル」の範疇で、描き出されるのは(「物理学者たち」が不条理劇に近いのに対し)人間同士が日常の延長で関わる風景であったりする。
    舞台となる「地下」の用途目的、状況(死体溶解装置が置かれている)自体が異常であり、(装置を作った)元科学者が日常を送る場であるという設定は、異常を意識する時間と、無意識化される時間とを作り出す。
    現代の「異常さに慣れ切った」側面が凝縮されたとも言える場に高給と住処を宛がわれた彼は、最も観る者が感情移入する登場人物ではあるが、それが観る者の正常感覚を揺さぶる。
    ドイツ語圏スイスのこの作家は上記「物理学者たち」で名声を手にし、本作の「大失敗」(Wikiより)で戯曲に手を出さなくなったとか。元々小説家、エッセイ作家でもある彼の戯曲は数は少ないがどれも20世紀的問題臭を強烈に放つ。ただ今作「加担者」は世紀を跨いで跋扈する「神から最も遠い」呪われた何かの影を突き出してくる。
    話の展開は神経を石臼で挽くようだがどこか甘味で、人間(自分)への深い疑いと絶望を抱いたときに却って人間(自分)を愛おしくなるあの瞬間の記憶が掠める。

    ネタバレBOX

    メメントCの前回公演「わたしの心にそっとふれて」は認知症医療の実践家であった医師が自らの認知症に直面して苦悩し、家族との繋がりの中に辛うじて居場所を見出す物語であった。この中心人物を圧倒的な存在感で演じた外山誠二(後で思い出した)が、本舞台で「悪」の元締め役を演じたのだが・・。
    自分が観た回では台詞が心許なく、そのせいかどうか、このボス役本来のありようとの距離を感じながら見ていた。
    本作は、科学と倫理の根幹があやふやで正邪との境界すら霞んだ現代の、本来なら不安に満ちた状況とは裏腹に、物質的充足で日常の「生」が成立してしまう有りようを残酷な皮肉で抉り出す。
    主人公である元研究者に死体溶解の仕事をオファーするボスは、倫理不在の象徴的存在であるが、この人物にもっと肉薄した「見え方」があったとすれば・・と考える。悪に染まる者の精神構造の「見えなさ」に当て嵌まるキャラクターを思い浮かべるのには、映画が手っ取り早く、「タクシードライバー」の主人公や「ゴッドファーザー」の人物たち(無論中心はマーロンブランド演ずるドン)、「ノーカントリー」の殺人鬼あたりに考察の手掛りも。。当人は優れて論理に従って「正しく」生きている、矛盾なく成立している姿。だから怖い。芝居の中で主人公はそれこそ平然と死体を処理し続ける身分となっているが、収入によって地位が決まるアメリカ社会で「教授」職でなくとも自分の科学的知見の活用により「金」を生んでいる状況に彼は満足する(しようとして成功している・・何しろ評価の証である収入が保障されている)。だが最後にその無防備さゆえにしっぺ返しを食う。
    再度映画に戻れば、コーエン兄弟の「ミラーズ・クロッシング」では主人公のボス(アイルランド系)の対抗勢力であるイタリア人マフィアのボスが、自らの行動を律する論理(哲学)を折節に口にするのだが、この描写は中々実態に迫っているのではないか。悪は正当化し続けなければならない。舞台の方のボスもやたらと喋る。己の思考を全て辿り切らなければ済まないかのように。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    五十年も前に書かれたスイスのデュレンマットの日本初演が、まるで時局問題劇のように見えるのも演劇の面白いところだ。
    世を捨てたかに見える化学者(小須田康人)がたまたま暗黒街の大ボス(外山誠二)と知り合いになり、化学の知識を生かして地下五階のラボで死体を溶解する仕事をはじめ、自らの生活を回復する。もちろん悪いヤツらは次々と警察(山本亨)や政治家にも手を伸ばして、化学者の知識を食い物にする。やがてそれは破局するが、ボスと科学者の間に女(月船さらら)も絡んで、大衆活劇的筋立てである。出演者たちがみな大衆演劇にも通じる分かりやすさに振り切って演じるので、テーマは明確である。それぞれのキャラクターも筋立ても通俗だが個性的で、駅前劇場としては長尺の2時間20分を飽きさせない。
    母国ではデュレンマット作品としては不評で再演もしていないというのも肯けるが、そういうところがかえって、極東の国でリアリティを持つのも芝居ならでは。
    今の日本の政治の裏筋をめぐる混乱も実のところはこんなものか、と連想させる面白さもあって久しぶりの直球時局劇になった。企画賞である。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ちょっと変わったやり方の台本だが実に面白く、独特のシニカルな世界観に引き込まれる。それを実現する演出や演技もこれまた素晴らしい。特にボス役は秀逸。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    天才生物学者のドク(小須田康人氏)は失職し妻子に逃げられ、今ではしがないタクシー・ドライバー。たまたま乗せた裏社会のボス(外山誠二氏)にある提案をすることで人生が変わる。

    タランティーノっぽいパルプ・フィクション(安っぽい犯罪小説)で始まり、ちょっと想像がつかない展開に。一体これは何の話なのか全体像が掴めない。

    月船さららさんの出番は少ないのだがエロ要素満点、話法にかなりの工夫を見る。何か『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』みたいな叙情性も流れる。

    中盤、停滞してかなりテンションが落ちるが、クライマックスで見事に引っ繰り返してみせる。テリー・ギリアムの感覚、『未来世紀ブラジル』みたいな。

    そのクライマックス、ボス役外山(とやま)誠二氏とコップ役山本亨(あきら)氏、それぞれの独壇場たる独演は空気を一気に変えてみせる。狂気と正気がくんずほぐれつ攻守がぐるぐる入れ替わる内に、自分が正気だったのか相手(世界)が正義だったのか最早訳が解らなくなる高揚。ハラハラ見守るだけのドクも観客も言い知れぬカタルシスに呑まれてゆく。
    この力ずくのシーンが強烈で観客大拍手。

    ネタバレBOX

    今作(1973年)はフリードリヒ・デュレンマットの失敗作として叩かれ、最後の戯曲となったそうだ。

    アナーキストの青年の演説あたりから、「これは不味いな」と思い始める。50年前の戯曲だからか、『ファイト・クラブ』みたいなアナーキズムが安っぽい。

    山本亨氏は東野英心やアンバランスの山本英治を思わせる押しの強さ。

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