公演情報
「関数ドミノ」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★
イキウメの代表的な作品(イキウメらしい作品)。二度観ていて最初はイキウメでの再演「よく出来た話」との印象、しかし寺十吾演出・若手俳優(タレント寄り)のは物語が整理されて見えて来ず、“不思議”を扱う難しさを痛感。戯曲が微妙なバランスで成立しているので、観客の「関心」をキープし続けるための演出、演技が必要な訳である。
青少年向けの冒険譚、探偵小説、そして超常現象。わくわくを喚起する素材を、一定のリアリティを付与して沈着させ、現実社会の中に位置づけるのがイキウメの真骨頂だが、果して今回の再々演舞台は・・。
戯曲の構成は割とシンプルであった。超常現象(としか思えない)自動車事故をたまたま目撃した者たちは、まず最初に保険調査員(温水洋一)によって集められ、事故の全容を掴みたい調査員のためにそれぞれが証言をするが、結局のところ、それを目撃していない者には「信じられない」。次に、目撃者自身も、「あれ」を見たにも関わらず、「物理法則を超えるような現象が起きるはずがない」と、自分の方を疑い、知覚が捉えた現象を「常識」に合わせようとする。だが最も近くでこの事故を見、目に焼き付いた一人の男・真壁(安井順平)は食い下がり、この現象を説明するドミノ理論を展開し、これを検証する作業にかかる。
ドミノ理論とは、この世には自分の思いが実現してしまう人間(ドミノ)が存在し(殆どの場合本人は気づかない)、その彼・彼女と接触したり関係する他者に(ドミノ式に?)影響を及ぼしてしまう、というもの。
この芝居では、センスオブワンダーに回路を開く仮説の「検証」による勝敗の行方が軸となり、見物であるが、この「勝敗」が最後には溶解してしまう。ここがこの戯曲への評価のポイントになる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
前列の方が開演30分で寝始め、頭を左右にこっくり振りはじめ
少し邪魔でしたが、イキウメの舞台なので仕方がないと割り切って観劇。
今回の関数ドミノは、比較的わかりやすかったので理解でき観やすかった。
再演で内容が変わっているらしく何どう変わったのかやはり気になりました。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2022/05/26 (木)
ひゃぁ~~そうなの!!そうなのね!!
でもあるあるだよね。かもね。
どんな力がどこから湧いてくるのか、天なのか。
怖い。
でも観るの面白い。
実演鑑賞
満足度★★★
粗筋から藤子・F・不二雄の『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』を想像したが、M・ナイト・シャマランの『アンブレイカブル』だった。
2005年初演、2009年再演、2014年再再演。2017年寺十吾によるプロデュース公演。
地方都市の交通事故、横滑りした乗用車の助手席部分と歩行者がぶつかった。歩行者には何一つ怪我はなく、逆に車は大破。助手席に乗っていた運転手の娘は意識不明の重体。その事故を目撃していた複数の人物が保険屋によって集められる。誰もが納得のいかない“神の奇跡”。一人の男が半生を賭けて導き出した「ドミノ幻想」理論について語り出す。
実演鑑賞
満足度★★★★
何度目かの再演だ。交通事故で即死が当然の状況なのに、傷一つ追わない、と言う発端の事件は同じだが、その後の展開は少しづつ変わっている。
今回は「スーパーマンは実在する。しかもそれは日本人だ」と宣伝を打っているが、中身は、それほど軽くはない。
作者はいまの世界を動かしているルールを、普遍。不変のものとしているところに疑問を呈していて、今までも多くの作品を面白く展開して見せてくれた。「関数ドミノ」はドミノ倒しのように、奇跡のような交通事故のその後の展開の物語が、最初のドミノの倒し方を変えれば全部変わった方向に倒れていく、ということなのか、数学的にはシンプルに見えるドミノ札でも無数に近い組み合わせができる、ということなのか、その経緯が今の世界の新しい規範になったり、救いになるか、と言うテーマのように受け取ったが、そういう常識的ではない受け取り方も出来るところにこの作品の面白さがある。
イキウメの俳優たちもそろそろ二十年だろう。すっかりうまくなって、二時間飽きずにに見てしまった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白かった。ドミノという無自覚な超能力者がいたらどうなるか。「ドミノに好意を持つというのは、そう思わされているだけ」「本人のためと言いつつ、実は(ドミノが)自分の思いを押し通しているだけ」などの科白には、平野啓一郎が『決壊』で描いたスマートだけど空虚な学歴エリートの姿がダブる。
ドミノが本心から思えば実現する。しかし、自分がドミノだという自覚がないから、望みを持っても実は最初から「そんなのできっこない」とあきらめている。本当は不可能はないのに、という設定には考えさせられた。「信じる力」「本気の力」は無限なのに、あきらめてしまうことで遠ざかる。まるで歴史上のもろもろの改革者たち、革命の未来を信じた共産党員たちのようだ。文学的にはドン・キホーテが思い浮かぶ。
10代、20代の真摯な共産党員たちの、自らの生活をなげうったような献身的な活動は、「信じる力」のなせるものだ。それがマルクス主義が「宗教的」と言われる理由だと思ってきた。しかし、年を重ね、経験(挫折)を重ねるに従い、確信は失われ、活力もなくなっていく。鶴見俊輔は「理想離れ」と語り、自らの問題として考えていた。そんなことを考えさせられた。
ある交通事故から始まる。横断歩道ではねられたはずの陽一(大窪人衛)が、全く無傷で何かがぶつかった感覚もないという。逆に車が大破し、助手席にいた女子高生が意識不明の重体に。いったい何が起こったのか。保険調査員の調査に、やはり事故の目撃者の真壁薫(安井順平=すばらしい好演)が意外な話をする。その場を目撃していた陽一の兄・左門森魚(もりお、浜田信也=内面を見せない謎感を好演)の超能力のせいだと。無意識に作ったバリアーのせいだと。この世には、自覚のないまま自分の思い通りに物事を変えてしまうドミノ」という超能力者がいるのだと。
森魚はドミノなのか、あるいは真壁の妄想なのか。元官僚だった挫折した真壁の、周囲と社会へのねじまがったひがみも明らかになる。社会への屈折とドミノの存在への確信を併せ持った真壁像が、安井順平の抑制したいらだちと熱弁の演技で、ほんとうによかった。