関数ドミノ 公演情報 イキウメ「関数ドミノ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白かった。ドミノという無自覚な超能力者がいたらどうなるか。「ドミノに好意を持つというのは、そう思わされているだけ」「本人のためと言いつつ、実は(ドミノが)自分の思いを押し通しているだけ」などの科白には、平野啓一郎が『決壊』で描いたスマートだけど空虚な学歴エリートの姿がダブる。

    ドミノが本心から思えば実現する。しかし、自分がドミノだという自覚がないから、望みを持っても実は最初から「そんなのできっこない」とあきらめている。本当は不可能はないのに、という設定には考えさせられた。「信じる力」「本気の力」は無限なのに、あきらめてしまうことで遠ざかる。まるで歴史上のもろもろの改革者たち、革命の未来を信じた共産党員たちのようだ。文学的にはドン・キホーテが思い浮かぶ。

    10代、20代の真摯な共産党員たちの、自らの生活をなげうったような献身的な活動は、「信じる力」のなせるものだ。それがマルクス主義が「宗教的」と言われる理由だと思ってきた。しかし、年を重ね、経験(挫折)を重ねるに従い、確信は失われ、活力もなくなっていく。鶴見俊輔は「理想離れ」と語り、自らの問題として考えていた。そんなことを考えさせられた。

    ある交通事故から始まる。横断歩道ではねられたはずの陽一(大窪人衛)が、全く無傷で何かがぶつかった感覚もないという。逆に車が大破し、助手席にいた女子高生が意識不明の重体に。いったい何が起こったのか。保険調査員の調査に、やはり事故の目撃者の真壁薫(安井順平=すばらしい好演)が意外な話をする。その場を目撃していた陽一の兄・左門森魚(もりお、浜田信也=内面を見せない謎感を好演)の超能力のせいだと。無意識に作ったバリアーのせいだと。この世には、自覚のないまま自分の思い通りに物事を変えてしまうドミノ」という超能力者がいるのだと。

    森魚はドミノなのか、あるいは真壁の妄想なのか。元官僚だった挫折した真壁の、周囲と社会へのねじまがったひがみも明らかになる。社会への屈折とドミノの存在への確信を併せ持った真壁像が、安井順平の抑制したいらだちと熱弁の演技で、ほんとうによかった。

    ネタバレBOX

    最後のどんでん返しが見事。客席に向かって「皆さんは間違わないでください」という言葉が、リアリテイをもって響いた。「スーパーマンは実在する、しかも日本に」という惹句が、こんなラストになるとは、全く予想外だった。

    舞台上で世界観と思想を体現し、「伝える」俳優はメディアみたいなものだと考えた。その奥に、姿を現さない作者・演出家がいる。この演劇の構造は、政治でも、テレビでも、文学でもどこでも存在する。普遍的で強固な構造だ。陰謀論ではないが、社会の普遍的在り方だと言えるだろう。

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    2022/05/19 10:33

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