満足度★★★★★
カタルシスある演劇要素の解体と再システム化
いまどき、個人的な心の動きを舞台でそのまま大声で語ったら、イタいやつにしか見えない。この作品では、その演劇的恥ずかしさの回避策として、テキストと身体と音楽の演劇的ポジションを一旦解体してしまった。それも芝居が始まって瞬く間に。で、そこから新たにテキストと身体と音楽の位置を再構築して、この作品独自のシステムを一気に創り上げる手際に固唾をのんだ。この作品がスポットを当てている心の動きは根源的なものであるだけに、恥ずかしさの回避に成功したことにより、強烈かつダイレクトに心に響く。これまでの演劇的成果をすべて取り込んだ後にさらに一歩踏み出した、最先端の舞台表現と言って良い。危惧する点があるとすれば、この次の一歩を踏み出す地点が存在するのか、ということではあるが。
満足度★★★★★
テクノダンスと回想物語
この物語は目黒の回想劇だ。
刹那さと騒ぐ心を表現し、それでも前向きに頑張ろうとする心理を描いた作品。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★★
ドラマじゃない"演劇"
神里さんの繊細さと、彼の作品から客が感じうる疎外感は
同じものから発生しているように思います。
作家の孤独に寄り添うことは永遠にできないし、簡単にわかるとか言えないけれど、でも、簡単にわからないとも言っちゃだめな気がする。
神里さんの描く、"心の中の動き・風景"に、ぐっときてしまった。
満足度★★★★★
まばたきする間も惜しいほど、
役者たちのまばたくリズムさえもが愛おしくて。ちょっと焦げ焦げにならないか心配なくらい、みつめつづけてしまった…。
満足度★★★★
変であることの尊さ
「面白かった」と断言してしまうことにリスクを感じる。
知った風なクチを聞くな、と言われてしまいそうで気がはばかる。
だが、あえて断言してしまう。
面白かった。
星つけるのはやめようと思っていたが、いくらなんでも平均星が低いのがカチンときたので高い星をつける。これじゃまるで不評みたいじゃないか。不評は正当な評価ではないと思う。
観ました
わかるとかわからないとかっていう基準について考えた。考えてたら、トークもそういう話になっててびっくり。最後の歌にちょっとだけ目が潤んだ。「リズム三兄妹」のときはかわいいなぁと思っていた内田さんが、今回は恐ろしい化物のような美しさを備えていたよね、と来ていた知り合いと盛り上がる。
満足度★
客が寝るとき
ヤル気満々で観に行くが、3分の2を眠って過ごす。
よって感想が書けない。
だから、何故寝たかを考えてみる。
皆さんはどんな時、芝居で眠くなりますか?
俺が考えた「客が寝るとき」は以下の3点です。
≪客が寝るとき≫
1.コンディションの問題 …寝不足など
2.リズム(刺激)の問題 …目や耳が捉える状況変化が単調
3.当事者意識の問題 …内容や演者についてこれず意識が離れる
以下、上記3点をふまえた上での感想
アフタートークを聞いてて思ったのは、
演出家とオーディエンスに隔たりがあるのではないか
ということだ。
演出家は何を思いどう創ったか、当事者なのに
わかりやすく客に解説することはできない様子だった。
この演出家は「リズムを調整して刺激を与えよう」だの
「みんながわかるように見せよう」だのには
おそらく興味がない。
だから、きっと彼の視点は非凡でも
それを作品からキャッチできる人は
けっこう限定されるのではなかろうか。
(キャッチできないと当事者意識は下がる。)
音楽好きな人がFUJIROCKやSUMMER SONICに行くのは
ありふれていても、観劇好きで利賀村に行くのはレアだ。
俺の周りには利賀フェス出演経験者は多いが、
利賀フェス観覧経験者はいない。
つまり、利賀フェスでの評価は
一般客に通用するかはわからない。
神里さんは、自分の視点を作品に起こしたら
「どう見せるか」という、いわばサービスをもっと考えて
オーディエンスに寄り添ったほうがいいと思う。
独り言みたいな作品ならエッセイにするか、
現代美術として展示するか、5分くらいの歌にまとめてくれたら
受け取りやすい。
余談だが、
今回と同じく応援している役者 折原アキラを目当てに
今年の初めにアゴラで観たデスロックはその点凄かった。
芸術作品としての色あいを濃く保ちつつ、
魅せ方に工夫があり、わかりにくいことをわかりやすく提示してあり、
3時間近い観劇でも一切眠気は起きなかった記憶がある。
これだけ書いておいてあれだけど、
まー内容はキャッチできなくても別に平気っちゃ平気だ。
俺はタイニィアリスで韓国のアングラを楽しんで観たし、
英語がわからないから、大好きなバンド
ナインインチネイルズの曲は一つも何言ってるかわからない。
公演はライブなんだから、リズムで聴いたり、
絵として観たり、役者の身体を眺めてれば飽きない。
ひょっとこ乱舞を観るとき、ストーリーを緻密に追って
分析する奴はそれほど多くないと思う。
維新派の所作や美術に込められたコンセプトを
逐一キャッチできる奴はそれほど多くないと思う。
今作での岡崎芸術座も同じく。
でもね、眠くなる客の割合は今作の岡崎芸術座が
(ひょっとこ乱舞・維新派と比べたら)一番高いと思う。
それは、俳優の使い方が原因の一つだと思う。
俳優が人間とオブジェの中間みたいだった。
オブジェにするなら飾り方や置く向きなどが重要になる。
人間にするなら出来事と感情変化を
どのような順番でオーディエンスに公開していくかが重要になる。
どっちでもなかった気がする。中途半端に感じた。
特に折原アキラは人間にもオブジェにも適したプレイヤーなので
どちらかでばっちり使えば、(内容がわからなくとも)
折原アキラでオーディエンスの当事者意識を保つことが
できたかもしれない。
俺にはアフタートークの時の俳優のほうが
各人がその人らしく振舞っていて魅力的に映った。
これが一番印象に残った感想だろうか。
この作品は役者を人間として扱い、
フツーに時系列に沿って話を並べたほうが伝わったと思う。
演出家の手腕に問題があると思う。
最後に…
神里さんは演劇(というより生ライブでの観客との対話)に
あまり向いていないと俺は思うので、エッセイを書いたり、
ショートムービーを撮ったり、
武谷氏を聞き手にしてトークショーをやって欲しい。
考えていることを文章にして「説明」してくれるか
より自身の視点を強く出せる「短時間」の映像に落とし込むか
「ツッコミかつフォロー」の相方を迎えて、その人と喋るか
そうしたら面白いと思う。
これは誹謗中傷ではなく、本気で思ってます。
だって「評価されている気鋭の若手クリエイター」
の作品なのにつまんなかったんだもん。
演出家・劇作家のエッセイだと
宮沢章夫の「牛への道」とか最高だが、
「牛への道」くらいは書けそうな
変わったセンスがありそう。
「賢くて繊細な人だけがわかる演劇」をつくり続けるのは
ちょっともったいないし、
俺のように「愚かで繊細でない人」は
彼の才能を享受できないのでかなしい。
どっちにも広く受け入れられたら一番いい。
満足度★★★★
言葉に丸めると単純だけれど
舞台から伝わってくるものがたりは
一言でXX感などと表現できそうなのですが、
でも、そこからウン千色のカラーサンプルにも含まれないような
色を感じてしまいました。