Speak low, No tail (tale). 公演情報 Speak low, No tail (tale).」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    2つの話が同時進行しているのがわからなくて、もやっとしました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    幅広い燐光群の作品でもカテゴライズしにくい異色な系譜の中で光っているのが10年以上前、沢野ただし(作品及び本人)に題材を取った『放埓の人・・(長いタイトル)』、これに近い空気を期待して足を運んだ。通ずるものあり(自分の中では)。
    戯曲は作家である小沼氏に発注したと言い、観劇後に見たパンフには三作がクレジットされており、あれらは別作品であったと知る。もっとも小沼氏の文章には、坂手氏に渡した戯曲以外にも過去発表した散文や何かまでコラージュされていて驚いたと書いてある。
    異なるエピソードが交わらずに並行するが一つの作品として納得させる坂手氏の腕は健在。生起する現象はシンプルだが、多くの要素がひしめき、擦れ合って熱を発している。

    ネタバレBOX

    一つ不満を挙げるなら、JAZZ喫茶に流れる音楽が数曲にとどまり、次はどんな曲が・・という期待が途中から無くなってしまった事。正確には、終盤でいきなり新曲を流して「伏兵現る」と客を喜ばせてくれるかも・・という期待はちょっとだけあった。
    リアルな場面を作るなら、無尽蔵と言って良いJAZZ音楽なれば、日時が変われば同じ曲が流れている方が「珍しい」訳で、この舞台では常連客の顔ぶれと場面の性質で曲が決められていて、場面描写の小道具としてでなく劇伴に用いられたというのが、不満の中身である。
    が、劇中に紹介される「ミニマルミュージック」が、実は反映された(とパンフにあった)劇構成に即して、数曲が繰り返される効果をとったというのが実際なのだろう。
    ミニマルミュージックの要は「繰り返し」。ご興味の向きはスティーブ・ライヒをぜひ。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2022/02/24 (木) 19:00

    120分。休憩なし。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2022/02/24 (木) 14:00

     詩人の小沼純一氏の作品を坂手流の戯曲に仕上げた、不思議な感覚を得られる舞台。ジャズバーの時間が重なり、小さな歴史となって世の中とシンクロしていく。
     ジャズのうんちくを語って盛り上がっている客の姿から始まる。その場面場面で暗転し舞台が転換していくので時の流れとか、登場人物の人生などをすんなり受け止められるのだが、何だがこま切れの会話劇という感じでもある。ただ、音楽などそっちのけで会社の上司への不満をぶつけあう女性客など多彩なお客さんの姿を無理せず楽しめる。ジャズバーで居酒屋のような会話? でも、自分もやっていると思うし、そういう時代なんだろうね。
    もう一つ、並行して進むのが、お向かいの家に出入りする猫たちや猫に声をかける人たちの風景だ。こちらは時の流れはあまり感じられず、あくまでも「風景」といった感じで呈示される。年老いたお母さんとその娘の会話がベースになっているが、この二人、時間が止まったようにずっと同じ姿で登場する。話が進展するということもないので、ちょっと退屈かもしれない。

    燐光群が鋭く切り込む政治的、社会的な問題はほとんど登場しない。それもそのはず、声高に議論する場所ではなく、あくまでも店の名の通り「speak low」なのだ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    シアタートップスが小劇場に戻ってきた。
    80年代から今世紀初頭まで(85-09)一階の喫茶店トップスの上にあった劇場には、遊眠社以後の小劇場が次々と登場して、「バブル・その後」の広い層の若者に支持される「トップス演劇」を繰り広げた。
    そのころすでにそれらの若者とは一線を画して社会に強いメッセージをもって下北沢から演劇を発信していた燐光群が、昨年秋から本多劇場が新しく経営することになったトップスの舞台に立つ。坂手洋二は演出に回って、本は詩人の小沼純一の戯曲処女作。ちょうど、トップスがあった時代から今までの小さなジャズバーをメインの設定にしたユニークな舞台である。バブル期にはその前の安保闘争型の若者は去り、ジャズバーで気心の知れた仲間だけに沈潜する若者の時代になり、さらには個人の時代になる。その経緯を自分好みのLPをかけながら見守っているマスター役の猪熊恒和が好演だ。あまり幸せでなかったこの国の一時代を言葉でなく体現している。客たち、古い時代は鴨川てんしと川中健次郎、次の世代は杉山英之、一番若い世代は樋尾麻衣子が軸になって演じるが、いい味を出しているべテランに負けず杉山、樋尾も微妙な時代性を出していて、この劇団の年輪と時代の波を感じる。樋尾麻衣子は、地か、演じているのか分らないが、まさに今の女だ
    舞台はこのバーのクロニクルに、街中の野良猫を見守る近所の女性たちのエピソードと、一家の中で欠かせない犬との交流を回顧するエピソードが交錯する。その構成は多分、坂手が演出とともにやったのだろうが、うまいものだ。話としては猫の話が発展するところがなく後半退屈になるが、全体として、短いシーンを重ねて時代を巧みに描いていて、劇作家としての坂手の円熟ぶりも見られる。思いだしたように政治的、社会倫理的メッセージも出てくるが、そんな言葉はなくても時代批評にはなっている。いかにも、いまの小劇場らしい、時代を敏感に反映する新宿にふさわしいトップスの芝居である。これでこけら落としをやればよかったにと思うが、それはできなかったのだろう。それはネタバレで。

    ネタバレBOX

    幕切れ、このジャズバーは閉店する。これはこれで、坂手らしいアピールにはなっているが、そこをもう一つ新しい幕切れを見せてほしい。ここは常識的だった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    久々の燐光群観劇。大人たちの芝居なんだけど青春、のまっただなかにいる気持ちになる。日常なんだけど自分の普段の日常の時間と違う流れに乗せられ運ばれていく心地よい感覚を味わう。劇場で芝居を観るという醍醐味はこういうことなんだと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     板上奥にはちょっとした堤防のような壁。その手前から距離を置いて屋根のようにぶっちがえになったカウンター。これはジャズバー・Speak lowのカウンターである。Speak lowの客は奥に座る。カウンター手前にはボトル等の載った台や冷蔵庫、その上手に調理器具や調理台。マスターの居場所を挟んで観客側に、正方形の平台が頂点をカウンターの鋭角に向けるように置かれている。この平台はライブ等の際、ステージとして用いられる。奥の堤防のような壁とSpeak lowの店内は照明で見事に分けられる。(追記2.21)

    ネタバレBOX

     物語は60年代から隆盛をみたミニマルミュージックの流れがジャズ界にも影響を与えたのか、フュージョン等がしきりに喧伝された1980年頃からの約30年間に起こった数々の事件や災害、世相や時代の変遷、社員生活の鬱憤等に揉まれて変わってゆく人情を、店で掛かるLPジャズ曲の変遷と客たちの会話・店名になっているSpeak lowのそれとない説明に歌唱で表現。この店での振る舞い方やマスターの音楽哲学等々が、常連客との会話で挿入される。
     堤防のように見える場所はSpeak low以外の様々な空間を表現するのに用いられる。例えばここに載って野良猫各々に好きな仇名をつけあれやこれや話す女性達の会話が為される庭付きの個人宅にもなれば、全く別のある家族の飼っていた犬や猫等との関わりを通して市井の人々が身近な命と出会い、面倒をみたり育てたりしつつ体得してゆく命そのものと出会う場として。更にペット達の餌や寿命を通して「家族」として認知していながら餌の栄養素をキチンと考慮せずに与えていた昭和を過ごした場、そこで飼われた何代も同じ名前の犬、猫の寿命を通して知った壊れ物としての命、掛かるが故に尊いと気付くことの余りにも当たり前過ぎて気付かなかった生命の等価性が対置される。無論、これら命の物語が、煩わしい世間からの隠れ場所としてのSpeak louというショックアブソーバーを仲立ちにそこで話される世間とも対置されている。ラストは想像できよう。

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