ザ・ドクター 公演情報 「ザ・ドクター」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 4.4
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    カトリックと国教会、白人と黒人、ユダヤ教とキリスト教、男性と女性、性的マジョリティとマイノリティなど3時間余りの戯曲にありとあらゆる立場の対立が描かれており、イギリス社会の複雑さがあらわれていました。

    「日本の極端とも思える同質性」と比較して語る向きあったけど、討論番組のパートでのパネリストたちの会話見ていると、各自が各自のアイデンティティを背負って話しているのにちっとも前向きじゃなくって、

    コミュニティが多様なのも一長一短だなと当たり前のところに落ち着いた気がする。

    ネタバレBOX

    国立最高の医療機関の所長を務めるユダヤ人白人女性のルースは、自身が受け持つ中絶失敗で死の瀬戸際にいる「形だけ」カトリックのティーンエイジャーが特に秘跡を望まなかったことから、

    その両親が送り込んだ黒人牧師・ジェイコブを押し問答の末、病室から排除。

    しかし、カトリックコミュニティの中でこの一件が大きく知れ渡った結果、世間の一部は沸騰し、
    ユダヤ人が医療機関内部を支配してキリスト教徒を追いやっているのではないかという陰謀論じみた話まで飛び出す中、ルースは機関内のキリスト教徒メンバーの策謀もあって所長の職を追われることになる…。

    イギリス社会の難しさは、各人の持つアイデンティティがそのまま「政治」「陣取り競争」につながっていることで、日本で考えられているように「相互理解」「配慮」で済む話ではなく、ある陣営の失点がそのまま別の陣営にとっては勢力拡大と発言権強化になるので、みんな必死だなと。

    コメントで触れた、ルースを囲んで各市民団体の代表(中絶反対の右派からカトリック側、果てには黒人やユダヤ教のマイノリティなど)が問い詰めに走る場面、「こんなことして1人を論難して何になるんだろう?」と思ったけど、

    これテレビ放送されてるから、ルースに頭を下げさせることが自分たちの陣営の「勝利」「布教」になるんだなと気づいた時、正直なんか冷めたのは否めないかな…。

    同性愛者のルースがトランスジェンダーのサミを指して、「ある時は女の子で、今では男の子です」「新しい世代の生き方ってこんなに縛られず、自由なんですよ」みたいな文脈で話したら、討論から帰宅した先で激怒したサミに「私はそんな洋服を替えるみたいな感じで自分の性自認をやってるわけじゃねぇ! 知った口利いてんじゃねぇ!」と絶好状態になるの、この作品では一番刺さった。

    マジョリティはマイノリティのことを理解できない、とは昨今よく言われるけど、「マイノリティもマイノリティのことを理解できない」という一歩踏み込んだものを提示しているな、という意味で。

    ルースが「私は医師です」とかたくなに言い張るの、自分のアイデンティティをそこに一つ置いているというだけでなく、その言葉を外部からの「強固な鎧」にしているんだなと感じました。

    登場人物の1人から言われたように、「医師」も広い意味では幅広くあるアイデンティティの一つに過ぎないんだけど、ルースにとっては「誰かのための利益を代表しない」「純白清廉な」唯一の証何だろうなと思うとグッときますね。。。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    SNSでの評判が気になり、急遽、観劇。
    かなりのセリフ量を、けっこうな早口で話す上、医療用語だったり、日本人にあまり馴染みのない宗教文化だったりが絡んでくるので、前半は膨大な情報を咀嚼することで精一杯だった。
    しかし、後半のディベートシーンから、より噛み砕いたわかりやすい表現へと移り、物語に存在する問題へと引き込まれていった。
    マイノリティへの偏見や差別、SNS文化の問題、色んな視点から考えさせられ、モヤモヤした想いを抱えながら帰路に着く作品だった。時間の発端に宗教が絡んでいるので、正直、無宗教の僕には共感や理解が追いつかない部分があったかな。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    現代社会の様々な問題がおりこまれているが、アイデンティティー・ポリティクスのことを考えさせられた。人種、ジェンダー、宗教など人の属性(アイデンティティー)による差別・利害を政治的課題とすることをいう。ブラック・ライブズ・マターやミー・ツーなど今大変盛んである。しかし、そういう属性で線を引くと、見えなくなるものがあるのではないか。

    医師ルース(大竹しのぶ)が「人間である前に私は医師です」というセリフの意味はそこにある。白人、ユダヤ人、女性etcという範疇で「神父の入室を拒んだ行為」を批判されるが、医師として医療として考えなければならないという訴えだ。2幕のテレビ討論番組ではこれが焦点になる。
    1幕は病院の役員会での議論場面がつづき、少々疲れる。しかし2幕でいろんな仕掛けがなされて、舞台の奥行きがぐっと広がる。

    1幕では、死んだ娘のカトリックの父(益岡徹)が「中絶という大罪を犯した娘が、罪の許しを得ないまま、地獄の業火で苦しみ続けているんだぞ」と泣き崩れるところが心に響いた。カトリックのまじめな信者は、そう考える灘、だからルースの行為が大問題なんだと。私も宗教に疎いので、その場面でようやくことの意味が分かった。

    ネタバレBOX

    神父(益岡徹=2役)は黒人という設定だが、元戯曲は白人が演じるように指定している。これはうまい。観客はルースが黒人だから拒否したのではないのに(事件が起きた時は白人が演じているので)、あとで「黒人差別だ」という非難が的外れであることが明瞭にわかる。今回は当然、黒塗りなどしないで演じている。

    討論番組で、よく遊びに来る大学生サミ(天野はな)のことを、「トランスジェンダーの子がいて」とお語るのもちょっとした驚きだった。それまで普通の女性としか見えないので。しかし、このアウティングにサミ自身が傷つくと後でわかる。本人とはわからないように語っているのに、近しい人にはわかるから。難しい問題をうまく提示している。

    冒頭で流れるルースの声の録音の意味が、最後にわかる。かたくなで杓子定規とも思えたルースの、心の奥の深い喪失感がわかり、舞台の見え方が変わる。

    イギリスではこの芝居の提起する問題が刺さるが、日本に持ってくると、どこか実感が薄く感じられる。特に階級の違いは、舞台から感じられなかった。これは仕方のないことではあるが。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ものすごく良質でした。緻密な前半戦、怒涛の後半戦。公演後、別の席で観劇していた友人と落ち合った瞬間二人して号泣(笑)。内容を鑑みてあのラストはすごい。日本ではあまり見ない。一日経った今も余韻がすごいです。たくさんの問題に触れながらもすべてが中途半端でなくしかし議論の余地を観客に残す戯曲の隙のなさに圧倒されます。俳優陣も予想通り素晴らしいのですが、すこしキャラを作ろうと前のめりに見える方がいらして、その場のリアルを作り出している名優たちの中ではすこし浮きます。大竹しのぶ×益岡徹、天野はな、床嶋佳子あたりの会話は胸に来るものがありました。

    ネタバレBOX

    冒頭電話のセリフが最後チャーリーの死につながるところは鳥肌ものでした。重ねる声は、それでもなお自分として選ぶのは医師なのかと思わせます。サミとの会話を経て、ルースが涙を流し、それが次のシーンにも引き継がれてしばらく涙をながしているさまに演劇を感じました。きっと大竹さんの心が強く揺れたんだと感じました。人種や宗教、それぞれの立場から議論をしているうちは互いの寛容さも見られずつらいシーンが続きましたが(それでも現実ではこういうことが往々にしてあると納得感があったのが悲しい)、ルースの家で神父と話しているときには立場なんかなくなって穏やかに話ができたのが救い。「希望は希望」と言っていたし。と思ったら最後、会いたいとむせび泣く大竹さんの姿にもらい泣き。救いで終わらないのが新鮮。洗練されたセットと演出。特に上下両方に設置された照明(ドアが開くと強く明るくなる)が好きでした。肩を押したかどうかわからない演出も巧み。大竹さんが頭を掻いたり腕を組んだり、自然に所作を取り入れていることに感服しました。とかく素晴らしい戯曲、他の団体でも観てみたい。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    開いてからもう十日もたつのに、ネット批評に見てきた、が一つもないのはなぜ?。??と思いながら見れば、全く隙のない完璧の舞台。主演の大竹しのぶをはじめ、巧みなキャスティング、栗山民也のよく読みこんだ演出に従って一糸乱れぬ演技、美術をはじめ、過不足ないスタッフ・ワーク。テーマはコロナで誰もが直面せざるを得なかった「死」をめぐって科学と宗教はどのように人間を救えるか。受けないはずはないのに。
    ほぼ、三時間近い舞台の完成度を評価するにはやぶさかではないが、その完璧な取り組みに落とし穴があったとも思える。
    昨年ロンドンで上演されたイギリスの舞台は主軸のテーマをめぐって、信仰と科学だけでなく人種、性差別、階級問題、のような一般的な問題に加えて病院の組織や経営問題、日々の生活問題、テレビ番組まで現在のロンドン市民の直面する「ドラマ的な」問題が網羅(でもないだろうが)されている。その戯曲は若干はテキストレジされているのだろうが、ほぼ上演されたものに近いと思う。違うのは「肉体を持った俳優」である。
    日本の俳優が下手と言っているのではない。日本の俳優が英国俳優の真似をしても仕方がない。第一、そんなことは誰もしていないだろう。肉体にしみ込んだ英国と日本のどうしようもない違いが戯曲との距離を置かせてしまったのではないか。
    このような最新の戯曲をパルコがこのスタッフ・キャストで積極的に取り上げたことは多としなければならないし、この戯曲もつまらないわけではない。この詰め込み方のうまさなどは若い作家には学んでほしいところでもある。国境を越えて、演劇を咀嚼するのは、観客も含めなかなか難しいものだとつくずく思った。
    、そうでなければ、「フタマツヅキ」をこれだけ理解し、感動し芝居を楽しんだこのネットの観客がこの作品に対して黙っているのは理解できない、


    ネタバレBOX

    珍しく、劇場の機械トラブルとかで幕間が20分伸びた。幕間40分。しかし、ここで帰る客は数人しかいなかった。芝居は結果が知りたくなる出来である。

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