公演情報
「かさぶた式部考」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★
豊一の母、伊佐に釘づけになりました。
抗うことのできない歴史の流れの中で、彼女のような名もなき人たちが、ただただ精一杯生きる。それらの積み重ねられた人生の上に今我々が存在していることを感じさせられた。
満足度★★★★★
途中休憩が入りますが長いお芝居でした。役者さんも熱演で今まで知らなかったことをたくさん学んだり感じたりした時間でした。大きなテーマを沢山訴える素晴らしいこの芝居を観劇出来て良かったです。
満足度★★★★★
タイトルは恋多き平安時代の歌人・和泉式部が「恥多きかさ病み」となり各地を漂白したという伝承に基づくものだという。「かさ」とは社会の理不尽により民衆が受ける痛みを象徴するものであり、血膿のフタはその下にある病巣が癒えない限り無くならない。
本公演は1969年に初演されており、いま上演する意義は当時の時代背景と現在が奇しくもオリンピック開催という高揚時、その影(下)で苦しみ悩む人々への鎮魂歌のように思える。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分)
満足度★★★★★
ネタバレになりそうで、色々と書けないですが、目にふれて観ることができて良かったと思いました。
キャストの皆さんが、力強いけど自然で、一生懸命生きていて…普段の生活でもみなさん一生懸命生きていらっしゃるのかな?と思わされました。プロでした。
インパクトがありすぎて、家に帰ってからも思い出したり、考えたりしました。
ぜひ、次回作も観てみたいなと思いました。
満足度★★★★★
これからご覧になられる方は充分体調を整えて観劇される事をお勧めします。
というのも人間が生き抜くという様・・・親子愛・夫婦愛・信仰心・執着心・情欲・・・あぁ数えきれない(汗)をこれでもかと受け止める事になるので。
更に親子愛・夫婦愛・信仰心どれを取っても綺麗ごとでなく(綺麗ごとなど言ってられない)泥臭く本能的なモノを剥き出しに描かれ演じられており、全く容赦がない作品。
男盛りの30歳で精神を病んでしまった豊市に彼の母と妻。
後に神々しく登場する教祖・智修尼。
この4名を中心とした想像を超えた愛憎の図式・・・・のみならず彼等を取り巻く人々の心の救済を求めるその渇望感。
本作では作中に登場する宗教団体に対して、かなり辛辣な視線で描かれているものの、これはひとつの解釈として日本政治の写し絵と受け取って良いのだろうか。
だとすると力弱い国民はその色に染まったまま縋って生きていった方が幸せだろうかと考えさせられます。
意志をもって自身の道を行くのが正しいと分かっていても何とも悩ましい虚無感が広がってくると共に、えーい負けてられるか!と力が漲ってくる作品でありました。
満足度★★★★★
今作の式部は式部でも紫式部ではない。和泉式部である。原作の秋元 松代が想を得たのは当パンによれば柳田 国男の「女性と民間伝承」記載の文章からだという。
庶民の抱え込まざるを得ないどうにもならない門題を秋元 松代はキチンと脚本化している。彼女と一緒に仕事をしていたプロデューサーが、秋元のことを話してくれたことがある。決して大きな方ではなかった。寧ろ小柄な方だったというが、彼女の最もな主張に異を唱える者があると、「無礼者!」と叫ぶや否や態々数歩下がって腰を屈め頭を先頭にして頭突きを喰らわすような激しい闘志と矜りを秘めた女性であったという。作品を拝見してついこの話を思い出してしまった。富岡 多恵子さんや亡くなった「苦界浄土」の作家、石牟礼 道子さんのように真の優しさ(菩薩性)を持った女性なのだろう。今作の中にも菩薩についての説明は出てくるので興味のある方は是非、作品をご覧頂きたい。(1回目追記少しだけ5.31 17時23分 2回目追記6月1日2時46分 3度目の正直6.1 5.25 おまけ)