かさぶた式部考 公演情報 劇団櫂人(解散しました)「かさぶた式部考」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    タイトルは恋多き平安時代の歌人・和泉式部が「恥多きかさ病み」となり各地を漂白したという伝承に基づくものだという。「かさ」とは社会の理不尽により民衆が受ける痛みを象徴するものであり、血膿のフタはその下にある病巣が癒えない限り無くならない。
    本公演は1969年に初演されており、いま上演する意義は当時の時代背景と現在が奇しくもオリンピック開催という高揚時、その影(下)で苦しみ悩む人々への鎮魂歌のように思える。
    (上演時間2時間30分 途中休憩10分)

    ネタバレBOX

    舞台は1967年の九州の農村。セットは中央を階段状にし、左右も段差高が違う階段があるだけのシンプルなもの。それを農家、公民館、本山宿坊、嶽薬師寺境内という情景を小物を置くだけで表す。例えば農家には井戸や茶器、公民館では蒲団、境内には賽銭箱や休み処の箱馬を置く。

    梗概…炭鉱へ出稼ぎに行った男・豊市(高橋知生サン)は落盤事故で一酸化中毒による重い後遺症を患い帰郷する。母・伊佐(村川玲子サン)が献身的に庇護・介護をし、妻・てるえは別の形で夫を支えている。しかし中毒による耳鳴り、頭痛、錯乱は日に何度も繰り返し、暮らしは困窮を極める。ある日巡礼団と関わり、その一行を率いる尼僧・知修尼(佐藤陽子サン)に豊市は心惹かれる。そして母と共に九州日向の本山まで同行することになるが…。

    脚本は秋元松代、日本各地に伝わる「和泉式部伝説」を基に社会の底辺に生きる人々の哀しみと魂の救済を描いており、その劇風は土俗的でありどこか日本の原風景を思わせる。それゆえ、今から半世紀以上前の物語でありながら色褪せることなく観ることができる。

    一酸化炭素中毒という社会問題を軸にしつつ、別場面でカドミウム(環境汚染で発生したイタイイタイ病)という別の中毒も出し、時代と所を変えても至る所に病巣があることを暗示する。1967年といえば、1964年に開催された東京オリンピックから1970年に開催された大阪万博などによる特需などもあり、高度成長期の只中である。しかしそうした社会背景にありながら、本作のような社会の歪みもあった。
    公演は社会問題と同時に、母子、夫婦、嫁姑という日常に潜むのっぴきならない関係も濃密に描き出す。また知修尼と信者たちとの性愛、そこに宗教と本能という建前と本音、ここに和泉式部の「恥多きかさ病み」が透けて見えてくる。そして脈々と受け継がれる修行中の秘匿、そこには式部の末裔「68代和泉式部」の”かさぶた”が隠れているようだ。それらも含め、登場人物全員=民衆の苦悩とその先にある光明が現代に通じる説話になっている。

    演出は、緞帳代わりの紗幕に、冒頭は1964年時の東京オリンピックの写真、ラストは2020年開催予定の東京オリンピックの会場建設写真を映し出す。半世紀という時を隔てても、なお残酷な現実(原発事故等)が横たわることを提示する演出は巧みだ。
    演技は、豊市の狂気と正気を行き来する端然な演技、母の執着と哀願に見える悄然した姿、妻の愛情と生活の中に見える凛然とした逞しさ、そして知修尼は法衣の下にある美しさと淫情といった凄みが出ていた。全編にわたっての方言・肥後弁は土着感、地に足を付けた民衆といった印象を持たせる。またセットのシンプルさと同時に衣装のモノトーンは、色彩=活気というイメージを持たせない工夫であろう。

    最後に卑小とは思いつつも、豊市を渓谷に吊るすシーンは全編の硬質感ある雰囲気とは異質のようで、違和感を覚えたが…。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2019/06/01 08:06

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