ヌトミック(東京都)
作品タイトル「SUPERHUMAN」
満足度★★★
公園のような遊び場のような空間、遊ぶようにダンスする出演者、リズム感あるラップのような台詞、ポジティブな雰囲気溢れる時間でした。感覚的に紡がれる言葉は、軽さが面白いところと、客席に座って多くの人たちと時間と空間を共有する劇場で聞くのには物足りなく感じるところが玉石混淆。自分の立つ世界を確認&肯定し、「テンプレート的な日々」を生き「老いてく若さの先にある」未来への不安を感じながらも今この瞬間を「超スピードで駆け抜けている」気持ちは痛いほど伝わりました。しかし世代が上の人間としては、社会へ声を上げず刹那的な気分に流されて保守的になっていく若い世代と重なり、一緒に楽しむというよりもちょっと心配にもなりました。撮影・飲食可能、当日パンフには北千住おいしい処MAPありと気軽に演劇が楽しめる心遣いが素晴らしいです。
満足度★★★★
「今、ここ」に存在し、立っていることを確かめ、さらに、より遠くへ、意識、想像を広げていく−−。4人の類まれなる身体を持った俳優たちのパフォーマンスは、終始、そのための試行錯誤、遊びを続けているように見えました。
冒頭で繰り返される「やるやるやられるやるやられる」との言葉には、いやがおうにも人と人とのテリトリー、つまりは「争い」を想起させられますが、4人の実験はそこにとどまるのではなく、劇場のある北千住にいながらにして太平洋へと漕ぎだし、世界を体感することへと向かいます。タイトルの「SUPERHUMAN」には、超人的な身体の可能性のほかにも、領域を踏み越えていく希望のようなものが込められていたのだと思います。
一人ひとりに「役」はなく、明確に対話と呼べるものもありません。戯曲も、音楽のスコアのように、一人ひとりのモノローグの断片と合いの手を組み合わせて作られており、その発話もリズムをとるように、自在に止まったり、走り出したりします。
10年ほど前なら、こうした発語の方法は、「伝わらない」「伝えることが不可能である」という葛藤を前提にしていたでしょう。ですが、ここから立ち上がってくるのはもっとポジティブでオープンな感覚でした。「不可能性は知ってるけど、やるよ」というような(そのオープンさは開演前アナウンスやアフタートークにも感じられました)。これは、これからの演劇と社会との関係を考えるうえでも、とても興味深いことに思えました。
俳優の能力を軸にした実験作である一方で、その俳優たちの思わぬ側面を引き出すところにまでは至っていない惜しさは感じましたが、ともかく、刺激的で考えさせられる体験でした。劇場へ向かう路地を歩きながら、「なんだか東京らしい、いいところだなぁ。でも戦争や災害が起きたり、ゴジラが来たらひとたまりもないかもしれないなぁ……」などと考えていたことが、どうも、この芝居でも扱われていることともリンクしていたようで、印象深い観劇になりました。
満足度★★★
開演前に脚本・演出の額田大志さんから、上演中は写真撮影可能でネット上への公開も可能とアナウンスがあり、2階のカフェで販売している飲み物を飲んでもOKと、何度も丁寧に話しかけてくださいました。砂埃が立つ可能性があるので希望者にはマスクも配布。行き届いた心遣いに触れ、開幕前から気持ちが明るくなりました。
終演後のトークではAokidさんと額田さんのお話を聞くことが出来ました。質問の時間では、観客の意見をそのまま素直に受け取って、正直な言葉で応えてくださったように思います。前説もそうでしたが、とても風通しがよくて、公平で、気持ちのいいコミュニケーションができました。
喫茶店やレストランなどが記載された劇場周辺の地図が配布されており、私の知人はそこに載っているお店に食事に行きました。劇場と地域をつないで、観劇だけで終わらせない演出をしてくださいました。
満足度★★★★
音楽的手法を用いて演劇作品を作ってきたヌトミック。次はどのような展開を見せてくれるかと期待していたら、今作は出演者の得意技披露大会の様相。初めのうちこそ今作は音楽とは関係ないのかしらんと思ったけれど、異なる技能を持つプレイヤーが集まって一つの作品を作り上げるという意味で、この作品の作り方はまさに音楽のそれ。楽しく見れたし出演者の魅力も堪能したけれど、欲を言えば出演者たちの未知の魅力も引き出してほしかった。
マップを作って会場周辺の魅力を引き出していたのはとてもよい試み。