舞台芸術まつり!2018春

The end of company ジエン社

The end of company ジエン社(東京都)

作品タイトル「物の所有を学ぶ庭

平均合計点:22.2
川添史子
鈴木理映子
高野しのぶ
橘 康仁
山﨑健太

川添史子

満足度★★★

庭の中を散歩するように〈所有〉の境界線を見つけていく気分を味わいながら、登場人物たちと一緒に “物の所有を学ぶ”という趣向は大変面白く感じました。妖精への教育、人物たちのいわくありげな関係、この独特の劇世界のルールと、いろいろな概念が台詞の中で示され続けるので、全部に付いていくのに必死で、それに同時多発の発話も加わり、後半、こちら側の思考を重ねる集中力が少し散漫になりました(答えを一つにしないという狙いかもしれませんが……)。個人的には〈人の所有〉をめぐるくだりが一番面白い主題だと感じました。

鈴木理映子

満足度★★★★★

思考の楽しみとその過程で体感した気持ち悪さが後を引いています。

人間社会を埋め尽くす<概念>を扱う作品は、それほど珍しくはないでしょう。ただ、その多くは、そうしたテーマを取り上げ検証すること自体の新鮮さや性善説的な人間性の肯定に終始していた気がします。この作品が差し出す眺めは、それとは違う刺激に満ちていました。

舞台は近未来。危険な胞子が飛ぶ魔の森の侵食が徐々に進むなか、人間の居住地域との緩衝地帯となる「庭」では、森からさまよい出てきた「妖精さん」への教育が進められています。教えているのは、人間社会の概念、とりわけ「所有」について。記名は所有を表すのか、無記名で置かれているものは誰のものか、そこからどのくらい距離をとると所有権は消滅するのか……次々と提示される疑問は、やがて「物体」だけでなく「身体」にも及び、さらには(人間関係やコミュニティにまつわる)「帰属/アイデンティティ」といった問題にまで広がっていきます。

北から侵食してくる森、死に至る胞子といったイメージは、否が応にも、東北と放射能の問題を思い起こさせます。おそらくはもう、人間の居住地の方が狭まっているというのに、人は妖精さんに教育を施そうとしている。そんな不安定な構造は、この作品を単なる思考の実験、シミュレーションではない、「問い」へと深めてもいました。

同時多発の会話も、(そこにも含意はあるのかもしれませんが)メリハリが効いて聴きやすく、エンターテインメント的。思いのほか間口が広い作品になっていることにも好感を持ちました。

ネタバレBOX

中でも身体の所有をめぐる教師と妖精さんとの対話は、奇妙な間がエロティックでもあり、強く印象に残りました。「妖精さん」のどこか地に足のつかない居住まい(演技)は独特のもので、今思えば、「帰属」の揺らぎを表す演出のひとつであったのかもしれませんね。

高野しのぶ

満足度★★★★

題名通り、さまざまな“所有”について考えを巡らせられる刺激的なお芝居でした。脚本・演出の山本健介さんは“所有”について広く、深く研究・考察されたのではないでしょうか。セリフにはカール・マルクス著「資本論」の言及もあり、土地、家、物、ヒトといった目で見て手で触れられるものだけでなく、いつの間にか姿を変えている心や、私たちを取り巻く世界そのものについても果敢に探求されていました。

登場人物らは木々に囲まれた庭のテーブルで会話をします。舞台の周囲は財産なのかゴミなのか判別できない物たちであふれており、客席を分断する通路の先(会場の出入り口方面)には森がある設定です。倉庫のような広い会場の柱を生かし、舞台中央奥には鳥居のような出入り口がありました。文明と自然が混ざり合う空間は、結界が貼られた神妙な聖域、もしくは決して立ち入ってはいけない禁忌の異界のようにも受け取れました。“所有”という概念を問うためにあらゆる境界を曖昧にし、定義不能な間(あわい)において出来事を起こしていく、戯曲の仕掛けが見事だと思います。

感情を動かさないようにする演技は東京の現代口語の会話劇によく見られるもので、この作品もそのうちの1つに数えられるのではないでしょうか。慈善団体のリーダー仁王役を演じた寺内淳志さんは、感情の変化込みでその場、その瞬間を生きるタイプの演技をされており、澄んだ声もまっすぐに届いて、個人的に好印象でした。

当日配布のパンフレットの文章が面白く、開場時間が楽しかったです。終演後に戯曲本を購入しました。

ネタバレBOX

時代は現在の日本、場所は埼玉。地獄の悪魔に追われて人間界に逃げ込んできた“妖精さん”たちは、人間が吸うと死ぬホウシ(胞子?)が充満する森に住み着きました。“妖精さん”には“所有”の概念がないため、その森に隣接する庭で、慈善団体の人々が人間社会のルールを教えています。まずは女性の“妖精さん”に「チロル」(鶴田理紗)、男性の“妖精さん”に「鈴守」(上村聡)と名付けることから始まりました。現代の移民・難民問題と重なります。名付けという行為そのものが“妖精さん”の文化の破壊ではないかという懸念も示されました。

女性教師のハリツメ(湯口光穂)は7年前に故郷から失踪しマイナンバーを持っていません。何かと自分の体に触れてくる鈴守との間にほのかな恋が生まれそうな気配あり。慈善団体リーダーの仁王(寺内淳志)は「マイナンバーもゲットできるし僕と結婚しよう」等とハリツメに迫りますが、報われなさそうです。
この庭は自分の父のものだと主張するクルツ(蒲池柚番)の元夫エムオカ(伊神忠聡)は、致死の森に入り転がる死体の持ち物を採集し、焼却炉で焼いたり、土に埋めたりしています。エムオカの現在の妻ヤノベ(中野あき)は夫を探し求め庭にたどり着きます。男女の三角関係や、持ち主が消え部屋に残された荷物の行方も“所有”の問題提起です。

皆が集う庭はホウシをまき散らし繁殖する木々に浸食されていきます。北関東から北が日本でなくなり、人間の居住区がどんどんと縮小されるなか、“妖精さん”保護区は法律で広げられていきました。“妖精さん”は定められた区域から出ることが禁止されており、人間の街で見つかると殺されます。慈善団体や庭を提供して“妖精さん”と寄り添おうとする人々がいても、残念ながら、越えられない線を引いて、お互いを隔離するしかないんですね。

チロルは貨幣という何とでも交換可能な道具を知り、エムオカからお金をもらって街へと出て行きました。欲望をエンジンに法の穴をかいくぐり、容赦なく広まっていくグローバル経済を想起させます。チロルが陶器のカップの“所有”について学んだのがスタバだったことも象徴的です。

慈善団体のメンバー当麻(善積元)は何にでも意義を唱えたがるシニカルな性格で、仁王に「反対意見ばかり言ってると生きていけない」などと指摘されます。彼の言動から考えされられることが多く、批判精神の重要さが伝わりました。特に私は下記セリフが好きでした。
当麻:わかったらダメなんだって思ってますけどね。人の気持ちなんてわかったら、終わりだ…… 

ジエン社といえば同時多発の現代口語会話が特徴のひとつだと思います。今作で特に面白かったのは、違う場所、時間で行われているはずの会話が、同じ空間で、同時に行われることです。するりと会話の相手が変わり、どこで誰と話しているのかをわからなくしたり、話者が突然その場から立ち去ったりします。境界線がない状態を持続させ、空気が変容し続けるのがとてもスリリングでした。庭、森、スタバが重なる場面が楽しかったですね。

浮遊するホウシを吸うと死ぬ森は「風の谷のナウシカ」の腐界のようですね。一度でも森に入って庭に帰ってきた人間(エムオカ、ヤノベ、当麻ら)は、既に死んでいたのかもしれません。最終的には人間社会と森との面積が逆転していくようでした。
「私的財産制の矛盾と公共の福祉との折り合いのつけ方」「物の来歴は可視化できない」「尊重が伝わっているなら、(身体に)触ってもいい」など、非常に興味深い指摘が多々あり、異なる座組みでの上演も観てみたいと思いました。

橘 康仁

満足度★★★

劇場の使い方がよかった。テーマ性もよかったが、その分もう少しエンタメ要素で引っ張った方がいい気もした。賑やかすという意味ではなく、最後まで食いつかせるものが最初にあるといい気がした。

山﨑健太

満足度★★★★

ジエン社の特徴の一つに複数の時空間が重なり合い、その中で複数の会話が混線しながら展開する過剰な同時多発会話がある。これまでの作品の多くでは、あり得た別の可能性を描き、あるいは過去/現在/未来を並置して見せるために同時多発会話は用いられてきた。今作ではそこに「所有」というテーマが重ねられ、領有や居住、共存の可能性に関する思索を誘うものになっていた点にジエン社の進化を見た。土地と人をめぐる思考は震災後の日本を描き続けるジエン社がたどり着いた必然であり、排外主義の蔓延する現在の世界に生きる私たちにとっても避けては通れないものだろう。

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