★★★★静だが果敢に攻め込んだ作品

対面客席、そして二つのアクティングエリアを併存させた舞台美術を効果的に使用した演出が冴えていました。
震災後だからこそ出てきたであろう、身体の内側から溢れ出てくる台詞が、こころに響いてくる良い舞台だったと思います。
ザンヨウコさんのお母さん役は、小劇場界のビッグマザーともいえる存在感は貫禄とも言えるものでした。
次の公演も期待しています。

★★★★★やっかいで愚かな凡人

この世の中には、ごくごく一部の「特別な人」を除いて、あらゆる人たちが凡人なわけです。凡人は、凡人だから、ごく普通に暮らす、でもちょっと特別なことにあこがれる。でも凡人だから上手くいかないし、誰かのせいや社会のシステムのせいにしたりしてもがき苦しむ。
この戯曲の中で起こることは、とても特別なように見えて、鏡を見ているようだ。とてもやっかいなものを見せられた気がする。愚かで弱くて逞しい、私のような、あなたのような、凡人たちの物語。
場面転換のポップな演出がカッコよくてシビれました。

★★★★★「ニヒル」ではない、問題提起

平凡な人の平凡な生活に潜む悪意を描いて見事でした。
そしてそれは、非凡な人の平凡な悪意を嫌味なく描くことなしには成立しないものだったとも思います。

たくさんの悪意や欲望にさらされて、右往左往する主人公の兄弟。でも実は、この場で明らかになってくるのは、「被害者」風でもある彼ら自身の悪意、そして、いつでも「他者」として生きていたいという愚鈍な態度でもあるのです。

「当事者性」とはなにか。この問題は、震災直後のさまざまな議論を思い起こさせますし、その問いは今も、私達の目の前に置かれています。

ですから、この芝居に簡単に感情移入しようとすると痛い目を見る。では、だからといってこの芝居は、悪意を露呈させて笑う「ニヒル」な作品だったのでしょうか。少なくとも私はむしろ、これが「ニヒルではない」ところが好きなんですけどね。

★★★★愚劣極まりない凡人(=私たち)の群像劇

 駅前劇場中央に舞台があり、2方向から客席がはさみます。私はいつも客席がある方に着席。その方向から見て下手に一般家庭によくありそうなリビング。上手は築数十年経ってそうな一軒家の玄関先。室内と野外の2つの空間が隣り合っています。中央の通路は人がすれ違う度に空間のゆがみを生み出し、この世に存在しないはずのものを想起させる見事な美術です。

 自分の欲望のままに行動し、それが満たされないと他人にやつあたりする。自分のことしか考えていないのに、他人がわがままだと批難する。当事者意識がなく、何が起こっても誰か・何かのせいにする。そしてそのことに自覚がない。登場人物全員がそんな人間であることが驚異的です(笑)。全員に対して「そんなこと言ってるけど行動が全然ともなってないYO!」とツッコミができるほど、約2時間の中に緻密に描き込まれた戯曲でした。

 言動や行動がバカ過ぎてうんざりするしイライラするしムカつきます。さらにはそれを通り越して苦笑・失笑するしかない、というところまで徹底した人物造形と空気づくりが素晴らしいです。
 1対1の密度の高い会話やほぼ他人同士の3人がおそるおそる話す場面など、緊張が続くことが多いです。それをフっとほぐすポップでメロディアスな音楽と、パっと色を変えるカラフルな照明がいいスパイスになっており、劇団独特の持ち味だと思いました。

 劇団員が増加し、集団としての力を蓄えて次の段階へと着実なステップを踏んでいると思えた作品でした。役者さんの中では、リビングにいた主婦役のザンヨウコさんが、いつもながら安定感と説得力のある演技を見せてくださいました。

★★★★★劇団として確かに成長している。

10周年を過ぎてあらゆる意味で円熟してきた。舞台作りの細部がとてもていねいで、その積み上げが我々に感動をもたらす。大きな事件が起こるわけでも、主義主張を前面に押し出すわけでもない。うまい役者陣を見事に使って、骨太の感動を与えてくれる。見事だ。

ラスト近く、父親役の井上裕朗と玉置玲央の台詞の応酬がある。これはまさに名優同士の火花を散らす演技合戦で、観ていてぞくぞくした。今年前半を飾る名シーンとなった。

最近は公演毎に劇団としての成長も感じられ、それもうれしい。

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