牡丹の花は匂えども 公演情報 遊戯空間「牡丹の花は匂えども」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     初日を拝見、食い入るように観た! 断固、観るべし!! 華5つ☆(追記、3.20 )先ずは観て貰いたい。

    ネタバレBOX

     先ずは履物を脱いで小屋入り。足が解放され気持ちがゆったりすると同時に直に床に接することで地球の深部へ身体が通じてゆく感覚に包まれる。板上、舞台美術は極めてシンプルだが、寄席の雰囲気が色濃く漂い、粋そのものである。ホリゾントには襖、襖の上部欄干には“無情迅速”と書かれた額が収まり、恰も時代と場を生きる人、またその哀れや滑稽、哀しみを道連れに生きる人々を、睥睨してでも居るかのようである。下手・上手の側壁には見出し(?)、下手客席側にはめくりが設えられ、板センターやや奥に平台。この平台は高座にもなれば引っ越しの多かった圓朝の屋敷の部屋にもなり、また息子、朝太郎の生母の部屋などになったりもする。基本的に物語に必要な場総てになるので場転での途切れが全くない。食い入るように観ている観客が集中力を削がれるなどという野暮が一切無いのがこの舞台美術の優れた特徴である。
     無論、寄席にも化けるから観客席側の天井部分から黄・赤、黄・赤・・・の順に灯った提灯が下がり、時折噺に合わせる桂 小すみさんの素晴らしい三味の音がいやが上にも感興を添える。尺は途中10分の休憩を挟み2時間半強。 
     物語は江戸の粋を残しつつも、文明開化の波が押し寄せ幕末の安政期に結ばれた米英仏蘭露との不平等条約、清がアヘン戦争で被った重大な領土割譲・被植民地化を目の当たりにしての新国家建設を如何様に成し遂げるか? の難題を抱えつつ先ずは先進国の進んだ技術、社会のノウハウを入手し我が国の近代国家化をどのように成し遂げるか? との争闘の中で明治を迎えた直後の上野のお山での戦、更にその後には征韓論を巡っての内戦が近代国家に曲がりなりにも突進する大日本帝国の政治的状況であった。一方、都市庶民の多くは長屋で相も変らぬその日暮らし、難しい政治や国際情勢なんぞは爪の先程もわかりゃしねえ! そんなことより、今夜の飯は食えるか? 布団は未だあるか? ガキは元気でいるか? ねえねえ尽くしで明日もねえ! のは当たりめいてえ世界だ。下級氏族は慣れぬ商いに活路を見出そうとしたものの、客への応対に言葉の使え方、仕草のイロハすらわかっちゃいねえ、結果商いは失敗。不平旧氏族はあちこちで自由民権運動の活動家として活動した時期があったものの、喰っては行けず、その結果いいように資本家共の汚れ仕事でこき使われた。その勢力の末裔が現在の総会屋にも多い。総会屋の持つ力の源泉は彼らの先祖が握った過去の汚れ仕事の内実を事細かに知っていて、いつでもそれを持ち出して企業を脅せるからだとの話を聞いたことがある。現在迄その資料が有効か否かは知らぬが、基本的ノウハウは共通するであろうから現在でもこういった手合いが相場の裏で動いて居るのかも知れぬ。
     By the way,今作は、こんな裏街道の話ではない。裏街道の話を少しだけ書いたのは朝太郎の生母・里が武士の子で、酒浸りのシーンが出てくるが、その背景は細かく描かれていなかったから、自分が今迄に聞き知った時代に適応できなかった士族出身者の事情を記したまでである。
     今作の本筋は飽くまで落ち目であった名跡・三遊亭を再興した天才落語家、天才創作者、圓朝とその実子・朝太郎の親子関係を中核とし朝太郎の生母、里。義母、幸との確執、圓朝と付き合いの在った政治家井上 馨に落語という芸の持つ社会的意義を認めさせ社会的地位を向上させる算段に尽力したことや著名な山岡 鉄舟との哲学的交流で芸道に対する心得を真摯に語らい(無舌の舌について)、席亭との仲違いでは努力が実って27名もの真打を抱える名跡のトップとして儲けばかりに走る席亭との勝負に出た。即ち圓朝の矜持と芸に拘る姿勢VS寄席経営に重きを置く席亭との対立から対決へと至ったのであった。この争闘の結末以降の引退表明。引退以降の有様が描かれる。
     一方余りに立派な父を持ち、生母・里からの愛情をその幼少期に充分受けることのできなかった朝太郎の、思い切り生母に甘えることができなかったことで心と魂に開いた空虚で底なしの穴は本人にも恐らく充分に意識しきれなかったであろう心と魂の深い傷を拵えていた。一方父圓朝も偉大であり続ける為に自ら選び取っていた自己を律する為の根底的思考の頑なさが、幼い子の柔らかな心と魂の揺らぎを見えなくさせ息子の魂の傷に気付かせなかった。更に天才の天才たる所以、悪に傾く息子を、その原因を深く探り解決することをではなくそのまま放置することで悪の及ぼす善への乱行・苦行を自らの表現という目的の為に本能的に利用する天才故の深い深い業として顕現させてしまう。芸というもの・ことが持つ非人間的な側面の苛烈な責め。恐らく圓朝はこのことを自らの魂の奥で問うことは無意識に避けていただろう。それが天才の宿命でもあり片端性でもあれば、創造力の源泉でもあったに違いない。天才故の悲劇だ。
     天才の生涯は結構不幸なケースが多い。圓朝も華々しい活躍の影に不幸を抱えていた。晩年には血を分けた唯一の息子と絶縁せざるを得なかったからである。義母・幸との経緯、朝太郎が父から絶縁されるに至った経緯は観て確かめて欲しい。一筋縄では行かぬ親子という関係の深さ、念が沁みるであろう。


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    2026/03/19 11:26

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  • 皆さま
    追記しました、ご笑覧下さい。
             ハンダラ 拝

    2026/03/20 12:56

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