われらの血がしょうたい 公演情報 範宙遊泳「われらの血がしょうたい」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「人工知能が抱える孤独」


     山本卓卓が作・演出した2015年の作品をの再演である。今回は演出を額田大志が担当し、一部出演者を入れ替えての上演となった。

    ネタバレBOX

     開演すると舞台上のスクリーンに断片的に「は」「る」「春」「よ」「夜」「女」などと文字が映し出され、やがて「『春の夜』『女性』『失踪』クリック」と投射される。おそらくコンピュータの学習とインターネットのキーワード検索を可視化したのかと見当をつけながら観続けていくうち、「われらの血がしょうたい」というSNS投稿を残して61歳の女性が失踪した事実が観客に知らされる。やがてバッハの無伴奏チェロソナタの旋律にのって現れた二人(植田崇幸、端栞里)は、なにかに操られるかのような不自由な動きを見せる。二人とも失踪した女性にゆかりのある人物だが行方は知らず、なにかに突き飛ばされるようにして舞台奥へと消えてしまう。そのあと投射された字幕から、この失踪した女性が人工知能「ザマ」に変化したことが示唆される。
     
     以降はザマが存在する世界のある場所で起こる様々な出来事を、5名の俳優が何役か演じ分けながら劇が進行していく。お手伝い(井神沙恵)に言い寄るうさんくさそうな若社長(福原冠)の成功と没落、新居を探す若夫婦(植田崇幸、端栞里)の行く末、浮ついた若い警護たち(植田崇幸、埜本幸良)が不審人物(福原冠)にからむ様……ザマに問いかければ今日の天気や株価がわかり、電源のオンオフからひとりのときの話し相手まで担ってくれて便利である。こうしてザマは長い時間、同じ場所で起こる出来事をかわいた感覚で見つめ続けている。やがてこの場所が解体されると、なんとザマは「4分の0」という擬人化されたもの(端栞里)として姿を表す。当初あきらかに機械的に聞こえた「4分の0」の語りは、やがてとめどない絶叫となって人間たちを圧倒するのだった。

     失踪した人物が時間や存在を超越した人工知能になり、時間と存在に固定されている人間の世界に介在し続ける本作を観ていると、常日頃の悲喜こもごもに一喜一憂することがバカバカしく見えて面白い。同時にかわききった視座で人間界に影響をもたらすさまが、まるで己を作り上げた人間たちを凌辱するかのようにも見えて空恐ろしさを覚えた。そして後半に「4分の0」が吐露し続ける叫びは、人工知能のかわきに隠された圧倒的な孤独のように感じられたのである。情報技術が知能の延長であるならば、コンピュータのバグは寂しさや欠落といった人間の感情に由来するのでは、という本作の視座に私は深く思いを馳せることになった。

     多彩な出演者たちの演じ分けはどれも見応えがあったが、特に冒頭で滑らかな動きを見せ、ところどころ情けない男性を演じた植田崇幸、「4分の0」の胸の内をこれでもかと連呼した端栞里が印象深い。ただ作品の構造上是非もないが、演技合戦を堪能するというよりは作品を構成するパーツのように見えてしまった点がやや残念である。

     三面スクリーンに投射された文字やビジュアルに必要以上に雄弁でない音楽、そして蛍光灯を埋め込んだ木枠のセットを使った硬質な空間づくりも作品に多いに貢献していた。私が観たのが最前列だったからか、舞台上下(かみしも)が特にガラガラに感じられたところがあったため、もう少し小さい空間で観たかった。

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    2026/02/28 08:50

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