ライバルは自分自身ANNEX 公演情報 宝石のエメラルド座「ライバルは自分自身ANNEX」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

     自分には全く合わなかった。尺は約90分。「不信の時代」批評と捉えれば無意味でないとは言えまいが、登場する総てのギャグの質が、

    ネタバレBOX

    余りに無粋で無意味。
     或る意味、時代を素直に映した作品かも知れない。舞台美術はそれなりの完成度を示しているものの、何処か不安定感が否めない不思議な感覚を起こさせる。というのも基本レイアウトがシンメトリー等、安定感を齎す普遍的な形式を敢えて避け、力学的構造は保ち乍らも各々の造作に変形を加えたり、変則的な組み合わせ方をしているからである。脚本内容も御多分に漏れず社会的存在であるハズの我らヒトが、社会を形成する為の基本条件であるハズの信頼関係そのものを、その根っこから信じていないと疑えるような内容だからである。どういうことか? 
     通常、文章というものは一先ず人間関係自体を“信じる”前提で構築される。それなしには、互いの交信は不可能となるからである。何故なら徹底的な不信が、総てを疑う以上例え疑う主体としての自己を措定するにせよ、疑われる他の総てがあやふやでしか無ければ、疑う主体が絶対的に存在することの証明も出来るとは言えなくなるのではないか? との疑問に応え得るとは言い難いと言えるのではないか? このように考える人々が増えているとすれば、デカルトやパスカルが数学を用いて彼らの哲学の根底を確認したことに異を唱えることになろう。何れにせよ、現在我々の生活している世界の実情は、嘘、隠蔽、フェイク、これらの複合化や、強者による弱者への刷り込み、恐怖や驚きを与えて隙を作りその隙に乗じて対象を意のままに操る手法やサブリミナル効果を用いての無意識操作、詐欺やなりすまし等々の犯罪迄、他者を信じられない事象の多発等々、世の中は、他人の精神操作術のオンパレードであるから人々が世界に対する不信感を持ち警戒するのは当然であろう。
     今作がこんな時代を反映していると解するならば、今作のギャグが一つ残らず単なる単発的な脱臼や、在り得ない組み合わせによって醸成される場面の意外性の単純な表出だけに終始する構造は簡単に説明できてしまう。日本的ディレッタンティスムの粋であるような粋で鯔背な文化とは真逆のナンセンスとでも名付けたい質のもの。ことという印象を持った。無論マザーグースの歌のようなナンセンスとも質が全く異なり、作品内部での有機的な表現単位の相互連関が予め不信によって阻害されて成立し得ないが故の芸の不在という寒々しい作品に留まるように感じた。荒川 洋治さんでは無いからもじって言おう。“不信の時代も寒い”と。 
    りに寒々しい。

    0

    2025/08/24 09:25

    0

    3

このページのQRコードです。

拡大