5月35日 公演情報 Pカンパニー「5月35日」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    2019年1月下旬北京、タクシー運転手のアダイ(林次樹〈つぐき〉氏)とシウラム(竹下景子さん)老夫婦が暮らす家。アダイは大腸癌の手術を受け、ストーマ(人工肛門)を装着している。使い捨てのパウチ(排泄物を溜める袋)の在庫を確認するシウラムには脳腫瘍が見付かっており、余命3ヶ月との宣告が。死ぬまでの間に持ち物を整理し、自分がいなくなってもアダイが生活できるよう準備してやらないと。その現実が受け止め切れないアダイは「まだ何か手があるんじゃないか?」と話を逸らす。医者の判断ミスだってあるし、まだ絶対死ぬって決まった訳じゃない。シウラムは死んだ愛する息子ジッジの遺品整理に手を付ける。彼が18歳で亡くなったのは30年前、1989年6月4日天安門広場だった。

    開幕時、林次樹氏の演技が少し過剰な気もしたが、竹下景子さんを際立たせる為のアクセントなのだろう。竹下景子さんは完璧だった。70代の丁寧な動作の老女から、鬘と化粧を少し変えただけで40代の激昂する女性に。(歩けなくなる程弱り、記憶の混乱が起きるシーンの時だけもみあげにピンマイクが見えた。細かい拘り)。そしてカーテンコールでは嘘のようにスタスタ普通に歩く姿。何処までが演技なのか?全てが「ザッツ竹下景子」。たっぷりと堪能した。是非全く違う役柄でも観てみたい。

    下手にある漆喰の壁に囲まれた亡き息子ジッジの部屋。蚊帳のように照明によって透けて見える仕様が効果的。30年間、生きていたそのままに保存された空間、それはシウラムの止まった時間。

    失脚した毛沢東が劉少奇から権力を奪還する為に起こした文化大革命(1966年〜1976年)。その混乱に巻き込まれた当時の学生達は進学の機会を奪われた。学問よりも労働が奨励された時代。勉学に心残りがあったシウラムは息子のジッジに夢を託す。裕福ではない家で出来得る限りの教育を与え、アダイが2ヶ月分の給料をはたいて買ってやったチェロ。ジッジは優しい性格で勉学に秀で音楽の才もある自慢の息子。自分達が体験できなかった理想の青春時代を代わりに実現してくれている!そんな彼がある夜両親に告げる。「自分には音楽よりも今やるべきことがあるんだ」と。
    当時、中国の改革に前向きだった胡耀邦(こようほう)、肩書は総書記だったが実権を握っていたのは鄧小平(とうしょうへい)。1987年民主化に理解を示したとして失脚させられ、1989年4月急死。胡耀邦に未来の希望を抱いていた学生や市民達が天安門広場に集まり千人規模の追悼集会を開く。その集会は終わらずどんどん中国全土から人が集まって来て3万人以上に。この流れに恐怖を抱いた鄧小平は戒厳部隊を送り込み武力で鎮圧。6月3日深夜から4日にかけて戦車の突入と機銃掃射により3千人から1万人が虐殺されたと言われる。この事件は国家的に隠蔽され、未だに誰も触れてはいけない禁忌。世界的に報道された事件だったが中国国内では誰もが口をつぐむ。事件についての情報や「6月4日」はネット検閲される為、人々は「5月35日」など隠語を使うようになる。

    昔書かれたディストピア小説みたいだがこれが今の中国の現実。参政党政権になって治安維持法が復活した暁には日本もこうなるのか。

    ネタバレBOX

    訪ねて来るチェロの教師(小谷俊輔氏)、今時のアンちゃん(松永拓野〈たくや〉氏)。松永拓野氏は闇バイトに堕ちたJOYみたい。この息子の遺品を無料で譲る代わりに15分間息子の話を聴いてくれというのはいいアイディアだと思う。そうやって外郭から固めていく情報の出し方。不在の息子ジッジが観客の心に描きこまれていく。
    アダイの弟で政府高官のアペン(内田龍磨氏)は知り合いに似ていて気になった。
    公安の山田健太氏、183cm!
    亡くなったシウラムに逢いに来る息子ジッジは紙谷宥志(かみやゆうし)氏。最後の場面こそチェロが欲しかった!

    前回の初演の際、タイトルの隠語に想像を刺激されやたら気になった。再演を知り必ず観ようと決めた。だが自分が当初思い描いていた作品ではなかった。(一見淡々と静かに生活していく夫婦の日常から、隠語に秘められた悲哀が浮かび上がるような作品を想像していた)。

    1997年英国から香港が返還され中国の特別行政区となる。当初は一国二制度として香港の自治権を認めていたが、中国政府は2017年香港返還20周年を前にして民主化運動への弾圧を強める。200万人が参加した激しいデモ活動。2020年香港国家安全維持法が施行され、事実上、香港でも当局に対する反対運動は不可能になった。
    今作は2019年香港にて上演。勿論中国本土では上演不可。そして今では香港でも上演できない。そのギリギリの状況で書かれた体制批判はもう物語ではない。全てが圧し潰される前の人間の叫びだ。ラストの民衆の自由への歌はそういう状況に追い込まれないと本当の意味では理解できないのだろう。日本は本当に恵まれていることに気付かされる。
    ※今回の日本での上演についてさえ、作家・莊梅岩(そうばいがん)さんは何一つメッセージを出せない。これが香港国家安全維持法。

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    2025/08/14 17:49

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