料理昇降機 公演情報 劇団夢現舎「料理昇降機」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     二度目の観劇。後期日程初日は強い雷雨に祟られたが、地下のスタジオに入り公演が始まると空気は一変! 劇空間という特別な時空間の圧倒的な力を実感する。開演と同時に地下の一室に響く雫の音。その音の不気味が身に染み入る。これほどのインパクトを一回目の観劇では感じなかったが。何れにせよ二度見の効果はしょっぱなから現れた。役者陣の観客への“どしゃぶりの中、来て下さって有難う御座います”という気持ちの籠った迫力のある演技、台詞回しからも力を頂いた。当に演劇は生き物だ。二度観、三度観・・・お勧め作品。追記1回目7.13 15:40。華5つ☆ 追記2回目7.14 02:57

    ネタバレBOX

     一回目の観劇では此処迄深くは気付かなかった、ベンの新聞記事言及の意味する処である。先ず、87歳の老人が渡ろうとした道路の混乱に体力的にも対応できなかった老人は、停止していたトラックの下に潜り込んだ。するとトラックは動き出し老人は轢き殺された。次は「8歳の子が猫を殺した」と苛立たし気に叫ぶベンにガスが、その男の子は云々の突っ込みを入れる。すると「女の子だ」と答えるがこの時11歳の兄が目撃していたことも語り、ガスとの会話の中で兄が殺した猫に対する罪を妹に擦り付けたと判断した。無論不条理劇が不条理劇として成立する社会的条件が提示されたのだ。現実社会の大混乱、既存価値反転、崩壊に起因する人倫崩壊、それ迄真っ当とされてきた総ての価値観、倫理観崩壊の惨憺たる結果を示している訳である。人々は最早まともなヒトとしての価値観の中では生きてゆけないという、全世界に対する認識である。それが、新聞という報道の王者であったメディアを介して提示されることで、綿密な取材と緻密な検証によって客観的であると認知されてきた媒体が未だ信ずるに値するとの願いを込めて語られていると解すべきであろう。既にマスゴミになっているかも知れないが、そうであって欲しくない、という儚い幻影迄込められているという解釈さえこの作品冒頭で提示されたと診た方が良かろう。 
     この後直ぐ、今朝出掛ける時の話をガスがし始める。ベンが道路の真ん中に車を止めて暫く動かなかった理由について、何故そんな不自然なことをしていたのか? との突っ込みである。この時点でガスはベンが自分の知らないことを組織から知らされていたのではないか? との懸念を抱いていたことが感じられ、その後も何度も様々な突っ込みを入れるが、ベンに「どちらが兄貴分なのか」を問われ一歩引くことになった。その端緒がこの無駄の一切無いハズのミッション実行過程の不気味な軋みとして提示されていたことである。これがピンター流の伏線か! と感心させられもした。この後終盤でベンとガスの再びの論争があって、ガスの抱いた疑念はうやむやにされるが、結末を考慮するなら…。さて、ここから先の解釈は楽日迄伏せておく。
     自分の解釈は以下の通り。無論、ベンは組織から総てを明かされていた訳ではあるまい。それは、夢現舎の演出家・演者の解釈も同様であることは演技から分かる。然し作品全体を合理性に則って解釈しようとした結果、小生は以下のように解釈した。
     組織というものの本質的属性は組織を維持することである。これが組織が組織として構築されていることの第一義であるからだ。少なくとも組織中枢はそのように考える。ベンの方が組織に対して従順である。即ち組織にとって都合が良い。ベン自身はそのように身を処すことによってガスより「狡猾」に生き抜く術を持つ。これに対してガスは理屈を通し過ぎる。それは組織を維持し続けることこそ第一義である組織にとって危険なことである。従って組織は、その組織維持の為に不都合な者を処分する。という非倫理的な即ち不条理な条件下にあって実に尤もな論理によって危険を除去した。ピンターという作家。何と寒々しい、我らの現に生きる時代の実相を描いていることであろうか! 終焉時に響く雫の音は開演時の予感を遥かに凌駕する寒く侘しく無情なものであった! これこそ、無意味の味か! 甘~い! 「我らが現に生きている資本主義の正体だ」そんな作家の肉声が地の底から届いてきそうだ。
     





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    2025/07/11 10:02

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  • 皆さま
    追記1回目、遅くなって申し訳ありません。2回目も本日中にアップします。
                              ハンダラ 拝

    2025/07/13 15:45

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