坂口安吾 白痴 公演情報 726「坂口安吾 白痴」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    幻想的な舞台
    とにかく美しく繊細な舞台だと思う。白痴・サヨのキャラクターの立ち上がりが絶妙でサヨが登場した瞬間はまるで銀の女狐がゆっくりと天上から舞い降りてきたような妖しさだった。これを演じた結がまたぴったりのはまり役だと思う。
    舞台のセットはシンプルだったが中央にブランコを吊るし、傾斜された床の下にはもう一つの繋がった世界を見せるように仕組まれていて素晴らしかった。坂口安吾の作品を忠実に描写した舞台だったと思う。しかしその表現の仕方は幻想的であまりにも美しかった。


    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない。物置のようなひん曲った家の伊沢の借りている一室は母屋から分離した小屋で、ここは昔この家の肺病の息子がねていた小屋だ。

    伊沢は大学を卒業すると新聞記者になり、つづいて文化映画の演出家になった男だったから場末の小工場とアパートにとりかこまれた商店街の生態が低俗なものだとは想像もしていなかった。けれども最大の人物は伊沢の隣人であった。

    気違いは三十前後で、母親があり、二十五、六の女房があった。母親は強度のヒステリーで、気違いの女房は白痴であった。白痴の女房は娘のような品の良さで、眼の細々と、瓜実顔の古風の人形か能面のような美しい顔立ちだった。

    戦時中の動乱の時代に伊沢の情熱は死んでいたがある晩、遅く帰宅すると積み重ねた蒲団の横に白痴の女がかくれていた。伊沢は多分母親から叱られて思い余って逃げこんで来たのだろうと思ったから一夜泊めてやった。これがきっかけで伊沢の心には奇妙な勇気が湧いてきた。その実体は生活上の感情喪失に対する好奇心と刺戟との魅力に惹かれただけのものであったが、同時に白痴の女の一夜を保護するという眼前の義務の為だと自分自身に言いきかした。

    しかし女は叱られて逃げ場に窮してそれだけの理由によって来たのではない。伊沢の愛情を目算に入れていたのであった。この事態で、白痴の心の素直さや幼い子供の無心さと変るところがないのを知ることになったのだった。

    伊沢は哀れな白痴の女の保護感に囚われた。女はまるで最も薄い一枚のガラスのように喜怒哀楽の微風にすら反響し、放心と怯えの皺の間へ人の意志を受け入れ通過させているだけだ。この女はまるで俺のために造られた悲しい人形のようではないか。伊沢はこの女と抱き合い、暗い曠野を飄々と風に吹かれて歩いている、無限の旅路を目に描いた。

    彼は毎朝出勤し、その留守宅の押入の中に一人の白痴が残されて彼の帰りを待っている。しかし彼は一歩外へ出るとこの白痴のことは忘れてしまう。彼は自分の本質が低俗な世間なみにすぎないことを咒い憤るのみだった。白痴の女はただ待ちもうけている肉体であるにすぎず、伊沢の手が女の肉体の一部にふれるというだけで、在るものはただ無自覚な肉慾のみ。それはあらゆる時間に目覚め、虫の如き倦まざる反応の蠢動を起す肉体であるにすぎない。

    ある日、井沢と白痴はふとんを被って押入の中で、爆撃が終わるのを待っていた。このとき彼は見た。白痴の顔を。それはただ本能的な死への恐怖と死への苦悶があるだけで、心の影の片鱗もない苦悶の相の見るに堪えぬ醜悪さだった。

    もし白痴の女が焼け死んだら・・・、土から作られた人形が土にかえるだけではないか。もしこの街に焼夷弾のふりそそぐ夜がきたら・・・俺は女を殺しはしない。俺は卑劣で、低俗な男だ。俺にはそれだけの度胸はない。だが、戦争がたぶん女を殺すだろう。その戦争の冷酷な手を女の頭上へ向けるためのちょっとした手掛りだけをつかめばいいのだ。そして伊沢は空襲をきわめて冷静に待ち構えていた。

    いよいよ空襲のとき、彼がこの場所を逃げだすためには、あたりの人々がみんな立去った後でなければならないのだ。さもなければ、白痴の姿を見られてしまう。
     
    米機の爆音、高射砲、落下音、爆発の音響、跫音、屋根を打つ弾片。しかし気が付くと彼は白痴の女を抱くように蒲団をかぶって走りでていた。それから一分間ぐらいのことが全然夢中で分らなかった。

    伊沢は女と肩を組み、蒲団をかぶり、「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな。そして、俺から離れるな。分ったね」女はごくんと頷いた。その頷きは稚拙であったが、伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。

    女は眠いといった。そうして女は微かであるが今まで聞き覚えのない鼾声をたてていた。それは豚の鳴声に似ていた。まったくこの女自体が豚そのものだと伊沢は思った。そして彼は子供の頃の小さな記憶の断片をふと思いだしていた。一人の餓鬼大将の命令で十何人かの子供たちが仔豚を追いまわしていた。追いつめて、餓鬼大将はジャックナイフでいくらかの豚の尻肉を切りとった。豚は痛そうな顔もせず、特別の鳴声もたてなかった。尻の肉を切りとられたことも知らないように、ただ逃げまわっているだけだった。

    女の眠りこけているうちに女を置いて立去りたいとも思ったが、それすらも面倒くさくなっていた。女に対して微塵の愛情もなかったし、未練もなかったが、捨てるだけの張合いもなかった。生きるための、明日の希望がないからだった。


    闇市や賭場、淫売が横行し、商店街の生態はひどく荒みきっていた最中の伊沢の心の内を描写したものだったが、ともすれば汚いどん底の情景を幻想的で美しい演出に変えていた。人間の本心を求めて理想を追う伊沢が導き出した結論は「蔑まされようと愛されようと関係なくただ、生きている」白痴の心に重心を置いた作品だった。

    次回もこの劇団の作品は観たいと心から思う。

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    2010/10/18 17:48

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