短編作品集『3℃の飯より君が好き』 公演情報 劇団印象-indian elephant-「短編作品集『3℃の飯より君が好き』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     Aチームを拝見。2作を上演するが、第1部はリーディング公演、第2部が通常の演劇公演である。板上には、2部で用いられる舞台道具も大きな物は予め置かれているが、リーディングで用いられるのは木製の椅子3脚のみなので他の道具は目立たぬように照明で加減している。興味深いのはリーディングでは実験的に効果音迄台詞化されて上演される点だ。第2部6.10 0時20分アップ

    ネタバレBOX

    登場人物は3名、全員中学3年生、15歳。理沙と陽子は小学校時代スイミングスクールで隣り合ったレーンで泳いでいる際、タイムトライアルでのライバルとして意気投合、親友になった。陽子は中学に入ってもスィミングスクール通いを続けているが、理沙は演劇部に入りスィミングスクールは止めてしまった。もう1人の登場人物は矢張り演劇部の保。
     ところで中三になってクラスメイトの中には眉毛を抜いたり、マニュキュアをしたりと化粧を始める者も何人か出てきた。これらの女子は男子に人気があり、どことなく大人っぽい。これに反感を覚えた陽子は男に媚びる価値観が化粧させるのだと反発し理沙と化粧をしない約束をしていたが、演劇部では「オセロー」を演じることとなり保がオセロー役、理沙がデズデモーナ役と決まった。演劇上でのメイクが一般の化粧とは異なるのではないか? と例外規定として約束違反を認めて貰いたかった理沙は陽子の頑なな態度に遭い絶交してしまう。陽子は陽子で演劇の世界に入って自分の分からない言葉や概念を用い話す理沙との齟齬に対するに、二人とも未だ自らの社会的責任を負うことの意味すら知らぬまま化粧しないという約束をしたことを根拠にストイシズムで対抗する。そして演劇部部室に忍び込んだ際偶然耳にした、保がドーランを顔に塗って演じたいという話を盗み聞き、SNSでブラックフェイスが差別語であるとして炎上させた。この件は、職員室でも問題化されたから卒業記念公演「オセロー」も潰されかねない事態に発展する可能性さえ出てきたのである。ここは演劇サイトであるから「オセロー」観劇経験は無くともシナリオは読んでいて当たり前。裏切りと嘘、偽情報散布が、「オセロー」と交錯している点は誰でも気付く。従って今作は「オセロー」の最も重要なテーマの一つである裏切り、嘘(本当に見えがちな嘘、或いは本当と誤解されがちな虚々実々情報)、或いは様々な見解があるにも関わらず見解は唯一つであるかのようにSNSという検証不完全な媒体に載せて拡散することで歪みを作り出す過程を炙り出す。無論、ブラックフェイスは19世紀英米で隆盛を誇った数多くの役者らによって世界中に広まり、差別問題として取り上げられるようになってからも暫くは用いられたメイクであったが、異論もあり、保の見解もまた差別では無く、人種差別社会で実力だけでトップにのし上がったオセローに対するリスペクトからブラックファイス採用を検討していた。陽子が自分の為したことを保に告白し彼女の行為は露見することとなったが、その解決策があっけらかんとしていて15歳を現すのに相応しい。
     効果音を総て台詞で表現している実験が効果的だとは思わないが、少し深読みすればこれも15歳のストイシズムを、演劇としても演出でサポートしていると観れば極めて面白い実験であり、更に作品を深いものにしているということができる。問われているのは、我々観客の受け取り方の深さと広がりではあるまいか?

    第2部はフライヤーでも採用されているタイトルの作品だ。
     今作で最も問題となるのが、このカップルが互いの生殖に関わる器官に抱えることになった氷が何のメタファーなのか? ということであろう。作中、男の目指すもの・ことは頑是ない子供の悪戯書きのような詩を書くこと。一方女は日常的には実生活を重んじるものの、男の夢に賭けることで接点を作り出しファンタジーのような結実を見せる点がグーだ。
     因みに後片付けができない男と夫婦になって2年の二人は新婚旅行にも行っていない。男はソファーに寝そべり洗濯物は取り込んであるものの畳んではいない状態だ。夜勤仕事に出掛ける前に1時間ほどある。そこへ妻が仕事から帰宅。夫が相変わらず部屋を散らかしているのを見て呆れつつも洗濯物を畳むのを手伝う。夫は出掛ける前に食事をする積りである。メニュは夫の誕生日に妻が作ったカレーを解凍して食べようとするが、妻は経年劣化で味が落ちていると反対、中々意見が纏まらない。そんな中の雑談に新婚旅行に行っていない話も出てくるのだがそれらの雑談中、夫が冷凍庫から出したカレーで食事の準備をしに電子レンジのあるキッチンに行っている間に妻の体に異変が起きた。何と臨月を迎えた妊婦の如くお腹が膨らんでしまったのである。而もそのお腹は氷のように冷たい。重さを尋ねると3㎏くらいとの答え。あれこれ対応を考えるがどれも上手く行かない。そうこうしている内に、夫の性器もコチンコチンに冷え固まってしまった。二人は途方に暮れあれこれ考えるも解は無い。仕方なくレンジで温め直したカレーを食べると、二人共同時に氷が溶け始めるのを感じ、実際に氷は溶け去って元の体に戻った。二人は共に手を取り合い舞う。その様は丁度始原の海に初めて出現した命のように、幻想の海に漂い、波と戯れ翻って風と遊び再び海に溶けるかと思われる。このように比喩的で詩的な作品である。解釈は様々だ。自分の解釈は以下の通り。
    演劇は、小説よりずっと詩に近い。小説は煉瓦を一つ一つ積み上げて完成に近づける作品群であるが、詩はいきなり本質を手掴みにし言葉の髄で固定する。作中、男の目指す詩は頑是ない子供が落書きしたような詩を理想としていることが語られるが、その意味する処は総てのバイアスを排除し虚心坦懐にもの・ことを観察しそれを真っ直ぐに表現するということだろう。言うは易く行うは難い芸術論である。然し乍ら、妻も夫の理念に共感はしている。掛かるが故に二人は支え合い偕老同穴の契りを結んでいるのであり、掛かるが故に始原の生命体のようなファンタスティックダンスを共に踊ることが出来るのである。タイトルに3℃が入って水の極めて珍しい性質の一つ、約4℃でその密度が最大になることと大いに関係している。何故なら彼らの恋の密度は3℃の水がその比率の多くを占める飯より妻を愛していることになるからであり、二人の体の異常が食物を摂ることによって解消され問題だらけの未来(氷)から問題の氷解した新たな未来へと転化したからである。換言すれば自分の解釈では、氷が表して居たのは未来(問題だらけの)であり夫婦は新たな未来へ旅立った訳だ。これを寿がずして何を寿ごう。

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    2024/06/09 20:38

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  • 皆さま
    遅くなりましたが追記しました。ご笑覧ください。
                     ハンダラ 

    2024/06/10 00:25

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