夢の痂(かさぶた) 公演情報 新国立劇場「夢の痂(かさぶた)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    井上さんのメッセージがストレートに響く
    「東京裁判三部作」の最後にふさわしい、素晴らしい音楽劇。
    楽しい歌や笑いの中に、メッセージが光る。

    ネタバレBOX

    大本営の参謀・三宅が終戦直後、敗戦の責任を取って自害しようとするが助かってしまう。
    その後、親戚の骨董屋の手伝いで屏風を、元大地主で、旧家の主人に売りに行くことになった。
    売りに行った旧家には、30をすぎても嫁がない娘(国語文法の教師・絹子)がいる。彼女がお見合いを断っているのは、思いを寄せる男がいたのだが、戦争で失っていたことによる。
    その旧家には、天皇の東北巡幸の際の宿泊場所になったとの内定が来る。
    かつて大本営の参謀だったことから、天皇陛下のことをよく存じ上げているということで、絹子から、陛下をどのようにお迎えすればいいのかアドバイスをしてほしいと頼まれる。つまり、陛下をお迎えするための参謀になってくれと頼まれるのだ。
    元参謀の三宅は、陛下に扮して予行練習を重ねていく。
    実は、絹子は、陛下に一言申し上げたいことがあったのだ。

    「東京裁判三部作」の中の最後の作品にあたるのだが、前2作とは異なり、直接的に東京裁判が出てくるわけではない。
    しかし、東京裁判で裁かれる者(裁かれるはずの者)について、ラストの娘の訴えによって明らかになっていくのだ。

    戦争の責任が誰にあるのか、という主張は、「陛下に一言謝ってほしい」という娘の願いに込められている。
    責任があるから謝ってほしいということなのだ。しかし、それは、大元帥であった陛下に責任があるということだけを主張しているのではない。

    一番上の者が謝れば、その下の者も、また、その下の者、そして、国民すべてが責任について考えることになっていくという主張と、陛下の一言が、国民にとっての救いになり、復興の原動力になる、という主張は重い。

    東京裁判について国民の多くが無関心だったこともあるのだろう。

    そして、国語文法の教師である娘・絹子が主張するのは、文法から読み解く日本語と日本人の特性だ。

    例えば、「日本語には主語がなくても成り立つ」から「主語は隠れやすい」。そして隠れる場所は「そのときの状況」である。ということ。

    また、8月15日より前は「本土決戦は日本人の使命である」と主張していたスローガンの中の「本土決戦」を、8月15日をすぎれば、「デモクラシー」と入れ替え「デモクラシーは日本人の使命である」をスローガンとしても通じてしまう。
    日本語は名詞に「は」を付ければ簡単に主格になってしまう。つまり、その時々に一番強い言葉に「は」を入れてしまえば、りっぱなことを言っているように見えてしまうということ。
    だから、戦中と戦後にまったく反対のことを主張していたとしても、それには誰も違和感を感じないということなのだ。

    それらの中で、われわれが感じ取らなければならない「戦争の責任」。
    「誰に責任がある」と戦犯を捜し、糾弾することではなく、戦争にかかわったすべての人に責任があるということからスタートすることの大切さ、つまり、そこからスタートすべきであったということを示しているととらえた。

    そうしたことをきちんと済ませてこなかったこと、についての問い掛けや反省が、この舞台に込められているのではないだろうか。

    「主語を隠してしまう」と言う、その気分と気持ちは今も日本人の中に続いている。
    つまり、きちんと反省してこなかったことで、また、簡単に主語を状況や に隠してしまい、同じ過ちを繰り返していく可能性があるかもしれないということだ。

    ラスト近く、絹子が陛下に扮している元参謀の三宅に問い掛け、三宅がそれに対して思わず答えてしまう展開は、笑いながらも、笑えないという、重さがある。

    井上ひさしさんの、強いメッセージが台詞に乗り、見ている者の心にぐっとやって来る。

    音楽劇という、一見優しいカタチをとりながら、その実とてもきつい真実を述べている、本当にいい作品だと思う。

    全回ともにラストに共通する歌もよかった。しんみり。

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    2010/06/21 07:18

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  • KAEさん

    コメントありがとうございます。

    私も3部作の中で、一番だと思いました。
    日本語の文法と日本人の国民性、そして日本人の戦争を見事に結びつけ、描いた素晴らしい作品だと。
    それは、KAEさんのご指摘のように、やはり、井上さんをおいて他にはいないように思ってしまいます。本当に残念です。

    3部作を見終わっても、もう一回3つとも観たいと思ってしまいます。

    2010/06/22 04:11

    アキラ様

    私も、この作品、実は、3部作の中で、一番の秀作ではないかと、以前観劇した折、思いました。
    こんなスゴイ作品書けるのは、やはり井上さんを置いて他には見当たらない気がしています。
    対外的には、3部作中、一番地味な題材なんですが、それだからこそ、余計、終盤で語られる、珠玉の台詞が、観る者の胸に迫りますよね。
    あの「主語を曖昧にする習性」についての台詞は、本当に、胸を抉られるような衝撃がありました。
    井上さんは、共産主義でいらしたようですが、単なるアジテーション芝居にならず、御本人がいつも口にされていたように、難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に書いて下さった、稀有な才能に満ち溢れた、偉大な劇作家だったと、つくづく痛感致します。
    この公演、時間的に難しく、観劇できませんが、アキラさんのレビューのお陰で、頭の中で、反芻することができました。ありがとうございます。

    2010/06/21 16:39

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