猫 公演情報 シンクロナイズ・プロデュース「」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    猫と一緒にいる意義。
    走馬灯のように駆け抜けたひとりの青年の人生を、彼自身が見る多層的な夢のなかで妖艶なサーカスやおどけるピエロ、あやつり人形などの虚構を介在させつつ幻想的に描こうとしている心意気は素晴らしかったが、如何せん妖艶なサーカスの見せ場の比重が大きくまた、青年の鬱屈したコンプレックスや自分を受け入れることを拒否する社会に対する怒りや憎悪、砂を噛むようなやりきれなさ、青年と猫との交流の中から紡ぎだされるはずの人間のあるべき姿、社会や家族の本質などが見えにくかったため、シーンごとに分割して観ると良質なのだが全体を通してみるとやや散漫であった。

    ネタバレBOX

    舞台装置は天井の中心部分に取り付けられた円形のカーテレールを取り囲む、サーカステントをモチーフにしたカラフルなストライプ模様の生地とその後ろに置かれた高台のみで、ほぼ素舞台に近い状態だが上手側にピアノ線のような糸がダイヤ柄状に張り巡らされ、また舞台両サイドの中二階にのぼる梯子を取り付けるなどの細工を施しており、独創的な舞台空間が創り上げていた。ただ少し気になったのは、梯子が素の状態だったことと、高台の置かれている位置。前者はペイントなり、紐を巻くなりしした方が雰囲気が出るように思え、後者はもう少しサーカステントから距離を置いた方が舞台の奥行きが出たのではないかとおもう。

    冒頭の、高台から飛び降り自殺をする青年の姿を、やわらかな音楽にあわせてゆらゆらと漂いながら見上げる猫たちと最後の、地面でうつぶせになって死んでいる青年の描写から、この物語が、飛び降り自殺をする青年が地面に落ちて行くまでのほんの一瞬の間に見る心象風景を世間でよくいう『死に際に人は走馬灯のように人生を振り返る』という仮説にならい、青年がこれまでに関わってきた家族との関係や、人生で起こった出来事などを虚実交えて総括するものであったというオチは個人的には好きだが、どうして彼が自分にも世界にも絶望をするまでに至ったのか、その経緯や青年の心の暗部の描写が不明確だったため、ラストの衝撃度が薄かった。

    物語の展開は、青年が何かしら思い出した順番に進んでいくために、時系列はバラバラであるが、並列すると、家族と過ごしたあの頃を回想するうちに、サーカスの経営は破産してじいさんが病気になった悲しい現実や、仕事が上手く行かずにクビになった日のこと、膝をかかえてテーブルの下でじっとしていたあの日のことなどを思い出し、やりきれなくなった青年が猫のサーカス団という幻想や、猫を買収し、猫と一緒に孤独な日々を過ごした、という妄想をつくりだし、それらの妄想を食い止めるために、インチキ占い師が登場し、青年に、エヴァンゲリオンのテレビドラマ版の最終話的な、自己と他者における実存的な問いかけを、クイズミリオネア形式で尋ねる・・・。というものだった。

    生きているのがツライと感じる青年が、痛切に求めていたことは、一体何だったんだろう。観ている間、考えていたのだが、結局あまりわからなかった。青年は自分の殻にこもり、だんまりを決め込んで、胸の内を話してはくれなかったから。青年の本当の気持ちを引き出して、青年を救済する役割が、青年の妄想が作りだした猫であるべきだったとおもったのだが、時系列をシャッフルするのに一生懸命なってしまい、青年の本心を描くところに気が回らなくなってしまったような印象を受けた。猫がストーリーテラーとなって話をぐいぐい押し上げていったら、また違う感想を持ったかもしれない。

    6

    2010/05/10 23:22

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  • みささま

    いえいえそんな・・・。
    私などはほんとにもう、ミジンコ未満ですので・・・。
    魔術師はむしろみささまかと・・・。
    みささまの華麗なるペン捌き期待しております!
    度々失礼いたしました。

    2010/05/14 02:28

    >沈黙を守るというのは、自分を守る唯一の方法であり、哲学的ですらあるのかもしれないですね。

    いつものことながら、貴女の魔術師のような表現は大好きです。バシュっと音がするほど真っ直ぐにド真ん中に胸に飛び込みます。流石です。

    >こちらこそこの度は色々とご指摘くださりありがとうございました!

    いあいあ、そんな大層なものではありませんよ。貴女の表現力で、そう感じただけです。
    次回もレビューを楽しみにしていますね。ホント、堪らなく好きです。

    2010/05/14 01:06

    みささま
    再びコメントをいただきまして、ありがとうございます。

    >この物語は現実の世界からかけ離れた、いわば、この世と黄泉の国との空間の出来事かな?と感じたのです。

    おっしゃる通り、青年のたましいがこの世とあの世を浮遊する。
    猫はそんなお話でした。

    >現実離れした物語だったとしたら、あえて言葉にしない方が妖しい雰囲気にはなるかな?と考えたものですから。

    なるほど!そういう考え方があったのですね。
    喉元につっかかっていた魚の骨が今スーととれたような気分です。笑
    私は、ほとんど何も語らない主人公というのがカルチャーショックで、
    戸惑ってしまったのだとおもいます。
    それでもはやり、何も期待し何も求めない青年というのはにわかに信じがたいのですが、
    沈黙を守るというのは、自分を守る唯一の方法であり、哲学的ですらあるのかもしれないですね。

    >こういった曖昧と言うかあやふやと言うか、
    心の奥底で眠っていたものを尖った爪の先でチョンチョンと突かれるような感覚の舞台が堪らなく好きなんです。

    私も、おとぎばなしの世界のなかをさ迷っているような、それでいて五感を刺激するような、抽象的な芝居は好きな方です。

    >夜のピクニックみたいな雰囲気があったでしょう?

    まどろむ夢のなかをふわふわ飛んでいるけれど淡々と時を刻んでいる感じ、
    確かに似ていたかもしれません。
    夜のピクニックのように最後は切なくあったかい気持ちになれませんでしたが・・・苦笑


    こちらこそこの度は色々とご指摘くださりありがとうございました!
    今後ともよろしくお願いします!

    2010/05/13 23:38

    >個人的には何も求めないことは何かを求めていた結果に起こる感情で
    その気持ちはある程度、ことばにしないと伝わらないことだとおもっています。

    正論だと思います。
    ただ、その正論は正常な人間に限って言えることかと。
    物心ついたときから何も求めない、期待しない子って確かに居るのですよ。子供なのに・・。どこでどうやってそうなったかは解らないですが。こういった人間はほんの一握りかと思います。そういった子が大人になった時にこの青年のようになるのかな?とちょっとゾッとしました。

    本題に戻りますが、「自殺をする青年の姿を、やわらかな音楽にあわせてゆらゆらと漂いながら見上げる猫たちと最後」という文章から、この物語は現実の世界からかけ離れた、いわば、この世と黄泉の国との空間の出来事かな?と感じたのです。
    現実離れした物語だったとしたら、あえて言葉にしない方が妖しい雰囲気にはなるかな?と考えたものですから。

    >そこに至るまでの青年の気持ちが描かれていないと伝わりにくい。
    というのが厳しい言い方ですが、私の見解です。


    なるほど・・、やはり芝居を観てないと、レビューだけでの感じ方なのでどういった細かい描写だったのかがワタクシには解りません。やはり観るべきでした。貴女のレビューを見なければ、そうは思いませんでした。


    >シンクロナイズ・プロデュースの舞台のつくり方は非常に映像的なように思います。
    それもハリウッド映画のような誰でもウェルカムなエンターテイメント作品ではなく、
    タルコフスキーのように普遍的なことを描きながらも、大衆向きでない実験映像に近いような。


    ええ、同感です。だからこそ評価は割れるのですね、観劇者によって受ける印象が違ってきますし、感受性も大いに左右される舞台ですね。しかしながら、こういった曖昧と言うかあやふやと言うか、心の奥底で眠っていたものを尖った爪の先でチョンチョンと突かれるような感覚の舞台が堪らなく好きなんです。夜のピクニックみたいな雰囲気があったでしょう?
    いあいあ、貴女のレビューで眠っていた感覚が起こされましたよ。笑

    2010/05/12 01:45

    コメントありがとうございます。
    シンクロナイズプロデュースの前回公演で書かれたみささまのレビュー、
    大変興味深く読ませていただきました。
    世間にも自分にも期待をしていない、排他的な青年という意味では
    ムルソーと通じるものがあったかもしれません。

    >「青年が地面に落ちて行くまでのほんの一瞬の間に見る心象風景」のみに重点を置き、
    その一瞬の一つ一つが青年にとって希望を削ぎ取られていくような内容だったとしたら、
    最後は絶望しかないのだから、死にたいと思うのかもしれません。

    なるほど。
    私にはそこまで考えが及びませんでした。

    個人的には何も求めないことは何かを求めていた結果に起こる感情で
    その気持ちはある程度、ことばにしないと伝わらないことだとおもっています。
    あえて言葉にしないという方法は、
    ことばにならないほどの気持ちの積み重ねであることは理解できますが、
    自殺するほど追いつめられたのならば、
    そこに至るまでの青年の気持ちが描かれていないと伝わりにくい。
    というのが厳しい言い方ですが、私の見解です。

    シンクロナイズ・プロデュースの舞台のつくり方は非常に映像的なように思います。
    それもハリウッド映画のような誰でもウェルカムなエンターテイメント作品ではなく、
    タルコフスキーのように普遍的なことを描きながらも、大衆向きでない実験映像に近いような。

    2010/05/11 22:09

    >どうして彼が自分にも世界にも絶望をするまでに至ったのか、その経緯や青年の心の暗部の描写が不明確だったため、ラストの衝撃度が薄かった。

    思い出したのだけれど、前回の公演でも、主人公が世の中に何も期待していない、求めていないという心持になったのは何故か?という描写はなかった気がします。つまり「シンクロナイズ・プロデュース」は、そうなった原因について特に重きを置いてないのかもしれないですね。
    ここで書かれている、「青年が地面に落ちて行くまでのほんの一瞬の間に見る心象風景」のみに重点を置き、その一瞬の一つ一つが青年にとって希望を削ぎ取られていくような内容だったとしたら、最後は絶望しかないのだから、死にたいと思うのかもしれません。

    こういった思考は男性に多い気がします。やりきれなくなった青年が猫のサーカス団という幻想を作り出すというシーンはとても悲しくて切なくて美しいですね。幻想でも、もう一つの世界が青年にとって希望という玉手箱だったなら、そういう幻想を抱いたまま死ぬのもありかと思いました。

    ワタクシ思うのだけれど、生きているのがツライと感じることと、傷つくのがコワイと感じることは同質だと考えるの。だからそういった人たちは皆似た匂いを持っている。他人と接触する気のない閉じた気配。青年も自分の殻にこもり、他人の殻と触れ合わないようにしてだんまりを決め込んでるってことでしょう?

    う~~ん。。はやり観ておけば良かったかしら?
    他の劇団から招待のお誘いが入るとついついそっちに乗っかっちゃうのです!笑

    2010/05/11 01:11

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