丹青の水屋の富 公演情報 深川とっくり座「丹青の水屋の富」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     落語の「芝浜」を下敷きにしたのかと思ったが、「水屋の富」という噺があるそうで、そちらが下敷きになっているようだ。

    ネタバレBOX

     江戸下町の長屋での暮らしは、至って暮らしやすいものであった。長屋の住人といえば、金の無いのは当たり前、自分も2~3歳当時(1953~4年)深川の長屋で暮らしていたのだが、皆住人は貧しくて亭主は朝仕事に出掛ける、女房は内職するか、仕事がある時は仕事に出るから結構昼の間は長屋のお兄ちゃん、お姉ちゃんが我々幼児の面倒を見てくれた。だから長屋全体が本当に大きな家族のような感じで、どの子が、どの部屋に上がり込んで遊んでいても問題は無かった。それどころか時には鍋釜まで貸し借りするほど貧乏だったから、マッチ(大箱)などもどの時点でどの部屋にあるのか、働きに出たお母さんが戻ってきた時、分からないことが多い。そうすると子供が、困っているそのお母さんに「今日は誰々ちゃんちにあるよ」などと教える。そんな生活であった。長屋の作りは、一部屋四畳半の部屋を繋いだ何棟かを通路を挟んで平行に建て通路の端に井戸があってそこで煮炊きの下準備をしたり、盥と洗濯板を使って洗濯をしたりできるようになっていたから、お母さんたちはそこで皆日々顔を合わせていた。(井戸端会議などという言葉もこんな所から生じたのではないかと思っている)四畳半の部屋は通路側が障子、鍵等無論無い。従って鍵代わりになるのは心張棒のみである。まあ、泥棒が仮に入っても盗むべき物なぞ何も無いというのが通例であった。
     こんな思い出を書いたのは、下町の人々の人情というものが、実は今に始まったものでは
    なく江戸時代には既にあったという資料を読んだことがあるからである。江戸幕府は、人別帳を結構しっかり機能させていたから何時、何処に、誰が居るかもそれなりにキチンと把握していた。今作でも新たな住人となった“おてる”の請負人の話題が出てくるが(そしてそれを同心が確認している)公式には大家が承認していると住人が証言する形で同心からの信任を承けている。貧しい暮らしから生じる苦労や苦悩を人と人との繋がりを創ることで乗り越えてきた人々は他人の苦しみを自分ごととして捉える力を持つから、人別帳から訳あって除外されているような階層の人々をも包み込むような優しさを持つのである。承知の通り、太閤検地以来、各農家の収穫量は為政者である武士に筒抜けである。また人別帳がキチンと制度化されていたから為政者はこの2つを組み合わせることによって誰にどれだけの年貢を課すか計算できる。日本では長らく人口の大多数を占める農民の長男男子が親の遺産を相続するというのが歴史的に続いてきた相続の形式であった。身分制も士農工商で基本的に自らの意思に従って職業選択ができた訳でもない。従って人口の大部分を占めていた長男以外の次男、三男等は幕府の政策次第で下働きに甘んじるか何とか雑役に就くか或いは渡世人になるか等の他生きる術を失っていた(女性の立場は更に厳しかったのは言うまでもない)のである。長屋は、このような階層の人々が暮らす空間であった。
     以上のような情況が今作の拠って立つ社会形態である。このような社会で“おてる”は、序盤から一人だけ垢抜けている。つまりトウシロウではないことが一目で分かる。それが分かった上で観客は、何でもかんでも犯罪と結び付けて考えがちな同心即ちお上を或る意味おちょくってみせる長屋の住人を目撃するのである。と同時に長屋住人のお人好しの側面を見せて笑わせもするのだ。その見せ方が場毎に上手に纏めてあり、それぞれの場をこれも自然に観えるように構成している。流石に長い間地元で公演を続ける劇団の力を感じる。最後の落ちも深い。

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    2023/03/19 11:51

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  • 蛯子さま
    ハンダラです、
    お疲れさまでした。
    江戸下町の風情を感じることが
    できました。有難うございます。
    ラスト、赤子の泣き声で当たり前の
    生活の素晴らしさに気付く夫婦の姿は
    良いですね。
                   机下

    2023/03/19 18:57

    ご来場ありがとうございました!
    楽しんで頂けたなら幸いです。m(_ _)m

    2023/03/19 16:51

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