夕焼けとベル 公演情報 カムヰヤッセン「夕焼けとベル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    複雑な想い・・・
    統一された時間の概念が崩壊しているメランコリックなイラストに終わる世界の続いていく話。と詠う紹介文、それに加えてファンシーなタイトルから時空が歪んで世界が反転する、時系列シャッフルのダークファンタジーを想像したのが誤算だったようだ。
    家族という誰もが逃れられない奥行きのあるテーマや、描かれる人間ドラマのなりゆきにまったく非はないのだが世界、終わる、という言葉に対するイメージの乖離をなかなか埋められず、少々もどかしい気持ちになった。

    ネタバレBOX

    北陸地方のどこか。定期便の船でしか本土に行くことのできない孤島が舞台。
    2つの家族の日常を交互に描き中盤、銀行強盗に失敗し、島に逃亡してきたテロリスト集団によって物語は加速する。

    ここが海に囲まれていることを主張しているような、しかしそれがまるで義務であるかのように淡々と脈打つことを恐れない波の音が聞こえる複雑な形をした島。
    その島の周りを取り囲むように配置された客席からは、島の住人のものと思わしき使い古された持ち物や、営みを垣間見る道具が見え隠れする。
    暗転になりきらぬうちにのっけから、白装束の集団がまたぞろやってきて円陣をつくり全員揃うと奇声を発声しながら奇妙な宗教的儀式を執り行う。
    この集団は人間の臓物を売ったりしていて、島の住人は彼らとは距離を置いているらしい。

    主人公はこの奇妙な宗教家の教祖の息子、拓。
    彼は父親の後を継ぎたくないから小学校を卒業したら島を出て本土に行きたいと思っていることを、クラスメイトの女の子、静香に話す。静香には知的障害者のお姉ちゃんがいて、お母さんはお姉ちゃんばかり構うから彼女は姉をとても嫌っているけど、島を出て行きたい、とは思っていない。

    この島で生まれてこの島で死んでいくことに概ね満足しているように見える。
    この島に暮らしているひとたちは現実と向き合いながら淡々と毎日をこなしている堅実な人びとでもある。しかし、自分が本当に居るべき場所がここではないとおもう者にとって島で暮らすことは苦痛でしかない。男の子の家のお姉さんふたりもやっぱりこの島を逃げ出したかった。一番上のお姉さんは東京に行くことが出来た。二番目のお姉さんは、男の子のお母さんでもある。

    自分が父との近親相姦によって生まれた子供であることを悟りはじめる拓の心は、お姉さんをひとりにできないこと、島を出て行きたいことの狭間でゆれる。

    一方、すべてを終わりにしたかった男の子の姉はテロリストとなって、力には力でしか対抗できないとの声明文を表明し、銀行強盗を起こし、すべてを終わらすために島へ戻ってくる・・・。

    静香の家族らはテロリストの人質となり、怖いおもいをしたことで家族の絆を思い出し、これからは姉に少し優しくなろうとする静香の小さな成長がとても愛らしい。

    同じ頃、男の子の姉は生家を訪れ妹を殺そうとする。しかしそれも未遂に終わり警察に連行されて再び島を出て行くことに…。
    最後、勢いよく飛沫をあげて発進する定期便の船にゆられる男の子は生まれ故郷を振り返らずにまっすぐ前だけを向いて姿勢を正す。

    閉鎖的な村社会、謎のカルト集団、近親相姦、時刻の異なる時計、何層にも塗りたくられた薄暗く紫色の淀んだ空のイラスト、島を出たい少年。等のキーワードは寺山修司の半自叙伝的映画、田園に死すと共通するものがあるがこちらの作品は、これらのものに対して誠実であろうとしており、また本当の気持ちを伝えるために、一字一句丁寧に話そうとしていた。

    家族。という絶対的な組織には言わんとしていることは伝わるはずだ。きっと通じ合えると信じていたい気持ちと、血が繋がっているからある程度は妥協しなければならないという強制が上乗せされているのではないだろうか。
    その微妙なさじ加減が家族ドラマの醍醐味だとすると、息子と父親の関係性の描き方は少々軟弱なようにおもえてしまった。
    臓物をえぐりだして売ってお金にしている父親みたくなりたくないし、そんな父親の後を継ぎたくない、第一気色悪い、という息子の常識人らしい感性はいいのだが、命を粗末にする父親に、どうしてそんなことをするのか。は、何を言ってもどうせ分かってくれないことを承知のうえで、結論だけではなくきちんと問いただして対話する場面は省略しない方が説得力が増したのではないかとおもう。あと、臓物はどこの誰のモノなの?というのが気がかりだった。なんかこういうのって島の若い女が生け贄になってるイメージだから。

    それから作品タイトルを意識したと思われるベル(というよりも鐘)の舞台美術は非常に凝ったつくりであったのだが、副次的な要因を絡めると、違った味わいが出たかもしれない。たとえばベルを鳴らす日課は父親と拓との約束ごとである、臓物が奉られた時には鳴らす回数が変わるので村人たちは感付く、
    ベルは12歳までの男子にしか鳴らせない、など。なぜって夕刻に鳴らす、という行為が退屈な終わりなき世界を終わらす方法であると同時に、長津田が売りさばく臓物もろもろ死者の霊を、拓が清めているように私には見えたから…。

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    2010/04/15 03:28

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