#15『朱の人』 公演情報 キ上の空論「#15『朱の人』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2022/04/15 (金) 19:00

     CoRich舞台芸術に載っていた宣伝のあらすじからは、はっきり言って、何が言いたいのか全然ちんぷんかんぷんでよく分からなかったが、実際に本多劇場で観てみたら、全然期待していなかった割には、かなり面白かった。

     主人公の兄テツキが思い立ったらすぐ実行しないと気がすまない性格で、中学生の頃は、セックスがどんなものか体験してみたいだけで、好きでもない女の子としたり、そのうち、複数人と同時多発的に付き合っていたりと、せわしなく、かなり変わっていて軽率で女の敵的に描かれていて、それを逐一客席に向かってこと細かく説明する弟の性格の違いとの対比は結構笑わせてくれはしたが、その場面に、劇の冒頭から中盤にかけて、時間を取りすぎていて、肝心の劇のメインの内容にすぐ入れなかったことはまずいと思い、尺を取り過ぎだと感じた。

     途中から高校生の時の場面になり、兄テツキが初めて、本気で好きになった女の子が所属しているという演劇部に、その女の子と仲を深めたいがため、入った演劇部で演劇の世界に魅了され、とある劇作家に憧れをいだき、高校2年で学校を飛び出し、東京で、劇作家兼演出家として、自分の劇団を起ち上げる。それを機会に兄テツキが性格が大きく変わっていく。そして、それからの兄テツキが劇作家として劇団員に対して、パワハラスレスレな指導にあたったり、劇団員もだんだん年を食ってきて、これから先の展望がないということだったり、食うのに困り、さすがに手段を選ばざるえなくなった兄テツキが、現実主義者で損得勘定や、確実な集客性などの合理化を執拗に厳しく求めてくる女性プロデューサーに仕方なく身を委ねなければいけなくなり、当然のことながら、自分が書きたいものが書けなくなっていき、様々な制約が覆いかぶさる上に、長年やってきた元メンバーが次々に辞めていき、劇団員の電話でのある話がきっかけとなって、兄テツキが躁鬱になるなど、一人の主人公を通して、演劇業界の問題や演劇人にとってはより、他人事ではない事柄を笑いも稀に交えながら進行していて、演劇人の現状や震災などが起こるとエンタメ業界は身も蓋もないことなど、しっかりと描ききっていて、素晴らしいと感じたが、それと同時に重苦しい気持ちになった。

     途中度中出てきて、兄テツキの心情や周りの状況や環境を説明したり、代弁したりと、前半から中盤、後半にかけて、コミカルな狂言回し役であり、長台詞も多い弟亜月を見事に演じきっている久下恭平という俳優に凄いと感じた。また、後半から終盤にかけての久下恭平演じる弟亜月が、実は幽霊であるということがわかり、兄に付き纏い悪魔の囁きをするに至り、豹変してからの弟亜月の闇のある底しれない怖さを肉体全体から醸し出しております、衝撃を受け、思わず、食い入るように魅入ってしまった。

     最後のほうの場面で、幽霊亜月の悪魔の囁きに一度は動かされそうになったが、最後は、劇団も恋人も何もかも失うが、一からででも、再び演劇の脚本を書き始めるところで終わり、兄テツキは一回駄目になったけれども、しかし、それでも、演劇で生きていくことにした、その最終的な判断に感動し、この劇に多少の救いがあるのではないかと感じた。

     劇に出てくるギャル役の役者がどハマリで
    、ギャル語を繰り出したり、匂わせポーズをしたり、声が異常に大きく、うるさかったりと、強烈な個性を放っていて、今どきの黒ギャルのしぐさなども取り入れていて、面白く、大いに笑えたが、それと同時に今どきのギャルをしっかりと観察して捉えて、演じていると感じ、感心してしまった。

     男女問わず、出演者には、声優、俳優、モデルにダンサーと、普段いろんな分野で活躍される人たちが舞台で喋り、動き、演じていたが、その中で、東京パフォーマンスドールのメンバーとして活動されていた劇団員のユズ役の櫻井紗季さんは、元アイドルにも関わらず、なかなか演技が上達せず、すぐ謝ってしまう、気が小さく、自信がないが、演劇に対する情熱は強い劇団員のユズを見事に演じきっていて脱帽し、才能を感じた。その他にも主人公役、劇団員ユズ役含め、総勢6人の役者には、可能性を感じた。

     しかし、まずもって、20人の出演者は絶対に必要無かったと感じる。この劇は、6人、最大に見積もっても、10人いれば足りたと感じた。両親役の俳優は、演技に幅がない上、段々歳を重ねるはずなのに、そういう違いを皆無なまでに出せていなかったことに不満を強く感じた。兄の友達役の役者も演技がどっちつかずで話にならないし、演劇部の部員役の俳優たちがどの役の役者もほとんど似てみえて、もっと違いや個性を押し出すべきだと感じ、役者の力不足だと思った。
     主人公の兄テツキの学生時代を演じた俳優がパンフレットに、稽古場が柔らかい空気感。稽古が始まるとヒリヒリするくらい集中。スイッチのはっきりした稽古場でした。と言うようなことを書いていたが、まぁ、元々才能のある役者や、実力がある役者は、休み時間にワチャワチャしても、100歩譲って良いとしても、あんまり演技ができない役者は少なくとも、同じように休憩時間に、雑談したりしている暇があったら、その休みの時を有効に使って、自主練習にでも使ったほうが絶対に有効だと感じたし、そもそも、人にもよるかもしれないが、それぐらい自分を追い込まないと、できない役者はいつになっても演技が棒のままだし、それだと演劇をやっている意味が無いと、個人的には思った。皆、仲良しこよしだったら、サークルで良いわけで、プロの劇団員になりたいのならば、遊び感覚でやっている限り、絶対に演技なんて身につかない。もし、そういう軽いつもりで演劇やっている人がいるなら、その人は辞めたほうが良いと思う。

     劇の内容的に本多劇場のような中劇場で演る劇では絶対に無いと感じた。第一、劇作家になり、いろいろ困難を乗り越えたり、苦労したり、メンタルが蝕まれたりといった内容から言っても、あんな大きな舞台を所狭しと駆け回る内容でもないし、客席との妙な距離感から観客を白けさせ、何というか完全に世界観に入れず、半分以上現実に引き戻されるところからも、限界が見えた。もっと小さな、内容から言っても、100席以下の劇場で、自由席にすることで、更に、前の方の席を桟敷席にすれば、役者と、観客、そして劇の世界との一体感が生まれ、自然と観客が劇に没入することができたのではないかと感じる。

     舞台上のセットも所狭しと置かれている割に、全く活用しきれておらず、手に余っているかんじがこちらに伝わってきたので、意味が無いと感じた。それに劇の内容から言って、もっとコストを抑えた小道具、大道具に出来たと感じた。もっと有り合わせのもので工夫することもできただろうにと考えると残念だ。

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    2022/04/18 01:18

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