「流れる」と「光環(コロナ)」 公演情報 劇団あはひ「「流れる」と「光環(コロナ)」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2022/04/09 (土) 19:00

     チラシを前にもらったときに、そして今回の観劇の手引きを見た時からより確信したが、能の所作や形式に乗っ取りつつ、西洋史の系譜や哲学者、エドガー·アラン·ポーの短編小説「盗まれた手紙」、村上春樹の「ある晴れた日曜日の朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という短編小説、能の世阿弥の言葉などを作品の下敷にしたり、劇中に散りばめたりしながら、主人公の女の子役の俳優が殆ど棒読み、無表情で稀にコミカルに演技したりしているのと、他の俳優が演じる、急に声が甲高くなったり、低くなったりする、人の言葉を話す鴉、初老なのに奇妙奇天烈で相当に目立つファッションに身を包み、いつまでも中学生の甘酸っぱい青春のなかにいるかのような変わった夫婦、どうやら危機的状況の未来を予測できる予知能力を持っているらしい男などの個性溢れ、それでいて存在感のかなり薄い登場人物たちとのどこかズレた対話が続き、それに電子音楽も加わり、舞台中央に水が設えられ、それを劇中では海になったり、日食になったりするが、それらがシンクロしていき、この作品は、哲学的な要素や詩的要素、俳優の身体の所作、不条理劇の要素がクロスするとき、これは劇というよりも、良い意味で、現代アートのパフォーマンスを観て、聴いて、5感、そして全身を使って体感しているような感じがした。

     劇を通して、女の子と出会う風変わりな人や鴉との対話は、どこか「不思議の国のアリス」のやり取りを思い起こさせ、お互いがどこかズレているが構わず会話が進んでいく感じは不条理劇を思い起こさせ、そういう細かい部分への気配りや作·演出の大塚健太郎氏の知識量の多さには感服させられた。

     橋がかりを使って出たり、入ったり、音を全く立てずに摺り足で終始動いていたり、足袋を履いて演じたり、観客に緊張感を強い続けることと、完全に能にリスペクトをしながら、現代風な表現も巧みに取り入れて、美しさや儚さ、無常観なども含め、これはまさに本当の意味で、現代能だと感じ、作·演出の大塚健太郎氏の手腕に恐れ入った。

     ただ、劇が終わったあとのアフタートークでの、種明かしばなしの際、作·演出の当人がどう思っているかはわからないが、平たく言ってとても驕り高ぶっているように思えて、鼻持ちならなかった。理由は、前回2021年に『Letters』という作品をKAAT(神奈川芸術劇場)で演った際、アンケートで作品内容がよく分からなかったという大多数の意見に触れ、僕は、作品の内容や意味をちゃんと理解して、納得して帰っていただけるとありがたいです。今回の劇は能の様式に則りつつ、レトリックを作中に入れ込んだことで、分かりづらくはしたが、能に詳しく、推理小説のトリックを分かりきった人たちなら、これぐらいどうということもないんじゃないですかねぇ。というような、知識豊富な人たちに分かれば良いとも取れかねる発言に、疑問を抱き、それはどうかなと感じた。

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    2022/04/10 23:45

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