さいはての街の塵の王 公演情報 尾米タケル之一座「さいはての街の塵の王」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     この小屋の板はちょっと変わっていて正面と正面下手側に客席方向に突き出すような小さな板が延びているが、今回用いられるのは正面の板部分のみである。下手側側面、上手側側面はシンメトリーになっており壁面には鉄格子の嵌められた窓。ホリゾントのほぼ中央に大きな窓枠があり窓枠の奥にスペースが設けられている。その上手に出吐け、側壁と正面壁との間にも出吐けが一カ所ずつ設けられている。総ての壁の表面の凡そ下半分程は厚くパテが塗られたような様相を呈するが、これは塵が堆く積み上がった吹き溜まりのような印象を与える。即ち劇空間そのものが、この精神病棟が様々な人々の嘆きや念の集合によって形成された時空を場として形成していることを示唆していると考えられる。三つの壁以外はフラットなスペースだが、必要に応じて多くの箱馬が様々に必要な物に化す。(追記終了)

    ネタバレBOX


     役者の衣装は、塵の王が黒、他は総て白系である。この色の区別から塵の王とはサタンの仲間との印象も与えるがそうではない。寧ろ人々が希い果たされなかった無念の念の集積が存在と化したものである。
     物語が展開するのは、先に挙げたようにある精神病棟である。その病院の経営姿勢を本音と建て前、時に揶揄によってエンタメ化しつつ分かる者にはその内実が手に取るように分かる形で表現して見せる。展開の組み立て方が頗る上手く、役者陣の演技も力演である。
     患者への虐待や薬漬け、措置入院時の拉致同然の暴虐といった非人道的な扱いをする収容施設の存在する日本の実態は時々ニュースでも報じられるから知識を持つ方も居るだろう。無論、日本にも解放病棟や患者に芸術的表現をさせることによって病の軽減を図る病院も存在するが、今作では未だ先験的な試みではあるもののヨーロッパで実践され始めている徹底的に民主的に話し合い病を軽減するオープンダイアローグ形式の治療法やミコのように己の存在感覚そのものを喪失しているようなケースでは存在し生きている己を五感等の感覚を通して刺激(具体的には掌に氷を載せる、料理の臭いを嗅がせ食欲を刺激する等)蘇生し活発化させることによって精神疾患を克服しようとする方法を対置して見せる。(ミコは実際には発狂していた訳ではなく措置入院で強制的に収容されていたが、幼い子供と引き裂かれていた、そのことが彼女の自殺指向を発症させたのである。そして塵の王を形成する念の一部が彼女の息子のものであった為、彼女は朧気に塵の王を認識できた。劇中母子の出会うシーンは圧巻である。)またヨーロッパの一部の地域では、患者を地域に帰し、医師・看護士が患者の居る家に出掛けて診療する件についても言及される。これらは総て患者を人間的に扱う姿勢であることを対置している訳だ。
     商業演劇でもあるから、エンタメ要素を盛り込み擽りを入れてある。{(医師・サリィが医院オーナーの女であり、バイトでSMクラブの女王をしていること、そのオーナーも精神科医であるが、カルテ自体はハチャメチャだ。そのハチャメチャぶりは観劇して確認すべし)看護士が多重人格(煩悩の数と同じ108重人格、所謂ホームレスの年老いた女性が元ミュージカル俳優で歌踊を披露するなど)
     日欧の差が上に挙げたように対比されているのは、日本の総ての施政方針に現れている体質に対するアンチテーゼと観ることが出来る。同じように収容される場所としての監獄、入管の収容施設等々での虐待、殺人も本質的な人権無視で一般である。この本質的相違を我々日本人個々が深く考える必要があろう。演劇のみならず総てのアートはこのように問題提起をすることもできるし、それが使命の一つでさえあるのだ。


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    2021/12/04 16:54

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  • 皆さま
    ハンダラです。追記しアップしました。
    ご笑覧下さい。

    2021/12/04 21:04

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