実演鑑賞
満足度★★★★
女性の性被害を扱った作品で、男性には想像を超える重い題材ではあるが、不思議な感覚で面白く観た。一つにはミステリー要素のある戯曲、一つには無機的に流れる時間(の酷薄さ)を介在させた演出が、「問題」への踏み込みの深さにも関わらず男性客の凝視を可能にしていた。後者についてはユニークな美術と、抑制しつつも暗くなり過ぎない照明が印象的。長~いテーブルとこれに付随した台が、場転では必ず反時計回りに回るが、テーブルの動きはある点を軸とした回転であり付随する台はテーブルの先端を軸としてまた独自に動くので惑星と衛星の公転の早回しにも見えたり、とにかく物理学的である。
幼少時の義父からの性虐待体験をカムアウトしその分野の研究で教鞭を取る大学教員の主人公(森尾舞)は時に別居中の夫と会い、時に「事件」の参考人として2人の刑事の訪問を受けるが、芝居の中では彼女の想念なのか作者の観念なのか、被害女性(恐らく「事件」で殺害された?)が登場し、彼女自身の中のまだ解消しない被害者性を表わす。想念の中に登場するもう一人の寡黙な男性は「元夫」とパンフにあったが芝居中そうとは気づけなかった。実は彼女の夫が、状況証拠から事件の犯人と疑われているが、刑事の訪問を疎ましく思いながら彼女自身は事件の起こった夜、睡眠薬を飲んで眠っていたため夫のアリバイを証明できないにも関わらず「自分と寝ていた」と証言していた。夫が性犯罪事件の当事者である、という可能性は、彼女が「過去」を克服した証を揺るがすものに思われ、彼女はその可能性を封印しようとした・・台詞を繋ぎ合わせると概略そういう事である。嘘は解消しない何かがある事を逆に示しており、やがて彼女は義父と実母が暮らす実家にやって来る。カラオケ店を始めたのがうまく行っているようだが、ここでの母の娘への気づかいと脆弱さ、義父の無神経さ、不遜さがキムチの匂いの如くリアルに生々しく描写される。母は哀れだが娘を助けなかった意味で共犯だと子供は思う。してやれる事をしたいと母は思うがそのどれもが虚しい仕業である事も知っており、ただ泣く以外に無い姿に「一体何が解決なのか」と途方に暮れる。
芝居は彼女をして「嘘」の証言を刑事に吐露せしめ、夫に対して「避けていた質問を今夜、投げてみる」勇気を持たしめる。「危険だ」と告げる刑事を彼女は黙らせ、夫との対決に向かおうとする所で芝居は終わる。犯人の正解を示さないだろう事は予想通りであるが、その事によって「ミステリー」に引き寄せられていた者は、残された「問題」に向き合わされる。
妻と夫とのやり取りは、その関係も、ユニークで確かに夫はサイコパス的に描かれていて面白い。(「羊たちの沈黙」でのレクターと女刑事とのやり取りと同種の面白さ。)
主人公が夫との間の「曖昧さ」の中に温存した何かを手放す決意をした事は、「問題」との関連では何を意味するのか・・判らない部分が多いが、しかし「問題」が及ぼす当事者の心理を第一とするのでなく、使命に殉ずる事を潔しとする彼女が「全て良きものは真実から導き出すしかない」という信念を貫徹しようとしたと解釈するのが正解に近いかと思う。「殺人事件」は小さな事ではないが、彼女と夫との間の関係にとってはまた別の意味を持つ。彼女は犯人検挙のため、ではなく、性被害にあい、勇気をもって「証言」した女性が貶められる現実の中で、自らがとるべき態度を選択した。