インテリア 公演情報 福井裕孝「インテリア」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「コード(=ルール)からの逸脱がユーモアを生む」という旨のことが千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』に書いてあったと思いますが、この作品ではまさにルールを破ることでおかしみが沢山生まれていました。

    ネタバレBOX

    舞台は「もの」が散乱しているだけで、劇場の壁以外に空間を分割するものはありません。そこに俳優がやってきて、手を洗う身振りをします。ああ、あそこには鏡と洗面台があるんだな、と観客が了解し、俳優がリビングのような空間に移動したと思いきや、先ほど洗面台として使っていた空間に上着をばっと投げつけます。上着はさっき鏡がかかっていた壁があるところを、壁がないかのように通過し、現実に存在する劇場の壁にドンとぶつかり床に落ちます。え、そこ洗面台だったじゃん!壁の設定どうなったん!と観客は意表をつかれ、そのルールの逸脱に笑います。こんな調子で、ルールとその逸脱に笑いが起きる場面が多く、面白く観ました。

    私の隣の席には大きなぬいぐるみが座っていました。客いじりなどが苦手な私は、近くに俳優が来たら嫌だな…、と警戒していたのですが、結局俳優が近くに来ることはなく、最後までぬいぐるみは私の隣の席に居座ったままでした。どうやらこのぬいぐるみは「ものの観客」だったようです。「ものが来て、ものが観て、ものが帰る演劇」は面白い試みだと思うのですが、上記のように「人間の観客」からは、「ものの観客」が、観客なのか出演しているものなのかは、上演前や上演中に判別できません。その意味で、終幕までの間、私の隣のぬいぐるみは、私と同じ現実のレイヤーに存在しているとは思えず、現実からすこしずれたフィクションに近いレイヤーにいるように思えました。私としては「『ものの観客』が演劇を見ている、という演劇」を、私が見ている、みたいな感触を、事後的に持ちました。この事後的にしか「ものの観客」を認識できないという仕組みの遊戯性は、とても魅力的です。

    全体的にルールと戯れる手つきには魅力を感じましたが、ルールが曖昧に見える場面も多く、よく見方がわからないシーンも散見されました。おそらく登場人物が変わるごとにルールも変わっているのだと思いますが、それに気付かせるにはもう少しルールがわかりやすい構成をとると良いかなと思いました。その曖昧さは私にとって、単にノイズとなっていました。

    部屋と家の違いなど、概念的に整理できていない箇所もあるように見受けられました。


    <参考>
    千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』:https://honto.jp/netstore/pd-book_30097183.html
    千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』書評:https://allreviews.jp/review/2013

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    2020/05/02 04:49

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