ゆうめいの座標軸 公演情報 ゆうめい「ゆうめいの座標軸」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    感想を書くために私小説に関するテキストをいくつか読んだのですが、あれ、これ作者=池田亮としてそのまま読めるんじゃないか、と思ったのは、坂口安吾「わが思想の息吹」です。これは一種の私小説論なのですが、安吾はこの文章の中で「いたわり」という言葉を使って、私小説の望ましい読み方について書いています。いわく、事実ベースの物語において、作者がどうやって登場人物を描いたり名前をつけているのか、という「いたわり」方から「作者の思想の息吹を読みとってほしい」。

    ネタバレBOX

    これを踏まえ、『弟兄』における池田さんの「いたわり」方に注目すると、登場人物がずいぶんキャラ化されているなあ、という印象を持ちます。その場面の笑いに奉仕するために選択されたエピソードやセリフ回しが多いように見えました。少しアニメっぽくもあります。それもあって飽きることなく見続けることができるのですが、その観客に対する隙のなさが、逆説的に、舞台にのらない切実なことを指し示しているように思いました。
    また安吾のテキストの中で、作品中に実名を出すことへの言及もあります。いわく、作者の意図的な構成=「いたわり」から外れた事実を描く際には、仮名でしか書くことができない。
    これを踏まえると、実名にこだわる池田さんは、意図的な構成=「いたわり」に固執していると言えるかもしれません。
    総合すると、池田さんは、結果的に笑いが起きるような「いたわり」方にこだわって作品を作っていると言えそうです。
    ただ池田さんの笑いは、コントや漫才などいわゆる「お笑い」ほどハキハキし過ぎていないように思います。俳優が結構リアルな演技をしていて、記号的な演技態でないことも「お笑い」との違いとして大きいように思います(逆に俳優の演技が記号的なものだったらほとんどコントに見えそうだなと思います)。
    個人的には「お笑い」的記号的な演技態と、ずっしりとしたリアリズムの演技態が混ぜこぜになった作品も観てみたいです。緩急をよりはっきりさせることで、作品の厚みが増すのではないでしょうか。

    舞台美術が少し浮いているように思いました。赤が基調のパネルが舞台を取り囲んでいる様は、異様な印象を受けましたが、その色使いが上演に対して効果的だったようには思えませんでした。同時上演されていた他の作品ではメインで使われるものだったのでしょうか。私としては単にノイズになっていたように思います。

    また公演があるたびに毎回良いなあと思っていたのですが、今回も宣伝美術が良かったです。団体活動初期から同じ質感のビジュアルで統一されており、ゆうめいという団体のイメージ形成に大きな役割を果たしていると思います。線の目立つイラストを工作的に切り貼りしたような手作業感漂うグラフィックには、池田さんの「いたわり」方に通ずるものを感じています。


    <参考>
    坂口安吾「わが思想の息吹」:https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42823_26494.html

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    2020/05/02 04:47

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