どさくさ 公演情報 劇団あはひ「どさくさ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    若手の才能を初吟味、とは言いじょう本拠地早稲田どらま館からいきなりの本多劇場、ここで賞味するのはどうかと懸念したが、ちょっと残念。懸念は半ば当った。
    無論、彼らの才能の在り処は目の当たりにし、よくやったとは思うのだが、それを十全に味わえる環境とは言えなかった。ただし美術、照明の申し分ないスタッフワークとはこの劇場だからこそ協働できた由であるから何ともだが、作品そのものは恐らくどらま館が相応しく、我々は初演、ないし(確か賞を獲った)昨年の公演を観た上で、その彼らがどう健闘したかを見に行く、が正しい順序だった、多分。声量とか、舞台の雰囲気も小劇場、狭小空間向き。
    しかし演出は切れ者、俳優は若々しく身体性高し。それが、もう一つ何かがと思わせるのは、小さめの空間が相応しいと思わせる事と繋がるのか判らないが、能や落語に対する造詣や、演劇的意味を読み解く能力が、何に使われるのか、どこに向けられて行くのか、「何かありそうだぞ」と強く思わせるに今回は至らず、私には。という事のようだ。

    ポストトークでは本多劇場公演が決まる経緯からスタッフオファー(ゆうめいの制作請負も含め)にも話が及び、明け透けに喋る若い演出者にも興味を覚えたが、タイプは違えど中屋敷法仁の早熟さに通じるような。中屋敷舞台に私が何処となく感じる「手法を使える職人だが創造者としては思想がない」演出家像、が浮かぶ。新機軸を打ち出し認知されたい野心を持って悪い訳はなく、職人技を磨いて演劇界で仕事をしたい、も有りだ。ある種の「成功」を日本の演劇界で為そうという野心が行き場を失うだろう事や、革新的であることを包摂しない日本社会で演劇というものが芸術本来の役割をどう遂行できるのか、未来ある若者の今後を思うと考え込んでしまうが、余計な心配ではあり、単純に楽しみである。能や落語とツールとしてでなく愛着の対象として付き合える素地には、好感。

    ネタバレBOX

    舞台は能舞台を連想させる、正方形に近いエリアの隅に柱が立ち、正面から三つの区画、奥にもある。最奥は能舞台の橋渡しに寄せた感じ。柱は一本だけ天空へ伸びている。家屋の床の高さから、手前は一段下がっている。前作は能の隅田川を題材としたというが、この作品にも隅田川岸に佇む幽霊?が登場。一段下がった手前は川ないしは河岸を想起させる。その幽霊に「あなたは既に死んでいる」と言われる主人公は、落語の題材「粗忽長屋」の粗忽者が自分が死んだ事にさえ気づかずいるというブラックな笑い話から想を得た模様。「死」を取り上げ、死概念の揺らぎ、境界の揺らぎ等が表現されていく、この作品はこう纏めて良いだろうか。演出面では、先まで男が演じていた「死んだはずの男」が暗転後、同じ上着を着た女が演じるなど役を交換可能としたり、まあ良くあると言えば今や実験的とも言えない手法を、意図的にやったらしいのだが、含意を込め過ぎて頭でっかちに思われたのは疲労した自分の頭が追いつかなかっただけか。。二人の掛け合い台詞の途中でお笑いコンビ(ミルクボーイ)のやり取りになったりとオモロイ瞬間もあったが(前日はなかったが役者が相談してその回に披露したらしい)。
    折しもその翌日に観たジエン社が、ある実験的な公演をやったのを観たが、やはり役を演じる役者を交換可能とする演出について、アフタートークでゲストの園田某氏が解説風に「初めてこういう形態を観る人には難解に思えたかも知れないが、」と断りを入れたのに対し、主宰・山本氏が勢作過程や理念について例の雄弁さで紐解いていた。
    これを聴くに、経験値が大きく異なるとはいえ、手法を選択する背景、思索の深さに格段の差を感じてしまった(勿論山本氏が格上である)。それは実際の舞台にも表われていたと感じたが、またそれは別の機会に。

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    2020/02/16 19:23

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