少女仮面 公演情報 トライストーン・エンタテイメント「少女仮面」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    他の方の勧めや評判も耳にして腰を上げたのが正直な所だが公演半ば過ぎては当然ながら完売、当日券に並べる日もなく諦めていた所、ワンチャンスが成就し千秋楽を観劇した。ダメ元で劇場に開演ギリギリ(実際は2分過ぎ)駆け込んだ所がトラムシートをゲット、開演にも間に合った。
    さて舞台。諸手の拍手とは行かなかった「理由」を考え始めるケースになった。

    ネタバレBOX

    トラムシートは最後列から劇場全体を見渡す位置。出来る事なら、ヒロイン春日野が身に纏おうとする虚構世界に自分も包まれるエリアに居たいのが願望である。
    ところが舞台の方は開演前から備品類が収納されている奥まで見せ、敢えて虚構=作り物である事を強調している。床掃除等をしていたスタッフが去って少女と婆のやり取りのあと、視界を遮蔽する舞台幅に近い黒い壁(=バー春日野の店内を区切る)がゆっくりと降りてくる。スタイリッシュな演出だが、奥行が狭いのが淋しい(作り物性を強調するのだから良いのか..単に見る位置でそう感じるのか..はたまた工夫したが限界ありという事か)。いずれにせよこの遮蔽によって完全虚構世界が作り出された、とは行かず、透き間風がある。箱庭のように擬似世界を温かく包まない。そういった事が一つ。

    いま一つは、序盤で飛ばすバーのマスターなど、名調子にも程がある程に名調子なのに何故か温まらない。一度台詞を噛んだが熱があれば気にならないのに気になる。私は千秋楽である事が役者に与える影響をあれこれ、これを見ながら想像を逞しくした。役者を気負わせてしまった、とすれば、これまでも正解が見えず模索中だったのではないか、とか。若村舞台の最後を最高に仕上げたいと役者達が力んだとか。。

    あとは自分の記憶の問題でもあるが、大西女史の婆が、妙に存在感を発揮し、主役と相性が悪い。始めの登場からして婆でない「何者か」が婆に扮している、と錯覚させる風情(特に声)、私はうっかりこの婆が後で仮面を剥ぎ春日野になって現れるのかな、等と想像し、若村女史がこの声色を使っている、凄え、役者根性半端なかったんだな、等と思い込んだ。いや、そのくらい婆の作りが思わせぶりで、婆でない者が婆を騙っている風を醸していた。これは演技の質として問題だと思う。思うにこの役なら、水族館劇場の某女優(役者名忘れた)が風貌も声もピッタリである(そのまんまで行ける!)。一方少女役の方は役にピシャリであったが。

    水道水を飲みに来る男は春日野に「女」を自覚させる男だがその接触の瞬間までは、「奇妙だけど居てもいい」程度の存在として背景色に馴染む案配でありたい、と願望する。何しろ奥行の無い舞台ではその雰囲気が出ない。焼け跡の時代を引き摺って登場し、そこにその時代を居座らせる水飲み男を周囲が扱い切れないのは、彼らも何処かにまだ戦争の記憶を止めているから。

    しかしこれがどうにか少女仮面の舞台になっていたのは若村という女優のオーラの賜物だろうか。宝塚を極点とするスターシステムの花舞台を春日野は夢うつつに生きており、それがこの「少女仮面」という舞台を背負う若村女史の姿に重なる。その図がくっきりと表れるのはカーテンコール。演じた若村真由美がというより春日野が憑依した若村、が挨拶をする、これにより舞台が閉じたように思った。
    作り物だと揶揄されれば作り物は作り物に居直り、睨み返すのみ、か。

    0

    2020/02/16 18:12

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大