ナイゲン(2019年版) 公演情報 feblaboプロデュース「ナイゲン(2019年版)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     本日拝見して改めて今作が訴えてくるものの実体を捉え得たように思う。(追記2019.9.2)

    ネタバレBOX

    それは、民主主義という考え方についての極めて本質的な質問であり、実践的ロールプレイング「ゲーム」であり、疑似体験を通した学びであると同時に愉しみである。問いが本質的で現実的である以上、答えは論理の純粋な展開だけでは終わらない。どういうことか説明した方が良かろう。論理を純粋に展開するならば、その論理の根拠にするオーダーを過不足なく的確なものに措定してあることは前提である。その上で論理を展開する場合、論理の唯一の展開とは尖鋭化する事の他にあり得ない。即ちラディカルに突き進む以外あり得ないのである。然し、我々は肉体を持ち、社会の現実の中で生きている。而も、ナイゲンは生徒の自主独立を重んじ、学校生活の中で文化祭に関してはトコトン民主的に運営することで、大人達からの干渉を避けよう、というのが本来このナイゲンの設立主意ということになるのではないか? この指摘が的を射ているならば、どさまわり代表の主張は至極真っ当なものであり、全会一致を旨とするナイゲンの主張に照らして極めてエキサイティングな討論となることは自明だろう。この程度のことは高校生にもなれば充分理解できて当たり前である。その上で、今作に登場するのは高校生であるから、親の庇護下にあると考えて良かろう。経済的にも法的にも自立していないので経済的・法的に自立している大人の意見には耳を貸さざるを得ない存在である。(この点こそ、我々は肉体を持ち、社会の現実の中で生きている内実であり、それは精神の目指すもの・ことと本質的に矛盾するのではないか?)その大人は作品には声のみで関わっているが、それで充分である。何故なら今作の眼目は登場人物達の精神がジェンダーという位相に於いてどの位置を占めているかを示せば充分だからだ。(そして主役はあくまで高校生たちだ。)平たく言えば如何に高邁な精神も社会的存在たるを得ないということである。唯一の例外、その主張を守る為の抗議の自死を除き。
     さて、このような条件を踏まえて“どさまわり”代表の方針転換を如何様に評価するかという点が最後の問題になるだろう。無論、ここで結果を示して舞台は終わるが、この判断が本当に正しいか否かについては観客が各々持ち帰って考えるべき宿題であった。答えは既に出ただろうか? 無論自分は自分自身の答えを既に出しているが、各々、熟考されたい。

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    2019/08/24 11:41

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  • みなさま
    今作の提起した宿題について書いておきました。
                     ハンダラ 拝

    2019/09/02 23:07

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