化粧(2幕) 公演情報 劇団ドラマ館「化粧(2幕)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     流石に井上 ひさしさんの脚本。

    ネタバレBOX

    現代日本の戯作者と定義できたであろう井上さんは、五月座公演での口立て稽古のダメ出しなどには現代風の、登場する凶状持ち・伊三郎の科白では七五調に調子を合わせているが、オープニングの人が最も警戒心を解く状態から始まる場面で幕があくのも素晴らしい。さて幕が開けば、相方を見立てて座長・五月 洋子は十八番、「伊三郎別れ旅」の稽古に余念がない。
     ところで、今作が日本演劇史上傑作中の傑作とされるのは、無論、意味の無いことではない。舞台美術、小道具、出演者等は、最小限に抑えられる。つまり独り芝居である。一人で何役も演じることは当然のことだし、拍子木も自分で打たねばならない。衣装替え等も、観客の面前で為される。作品は役者の力量を曝け出す芸というものの様々なレベルを観せる役者の役者としての人生と、同時に今作内で演じられる股旅物・「伊三郎別れ旅」が、入れ子細工になって表現されて居る為、極めて微妙な心理描写レベルを観客の想像力圏内に湧き上がらせる便となっている。更に、伊三郎の科白に込められた捨てられた子の魂の叫びの持つリアリティー(実母に会っても凶状持ち故実子とは明かせない状況で“捨てる程の覚悟があるなら、何故殺してくれなかったか? 殺してしまうことの方が寧ろ本当の親の情ではないのか”)と問うシーンでは、2歳時の鮮烈な記憶体験を持つ自分など思春期であったらフラッシュバックしかねない、という生々しさを持つ。
     このように完成度の高い脚本であるから、演出はかなり原作に忠実である。一方、今作の面白さは、矢張り作品の持つ複雑なメタ構造にあるだろう。観客は観劇中、このメタ構造の齎し続ける刺激のせいで終止想像力の弛緩から免れるし、演者は演者で、このメタ化によって板上で、旅役者の生き様を観客との関係の前に晒してみせることができるのだ。
     演じた女優・あべ敬子さんの熱演も光る。演ずる役割によって女性らしい歩き方・男らしいそれや身のこなしなどの所作が異なるのは無論だが、衣装の着こなし、着替えの際の恥じらいやテンポ、スピードとスマートさ等々の演じ分け、手甲や脚絆のつけ方、腰紐や紐の結び方、化粧・化粧落としの模様、拍子木打ち、更には五七調と現代語との使い分けを始め井上 ひさしさんが脚本に埋め込んだ様々なテクニックを相当な基礎訓練と鍛錬とでものにした形として見せてくれる。そして、これ等総ては、観客の想像力によって完成に導かれるように作られている。この点が今作が日本演劇史上の金字塔と持て囃される理由であろう。

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    2019/06/17 14:10

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