某日快晴ワレ告白セリ 公演情報 タッタタ探検組合「某日快晴ワレ告白セリ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     廃校が決まった母校の中学でタイムカプセルを開けるその日、25年ぶりに現れた男が、タイムカプセルを契機に当時を回想するというシーンから始まる今作。(観る方は、観劇前にネタバレを見ないでにゃ)

    ネタバレBOX

    ちょっと後悔も残る往時の思い出に重なるかのような回想に照明が見事にマッチしていきなり物語に引き込まれる。主人公の有田は、天文部、クラスの悪ガキ・木梨と川岸に苛められている詩人肌の14歳、担任の門馬は大酒呑みで朝から酒臭い。悪ガキ共が一目置くのが一匹狼の真鍋礼子、スケ番のような雰囲気を持つ女子だが、他人の心を痛みを良く知り優しく賢い。他に目立ちたがりの学級委員は内申書評価狙いの小賢しさ。女子のクラス委員と共に生徒会会長、副会長の椅子も狙う。テニス部部長の橋本は男子にもそれなりに人気のある女子だが転校生・遠山がその気取らない性格とルックスから男子の人気を独占し始めると嫉妬に駆られ、白を黒に、黒を白に変え、フェイクニュースなどで人々の判断を狂わせ、情報を操作することで力ある者、体制側に恩を売り、自らの利権を獲得・拡大するマスゴミそっくりな新聞部や、プロレス好きで城山に恋する乙女・石田らと組み、遠山苛めを開始する。だが、遠山と有田は何時しか、惹かれ合うようになっており、苛められ始めた遠山を庇う有田は己の羞恥心や内向性を脱し木梨と川岸にぶつかってゆく。この間、何度かの対決があるのだが、殴られて治療に来た有田に、保健室の矢井田先生は高い評価を下し励ましてくれる。有田が悪ガキと最終決戦をした後、彼らは一度お礼参りをしたものの、以降ちょっかいは出さなくなっていたが、橋本や新聞部のアンチ遠山キャンペーンが燃え盛った折、有田は遠山を傷つける言葉を吐いてしまった、「可愛そうだ」と。これは、彼女の自尊心を最も傷つける言葉だと気付かずに発された言葉だったが、遠山は独り寂しさに頽れそうになった。やがて彼女は父の転勤の為、東京へ引っ越してしまう。矢井田先生が彼女が東京に向かうという情報を、タイムカプセルに入れる彼女の文章を持って知らせに来てくれた。折しも大滝先生の英語の授業中で、大滝先生は有田が遠山を見送る為に授業を抜けることを赦そうとしない。そこに助け舟を出したのがNYからの帰国子女、真鍋であり、大滝を力ずくで止めたのが木梨であった。BGMには中島みゆきの「ファイト」。有田は走る、走る、生涯これほど一所懸命に走ったことは無い勢いで走った。然し列車の出発には間に合わなかった、が。
     25年後、母校に戻った有田の言葉から、彼がその後、遠山が交通事故で亡くなったことや、タイムカプセルに詰めた文章は、有田作の「不幸の手紙」で、本物は黒板の裏に隠してあったことが分かる。
     遠山の書いた文章が読まれる。予想通りの内容だが、其処に書かれていた文章は、遠山の魂が常にオープンマインドで率直、ピュアであり、彼女の純な魂の蒙った痛みがひしひしと聴く者の胸を掻き毟らずにはいない、詩人有田との詩人同士の魂の交流であった。
     タッタタは喜劇を演じる劇団だから、至る所に自虐的な嘲笑や箍外し、脱臼、発想の奇抜等のテクニックが用いられ笑わせてくれるが、間の取り方で笑わせるシーンは比較的少ないかもしれない。この要素にも更に磨きを掛けると作品に膨らみが増すとは思う。今回、予算の関係もあるのかも知れないが、暗転が多かったのは、作品の気勢を削ぎかねないのが残念だったが、この難点をしても強く切実な哀しみを訴える作品の訴求力には、流石と思わせるものがある。不幸の手紙も回送すれば済む、というレベルでは無いものの、ドライなタッチで描かれて居る為、後腐れ無い点がグー。

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    2019/05/18 09:37

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  •  本日、帰宅して読み直してみたら、表記に日本語的に良くない点があり訂正しておきました。江古田にある古藤というギャラリーでやっていたグループ展を見に行ったのですが、6名の作家のうちの5名が丸木美術館繋がりという意識の高い女性アーティストで他に星野 文昭さんの代理の方が彼の作品を展示していて今日は最終日だったので作家。出展者は星野さんを除く全員と代理の方がいらしていて想像していた通りのオープンな対話を楽しみました。今日お会いした作家さんのうち、今迄直接話したことはなかったものの、互いの友人の個展などでお見かけしていた方が1人いらして、話をしてみると広島で幼児の頃被爆なさってピカの光を見て直後に意識を失くしたそうですが、その後、雷光のような強い光を見る度に体が硬直していたのは、ピカを見た時の恐怖によるPTSDであったことが漸く理解できたとおっしゃっていました。核被害の恐ろしさは、核爆発の場合には余りにも規模が大き過ぎて想像力が追いついていかないことと、飛散した核種による被ばくの場合には、五感で被害をリアルタイムでは認識し得ないので被害を受けている瞬間には、何も感じられないという認識の不可能性の問題が在りそうです。また。楽まで駆け抜けて下さい。
                           ハンダラ 拝

    2019/05/19 02:25

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