東京ノ演劇ガ、アル。#2「BAR女の平和」 公演情報 オフィス上の空「東京ノ演劇ガ、アル。#2「BAR女の平和」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     Eを拝見。“女の平和”というのが入っているので直ぐにアリストパネスを思い浮かべてしまったが、用心、要心、の一作にゃ!!(華4つ☆)会期が長いので本質的ネタバレは後で。
    (大分時間を経過したので一応、追記しておく。但し自分で推理したい方は、終演までは見ないでニャ2019.5.22)

    ネタバレBOX


     まあ、一応、女達がセックス・ストライキをするってことで盛り上がるのは、まあ、共通項にゃんだけどにゃ。男の役者は1人も出てこにゃいのだし、BARが効いているにょら。
     チャラケはこの辺までにしておこう。今作、喜劇はこうあらねば、という一典型を為す内容だ。そのユーモアは苦くて黒い。シュガーを入れない濃い目の珈琲だ。ではどんな所が濃い目の珈琲なのかと言うと、先ず門題になる或る物は、オープニングの時点で、既に板上に何げなく置かれていて、而もバーのママ・カオリと肉屋の妻・レイは何らこの“物”に注意を払っていない。而も既にストライキの禁をレイは破っていることを告白、カオリとてモヤモヤしていることを隠そうとはしない。そんな中、何やら押し黙った風のマキは、BARの壁に貼ってある区議会議員選挙に当選しそうなアイコの親友。彼女の当選を願ってか、祝してか微妙なタイミングで召集の掛かっている今回の集まりにアイコも未着、姑から散々嫌味を言われるので電話が掛かって来て直ぐに帰ると言い出していたレイは帰宅のタイミングを掴めないまま愚図愚図していたが、マキがポツリと呟いた一言は、信じられない事実だった。
     彼女は、夫と口論になり、出掛けに追いかけて来た彼を壁と車の間に挟んで圧殺してしまった、というのだった。直後に到着したアイコは、煮え切らないマキが何事も他人に頼って自らの行動を自らの意志で決定しないマキに自分の頭で考え、意思決定することの重要性を説き、自首を勧める。議員ともなればマキのような女が自分の親友であることも何かと不利に働く。そんな計算もミエミエだが、一応セックスストライキもジェンダー問題の一環として捉えるアイコの論理は、それなりの弥縫策ではある。これに対しレイが猛反発、間を取ってカオリが仲裁に入るが、問題は段ボールの中身。皆で力を合わせて運び出し、駐車場に遺棄しようとしている所に遅れて到着したのは、モモカである。状況を把握した彼女は、レイに輪を掛けて過激な意見を述べる。大本の責任はアイコにあるのだから、アイコこそ自首しろ、というのだった。
     この論戦の過程で見えてくるものこそ、今作の主題である日本の持つ特殊性、忖度や天皇制が蟠踞する理由、即ち本当はその底に蜷局を巻いている空虚という虚体が見えないという事実? 或いは知っていても知らぬ振りで押し通すこの国の大多数住民の本質・卑劣を見事に剔抉しているというべきだろう。こんな状態だから何時まで経っても民主主義など実現できないし出来る訳もない。民主主義を実現する為には、先ず自らの頭で考えることが必要だが、そのことがどれだけの人々に実践されているだろうか? 事実とフェイクの基本的な見分け方すら考えず、持論を持つことは危険だの悪だのと看做されることを恐れて定かならぬ「定見」に自らを預けてしまうから、意志を己のものとしては持つことが出来ない。ギリシャは、民主主義を実践したことで知られる都市国家システムを持った文明で知られるが、彼らは少なくとも己の頭で考え、自己主張し、議会を持って行動したから、政治が基本的にこのような市民の意志実現の手段として設計されていた。だから「女の平和」の世界と世界観が成立したのだが、今作の最もアイロニカルなそして喜劇としての正当性は、己の考えを己自身の頭脳を用いて考え、実践することが出来ない日本人というものの本質を最初から最後迄、その演劇的実践によって現前化し得たことであろう。ラストシーンで日本刀の長さ程もある中華包丁のような刃物で断ち切るシーン、切られているのが何なのかは様々な解釈が無論可能だが、大多数の日本人が毎日実践している“見ん守”主義と解釈するなら面白かろう。

    0

    2019/05/15 15:31

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大